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分からないのだ
母がなにをしていたか
なにを考えて悩んでいたか

夏休みの真っ只中 8月1日
朝4時過ぎ
わたし達家族は母方の田舎に到着した
その日の夕方に母は冷たくなっていた。
毎年の夏休みの楽しみ「田舎のおばあちゃん家に行く」という大イベントはその日で終わりを告げた。

父とおじいちゃんは朝からゴルフに行った。
私はリビングの床でブラックジャックを読んでいた。
途中まで母も同じ部屋にいた。
カルチャークラブに出かけたおばあちゃんを2人で待っていた。
帰ってきたら3人で買い物に行って昼ご飯を一緒に作ろう、とかそんな話をしていた気がする。
漫画の続きを読みたくて2階の本棚へ向かい、そのまま本棚の前に座り込み2〜3冊読んだ。

おばあちゃんが戻ってきたと同時に下に降りたが、既に母はリビングにも他の部屋にもいなかった。
仕方ないので置き手紙をして2人で近くのスーパーへ買い物に行った。
帰ってくる途中でパトカーと救急車を見た。
サイレンの音は何故か聞こえなかった

断片的にしか覚えていない。
ただ現実か妄想かも分からない割れたガラスに写ったような歪んでボケた曖昧なシーンが心の端々に残っている。

納屋の入り口で倒れてる長い髪
白い腕とツンとした指
「ママが死んじゃった」と私を抱きしめて叫ぶおばあちゃん
私の目を隠す父の震える手のゴツゴツとした冷たさ
倒れた女の側でうずくまるおじいちゃん
私と兄弟を連れて暫くお家に置いてくれた近所のおばさん
おばさんが作ってくれた大きなおにぎり
警察署で飲んだオレンジジュース

パトカーの窓から見た大きな花火

何もかもが私の想像だった気もする
今でもしっかりと判別がつかない

11歳の私、年子の弟、3歳の妹
夜遅くまで仕事人だった父はその日からシングルファザーへ転身。
幼な子3人抱えて都会暮らしはあまりにも無理があると、当時いた学校の友達の誰にも直接お別れが言えないまま夏休みの間に田舎へ引っ越した。
目の前の悲しみよりも先に、秋にあるディズニーランドへの遠足に行きたかったと泣いた。

20年と少し経った。
あまりに突然わがままな自分だけが残った所為で原因は私では、と今も頻繁に考える。
周りは「そんな事ないよ」を言ってくれる心温かい人たちばかりだが、多分この感情は母と関わった私たち家族全員が奥底でひっそりと抱えているのではないかと思う。

私がいまこれだけ思い出すことが難しいなら、
これから先もどんどん思い出せなくなると少し怖くなって書いた。
最後に交わした言葉も覚えていない
顔も写真を見なければ既に忘れつつあるし、
声なんてもっと前から思い出せない。
思い出は弟や妹より先に生まれた分たくさんあったはずなのに殆どが古ぼけて掠れてしまった。

前からこうなることを決めていたのか
田舎に帰ってる車中で何を考えていたのか
リビングで何を思ってTVを眺めていたのか

寂しいと、いなくなった理由を考えて泣いた日は数えきれぬほどある
しかし私はその答え合わせをする為だけに生きたくはない。
冷たいと言われても仕方ないが
結局のところ勝手に想像するしかできず、原因を探したところで正解を現世で見つける事は無理なのだ。
ただ、私の人生の中でたまに母を想い、忘れかけてる日々を思い出す事はし続けたい。
わがままと悪態をついた日を反省していたい。
そして、死を選ぶほど張り詰めてた母が少しでもあの世で笑って過ごせてたら良いなと願う。


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