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私を先生にしてくれてありがとね



こんばんは。

ANN聴きながら記事書くぞ〜!と思ってたんですけど頭がラジオの内容に引っ張られて文字起こしになっちゃうのでANN諦めました。radiko課金してるからまた今度聴くもんね。月385円で得られる自由。


この前入学したみたいな、なんなら入学した実感すらないのだけど、私はもう大学3年生の春休みを迎えています。今学期の単位がめちゃくちゃ不安なので成績発表に脅えてるし、就活もしてるから昨年みたいにハッピーキラキラ春休みではないんだけど、それでも自由な時間はいつもの何倍もあって。


その自由な時間は主にバイトと読書に費やしているのだけど、今日はそのバイトの話をしたいと思います。




大学1年生の春休み、個別塾の面接で無事合格して地元の塾でアルバイトを始めました。きっかけは3年生で行かなきゃいけない教育実習に備えるため。



今でこそ民間企業で就活をしているけど、当時は学校の先生になる気しかなかったので、授業をする経験を積んでおいたり、子どもという存在に慣れておいたりしなきゃな、と思って塾のバイトを始めました。後は大学生の友達増やせそうだな〜という自分本位の理由も何割か。


大学近くの校舎に面接に行ったのだけど、その校は既に人手が足りていて、結局配属になったのは通っていた高校近くの地元の校舎でした。だから大学生の講師がほぼ友達で同窓会状態。新しい友達を得る目的、果たせず。


ただの19歳の大学生なのに子どもたちから「先生」と呼ばれることに感じる責任が大きくて、せめて子どもにとってお手本でいなきゃなと思ってボールペン字を練習したり、メルカリで中高生向けの教材を買って勉強し直したりしていました。


そのかいもあって、人生初授業で担当した中3の女の子に「先生字綺麗だね〜」と言ってもらえてすごく嬉しかったのを覚えています。



先生と呼ばれるのにも慣れてきて、無事に大学2年生に進級してから少しした頃、高校2年生の国語の授業を担当することになりました。



その石田くん(仮名)は、私の母校の子で、「うわ〜同級生にもこういう子いたな〜」って感じのめちゃくちゃ普遍的な高校生でした。字は汚くて読めないし、特にめちゃくちゃ話しかけてくる訳でもないけど、私の話には時々笑ってくれたり、文化祭で作ったクラスTを着て授業に来たり。


こういう子は少なくないのだけど、石田くんも文系なのに国語が苦手で、その中でも特に古文が苦手ということでまずは助動詞から始めようという話になりました。



表紙に十二支が描かれた助動詞のワークを毎週、少しずつ進める木曜日が始まりました。過去の助動詞「き」「けり」から始まって、「けり」には詠嘆の意味もあるということを知って。活用形を覚えて、文意に合わせて訳して。



私も同じテキストをメルカリで買って解いていたのですが、正直高校2年生のレベルではなかったです。もっと基礎。ただ、ここが出来ていないと古文なんて読めないからやるしかないのだけど、焦りもありました。


1対2の個別塾なので、木曜日の授業では右側に石田くん、左側には毎週違う生徒が来ることがほとんどだったのですが、左側の子が石田くんよりも偏差値の低い高校に通っているのにレベルの高いテキストで古文を解いているのを見ると、「石田くんはほんとうに大丈夫なのかな」とこっそり思っていました。


すごく気持ちはわかるんだけど、勉強し始めたときって何が大切で何が流していいことなのかがわからないから、小さなことにも拘ってしまってテキストの進むペースもかなり遅かったです。


特に、文意に合わせて訳すということが初めは出来なくて、「どうして推量になるんですか?」などと聞かれても「文脈から〜」としか答えられず、そもそも国語を出来る人が出来ない人に教えるということの難しさを感じました。


