苦手な「怒」


私はたくさんある感情の表現の中で
怒ることや怒られることが嫌いに近いし、苦手だ

怒ることについては、私自身、
怒ると後で後悔することが多い。
から嫌いだった。


怒られることについては、

私は幼い頃によく怒られていたから、嫌だった。大きくて、とても怖い声で、いかに私が間違っているのかを犯した順番に永遠に語られる。言うこと聞けないなら、殴るのは当たり前だと。ただただ早くすぎて欲しい地獄な時間だった。
その頃の私の怒られるには必ず人格否定がついていた。
必ず、私は間違いで、怒る方が正解だった。
常に間違ってる私は正しく生きなきゃならないのに、正しくなれないことに息苦しさだけを感じた。あまりいい思い出がない。
だから、余計に嫌いだった。


怒られることについては、あまりいい解決策は浮かばなかった。
何をしても怒られた。
言われることは大体同じだけど、直すことができなかった。毎回、忘れてしまう。
自分が怒るわけじゃないから、
コントロールができない。

でも、
自分に怒りの感情が沸くなら、怒っているのは私だから、私が私をどうにかすればいい。
だから私次第だ。


小さな世界の私調べでは、怒った人が後に後悔していたことが多かった。

かつては、私もよく怒っていた。

後々、「なんで怒る内容でもないのに、怒ったんだろう」とか、
「あんなに怒る必要はなかったんじゃないか」って高い確率でその日の夜はこっそり布団で私の反省会が始まる。

そうやって、怒っては、反省してしょげるを繰り返した。

同じことの繰り返しで、何も変わってないことが嫌だった。私だけ考えることをしないから、進まないみたい。だから、次はどうするかを考えた。
何が私の後悔になるのかを考えた。


私は一度怒りをそのまま出さずに、一度落ち着かせた。怒りを怒りのまま出さないで、冷静になる。嫌だったことを感情的にならず、嫌味な言葉にならないよう言い方に気をつけながら伝えることにした。


よく考えることにした。
何に対して怒りの感情が湧くのか。
今の怒りのレベルはどれくらいか。

怒りを怒りのボルテージが最高のまま、感情のまま突っ走って暴走したから、私は後悔したんだ。
たまたま、私の怒りエネルギーを貯蔵しているボトルがいっぱいになった最後の怒りを私に生じさせた人物が溜まりに溜まった私の怒りエネルギーを一身に受けることになったから。


怒りもそうだけど、
誰かの何かの行動に対して私の中に生じる怒りエネルギーの適量みたいなものがあるように思う。

例えば私の場合は、
食べ終わった後のお椀がそのままの状態で、洗う時に残った米粒が硬くなって洗うのが大変…怒りの量は、メモリ1くらい。

食事中に聞こえるくちゃくちゃ音…イライラ度3くらい。


自分は、言ったことを私が覚えてないと爆発して怒るのに、私が言ったことは全然覚えてない…怒り5メモリ

とか。

いつもは、具体的にというよりは、目分量でこのくらいかな?となんとなく考えたりはする。
けど、ここ数年、あまり本気で怒ることをしなくなったので、自分というより、他の方が怒っているのをみて考えている。

****************

学生のとき、講義で怒りについて、
どうしようもなくなった時に人は怒る
と聴いてなんだか、納得した。

私もそうだし、私をよく怒っていた人もどうしようもなくなって、怒るしかなかったように思う。

ただ、だんだんだけど、怒るってことを怖くも感じるようになった。
世の中にある正しさみたいなものを私が都合よく使っているみたいに感じたから。
常識 とか 正しさ を当たり前みたいに語る自分が怖くなった。
みんなが向く方向が正しいと、どこか多数決で決めてるみたいだけど、どうなんだろう。
私が語っていたみんなは、せいぜい片手で足りるくらいだった。
そもそも、正しさ って何なんだろう。
正しさは一つしかないのか、
何を持って正しさだと思い込んで、私は偉そうに自分の考える 正しさを 当たり前にみんな持つべき思考だと考えるのか。
持ってない人が正しくないのか。
多分、そんなことはなくて。よくないはあっても
、正しさはもしかすると、人それぞれの持ってる価値観とかで決まるんじゃないかな。


そうやって、色々、考え始めたらゴールが見えなくなった。
だから、余計に私は感情的に怒るってことが苦手になった。

そうだ。私はただ「怒」って感情が好きではないんじゃない。
感情的になりすぎるから、好きじゃないんだ。
自分をコントロールできなくなる
コントロールできない自分は、後悔の元だから
「怒」が好きではなくて、
私は距離をおくようになった。
どうしたら、どうにか出来るかを考えるようになったし、
どうも出来なかったら、今の自分にはできないから仕方ないと思うようになった。 
出来ないことが悪いことだと思わなくなった。
それが嫌な人もいるだろうけど。


もしかしたら、今までの文で
怒るってことを批判してるように思えるかもしれないけど、あくまでこれは、私が私に対して怒るのは極力やめようねとしていること。

だから、怒っている人をみると、怯みはするし、びっくりはするけど、それがダメなことだとは思いません。
どうしようもないレベルまで一人でずっと頑張って、耐えてきた人かもしれない。
助けてもらえず、ただただ自分をすり減らしながら、よく怒っては後悔している人がいるかもしれない。


怒ることが悪いことではなくて、
怒り方なのかもしれない。
私はまだ、お手本にしたい「怒」っていう感情との付き合い方が上手い人を見つけられてないだけかもしれない。

出来るなら、後悔する怒より、モヤモヤしない怒を探したいな〜と

思ったここ近年の話。




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