透明日記「夢を見た洗濯ばさみ」 2024/10/04
「おれは生ゴミ。生きたゴミ。おれを運ぶゴミ収集車は何曜日の何時ごろに来る?」
しばらくのあいだ、家の洗濯ばさみと同じように過ごしていた。挟むことしか考えないし、挟むことしかしない。挟めるか挟めないかで、世の中を見るようになっていた。現実は簡単で、とても狭い。狭いので飽き飽きとしていた。
あるときから、夢を見るようになった。ふとした拍子にベランダで弾け、外の世界に落下する夢。毎夜毎夜、同じような夢を見ていた。ふとした拍子のその拍子が、人間の手元が狂ったり、風を抑えきれずに飛んだりと、その都度、微妙に違う。空から降ってきたネズミに弾かれたこともあった。それでも最後にはいつも、ベランダの外に飛び出し、水色の清々しい、凄まじい速度の風を浴びていた。風が灰色がかるころ、決まって目が覚める。
挟む以外の世界もあるのだと、同じような夢を何度も見てはじめて気が付いた。洗濯ばさみには、一日のあいだに想像のつかないほどの暇がある。私は曜日感覚が分からなくなるほど、挟む以外のことを考え続けた。そのうち、昼と夜の区別も分からなくなり、ものを挟むことも忘れてしまった。
ない脳みそを絞る。思索の果てに、現実にも落下したいと思っている自分を発見した。
その時のことは、これから何度も思い出すだろう。目が覚めたような気分だった。私は考えてばかりいたので、数年ぶりに空を見たような気がしていた。実際は二日ほどの話だ。はっと気が付いて、いまは何年だ?と呟くと、隣の白い洗濯バサミが年月日を答えたのだ。言葉を話せるとは思わなかった。そいつは毎日、暦のことを考えていたらしい。挟むしか能のないようなやつだと思っていたので、洗濯物ではない、訳のわからない紐などを挟むような気持ちになった。
時間の流れに安堵を覚え、力が湧いてくる。自分が時間を遅くしたように感じた。時間の流れを変えたのだと。
力は、落下を望んでいた。落下への意志が身体にみなぎる。ひしひしと感じるほどに、現実は果てしもなく広がっていく。百雷の轟きが、私を満たすようだった。
私は、自力で弾け、落下した。懐かしいような、水色の風を見た。風は、洗濯物ばさみの詩となって、私の心をどこまでも運んだ。
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