それでも時間はどんどん経って冬になり、その頃には初めてのマーク模試があって、いよいよ共通テストを意識し始める頃でした。


石田くんの成績はあんまり、ほとんど、全然伸びていなくて、半年教えている自分の責任もあるよな〜と思って少し凹んだりもしました。


ただのバイトなのに凹んでいたのは、その頃には石田くんから進路の相談をされたり、何気ない雑談をしたりすることもあって、この子をちゃんと合格させてあげたいな、と漠然と思うようになっていたからです。


「先生ってクリスマス何するんですか?」と聞かれて、さすがに彼氏とデートだよ〜とは言えず、「塾で皆と過ごすかなぁ」と言ったら「休みってとれないんですか?」と本気で心配してくれるような素直な子で、素直さあまり「このバイトって結構楽ですよね?」と言ってきたこともあったけど、勉強面に置いても「やろう」と2人で決めたことは素直にきちんとこなしてくるところが、どうしてもこの子を信じたいなぁと思う理由でした。


春になって、3年生になって、部活を引退して。部活の練習着で来ていたのが私服になったとき、ああ、受験生になったんだなぁ、とすごく感じました。


この頃私は教師になることをほとんど考えなくなっていたし、個人的に大きな出来事もあって心が空っぽな状態だったので、塾で授業をすることに退屈さ
と不甲斐なさを感じていました。


私なんかの授業で石田くんを合格させてあげられるのかな、とも思ったし、なかなか伸びない模試の成績に情けなさもありました。


夏になっても第一志望に入れる点数には全く届いていなくて、石田くんの方はなぜかまだ間に合うと思っていて、私だけがやる気になってひとり焦っていても仕方ないじゃん、とすごく無気力な時期でした。


夏はサークル活動がすごく忙しかったのと就活を始めたのもあって、塾のバイトがすごく負担になっていたのだけど、いつもと同じようにバイトに行くと、授業前から自習室にいる石田くんを見ました。


彼が自習室で勉強しているのを見るのは初めてだったし、以前に自習室の利用を勧めた時も「でも来る時間勿体なくないすか?」と(徒歩5分のくせに)言われていたのであまりにも衝撃的な光景でした。


授業が始まり、「自習室来てたの偉いね」と言うと、石田くんは「模試の成績悪かったんで...」と言いながら成績表を見せてくれました。確かに6月から全然伸びてない。国語に限らず、他教科もまずい。



「でも俺、こっからっすよね」「ここからなんて伸びるしかないっすよね」



この記事を読んでくれてる人の中には、なんてコイツは楽観的なんだ、と思うかもしれないけど、私にはこの石田くんの楽観的で前向きな姿勢が希望でした。


そうだ、私も、こっからだ。全部失った気になって、両手がすべきことでいっぱいで、教師になるのも辞めてどうしようかと思っていたけど、でも、こっから、伸びるしかないんだ。



「そうだよ、こっからだよ」と話した次の週から、石田くんは毎週授業前に自習室で勉強していました。1年前はそこは気にしなくていいんだよ、というところに拘っていたのに、「主語がコイツなんで、意志かな〜って感じで」とある程度の根拠と推量から文意が取れるようになっていました。



冬になって、他教科も順調に伸びていく中で、最後まで足を引っ張っていたのが国語でした。でも石田くんが受ける推薦入試は共通テストの英語と国語を利用するものだったので、国語が伸びていないのは死活問題で。


でもこの頃には私が何をすべきか言わなくても、「もっかい文法見直してみたいです」と彼の方から言ってくれたので、初期に立ち戻って正答率を上げられるような授業をしていました。


そんな矢先、年明け早々私がコロナにかかってしまったので、石田くんの共通テスト前の授業をすることは出来ず、彼は本番を迎えました。


療養期間が空けて、ドキドキしながら塾へ行くと、「意外と俺、頑張ったんすよ」と。


自己ベストでした。正直、今まで見たことないような点数が取れてた。これなら推薦入試、合格出来るかも。小さいガッツポーズが取れそうなくらいで、安心して、頑張ってきてくれたことが嬉しくて。報われてよかったなと、また嬉しくて。


