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鈴木康広展 ただ今、発見しています。(二子玉ライズ)

ひととおりワクワクして楽しい楽しいと思いながら見た。なんでも「へえ」と思って気づかされた。

鈴木さんが思いついたものが実体となってここで見られる。おそらく何度も描いてみて考えてみて作ってみて、また調整したりして

それら全部鈴木さんが思いついて形にしたこと
そういうのを提供してもらい、楽しませてもらって、
で、見てるうちに気づいたんだけど、自分じゃなにも考えてないじゃんって思った。
鈴木さんが気づいたことを見せてもらって、
へえ、たのしい!とかで終わらせていいのか。ザ・受動。いつもの受動だ。

私はうらやましいのかな。
くっそー、私もやってみたいぜ!って思ってる?
やれるならねー。ねえ。

私って意外と発信したいタイプなのかもね。創造するもの生産性ない割に。
いや、べつに評価されるレベルになりたいとは思ってないよ。そういう意味では発信ではないか。とりあえず自分でやってみたい。やってない自分がつまらないなと思う。じゃあやれよ、なのよ。わかってる。

疲れて夜早めに寝たんだけどね、夢ですごいノートつけてるの。気づいたことをすぐにね。早速、えらくない?
夜中に何度か起きたタイミングでつけて、朝の3時くらいまではつけられてたの。でもなんか暑いのとしんどいのとでめんどくさくなって3個くらい思いついたことを書かなくて、案の定忘れたの。4時ごろかな。あああ、書けなかったって起きた。

だめじゃんね。夢の中でさえ、よ。

身体がしんどいとすぐつらいって思う。なにもできない。痛いのに弱い。
例えば、ケガや病気で苦しんでいる人とかは痛みと頭は切り離せてるのか。私みたいに「いたい、しんどい、いたい、しんどい」に全脳を侵されてないのか。これを変えていきたいなあ。気づきよりも切実かも。

けどさ、たぶん普通に油彩や日本画の展覧会とかだとこんなふうにぐるぐる考えを巡らすことはないと思うんだよね。これが現代アートか。これが気づきか。

ね、私よく感想ここで喋ってるけどさ、たいてい「私って」ってなるじゃん。もっとこうしないととか、こうしたいとか。こういうの、なんだろうね。なにに不足を感じてるんだろね。今のままじゃイヤってことだよね。

結局、ヒマなのかね。

遅いお昼はここで食べました。

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