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【美術】抽象表現主義とポロック

ルール
・今日から7日間美術の作品、主義、運動、表現技法などについて1日1トピックまとめる。
・作家の経歴や作品を書くに至った経緯等の説明は最小限にとどめる。自分が面白いと思ったことを中心にまとめる。


ということで本日は抽象表現主義とジャクソンポロックについて。

抽象画というものは音楽を楽しむように味わえばいいと思います。しばらくして、それを好きだと思うかもしれませんし、あるいは思わないかもしれません。しかし、だからといって過度に深刻になる事はないでしょう-ジャクソンポロック

抽象表現主義は第二次大戦後にアメリカで起きたアメリカ絵画史上初の前衛芸術運動です。この時期は、多くの芸術家が欧州からニューヨークへ戦火を逃れ、西洋アートの中心がパリからニューヨークへと移る時期でもあります。このような流れの中で欧州からニューヨークへ渡ってきたのがシュルレアリストを代表するダリやエルンストです。そして彼らの影響を受け、抽象表現主義のムーブメントの旗手となったのがジャクソンポロックです。

ポロックの絵画手法はアクションペインティングと呼ばれ、刷毛やコテで空中から絵具を滴らせるドリッピングや、絵具を垂らしながら線を描くポーリングといった方法でキャンバスに絵具を撒き散らします。

彼がこの技法を採用したのは、無意識を直接図像へと反映するためと言われています。フロイトやユングを学んだ彼は、アクションペインティングによって、無意識が表象となり具体的な芸術になると考えていたようです(正直、その思考回路はよくわかりません)。

何はともあれ、彼の絵は伝統的な意味での構図の軸や中心を欠いた無指向性の作品となりました。彼の作品はアメリカの批評家クレメントグリーンバーグによって絶賛され、人気を博します。
当時はナチスやソビエトといった社会主義国が抽象絵画を禁止して、社会主義リアリズムを国威発揚に利用していた時代です。自由主義を標榜する西側グリーンバーグは、それに異議を唱え、芸術は政治に利用されないよう抽象芸術であるべきだと説いたようです。

ポロックの作品の自由奔放さは、一面では西側陣営アメリカを象徴するものとして、最も自由主義的とも解されますが、冷戦時代の東側陣営に対するアンチテーゼとして受け入れられたという面では、排他的ナショナリズム高揚の装置として政治利用されたものとも言えるように思います。
50年代パクスアメリカーナの時代における抽象表現主義の興隆は必然だったのかもしれません。

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