そのまま一般入試の二次対策もしつつ、推薦入試の合否を待ちながらの授業が続きました。


ついに明日合否が出るという日に「先生の合格発表の日ってどんな感じでした?」と聞かれました。雨が降っていたこと、ネットでの合格発表だったからひとり家で見たこと、そのあと学校に報告に行くと先生がすごく喜んでくれたことを話しました。


さすがに緊張していたようで、落ちたらどうしよう、と受かったらどうしよう、を30分も繰り返して授業時間を大幅に超えていたので「絶対大丈夫だから、合格したとき食べたいケーキ考えながら今日は寝な」と言うと「チーズタルトッスかね...」と呟きながら帰りました。ケーキは決まってるんかい。



合否の発表は翌日だったけれど、私が知るのは翌週の木曜日なので、ソワソワしながら過ごしました。



塾に行くと、荷物はあるのに席に居ない。チャイムが鳴ってるのにトイレに行っていました。でも、こういうマイペースを発揮出来てるってことは、いい結果だったのかな。


少しして、石田くんが席に来て、「あ、先生、俺受かってました」と、椅子に座る前に言ってくれて。サラッと言った風だったけど、目元はすっごくにこやかで、そんな彼のやりきった朗らかな表情が見れたことがすごく嬉しくて、そして無事に受験生を終えたことがやっぱり何よりも嬉しかったです。


「合格発表の日、どんなだった?」と聞くと、


「10時に発表だったんすよ。でも全然寝れなくて、結局明け方に寝て、で、2時間くらいで目覚めたんですけど、起きたら雨降ってて。あ、これ確定演出だって思って。ほら、先生の時も雨だったって言ってたじゃないですか。だから俺これ受かったな〜って思ったら、受かってました」




これ聞いて、すごい泣きそうになっちゃって。ああ、この子すごく不安だったんだろうな。それでも私の話を思い出して、安心してくれたんだ。私、この子の先生になれてたんだ。


その後、大学生になったらこの塾でバイトしなよ〜と勧めると、「でも教えられる側が居るんで俺もちゃんとしなきゃいけないから出来るかな〜」と。1年前は「このバイト楽ですよね」って言っていたのに。



石田くんは、偏差値でしか測られない1年間を乗り越えて第一志望の大学に合格出来たのだけど、それだけじゃない人間的な成長をしてくれたんだなあって思うと、私はこの子を担当できて幸せだったなと感じました。



この日が授業としても最後の日で、チャイムが鳴って、「1年間ありがとうございました」って小さく礼をして石田くんは席を離れたのだけど、なんかゆっくり歩いていて、私が彼に追いつくと、「1年間よりもうちょっと長かったっけ?」と。「1年半くらいはみてたよ〜」と返すとそうっすね、と小さく笑っていて、彼なりに寂しさとかを感じてくれたのかなあと思いました。


あっさりした性格だから彼は私のことも忘れていくのだろうけど、忘れるくらい充実した大学生活を過ごして、そして豊かな人生になればいいなと思う。


教師になることはないけど、石田くんの先生になれて良かったと思う。教えるって楽しいなと思わせてくれて、私を先生にしてくれてありがとう。


同じ大学だからキャンパスで会ったらよろしくね〜。合格おめでとう!


そしてまだ受験を控えている高校生の皆さん、きっとみんなを担当してる学校や塾や家庭教師の先生は、みんなの頑張る姿に、みんなが思っている以上に色んなものを貰っています。それを期待という重荷だと思わず、自分らしく最後まで頑張ってください。一塾講師として応援しています!



なんか真面目回になっちゃって恥ずかしいけど、これもまた記録だな〜。次はバランス取るためにおバカみたいな記事書こかな。ではまたね〜。

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