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透明日記「顔の女」 2024/07/05

日記を書き損ね、これになった。

「顔の女」
おれは女を見ていた。傾いた口でよく笑う女だった。大きな口が斜めに付いていた。口の左端はあごの左側にかかり、口の右端は右頬にかかっている。歯がない。いや、覚えていないだけかもしれない。若いのだから、あったように思われる。

鼻も、口の傾きに合わせ、少し傾いている。小さな鼻だ。ごく自然に、目も傾いている。垂れ目のようだ。垂れ目が、口の傾きに合わせ、左目は鼻の横、右目は額の中と、変な位置にある。

女は福笑いのような顔で笑っていた。パーツの位置がでたらめなのに、おれは女を美人のように感じた。女はなにも話さず、笑っているだけだった。おれは女と向かい合っていたが、女と目が合っている気がしなかった。口は妙な方向に開かれて、開かれるたびにおかしくて笑いそうになる。女はなにも話さない。もしかしたら、なにか話していたのかもしれない。けれども、顔の動きがおかしくて、話しているように感じなかった。

それでも、おれには女の心がよく分かった。女の境遇に共感していたようにも思う。

女とおれは、三、四週間ぐらい、ずっと一緒に過ごしていただろうか。もっと長ったような、もっと短かったような気もする。女とはたくさんの遊びをした。しかしおれは、女の顔以外、何も覚えていない。女に触れた記憶もない。何も覚えていないが、心が通じ合っていたように感じている。

女のことを考えているうちに、ひとつ思い出したことがある。女はよくタバコを吸っていた。

女がタバコを吸うとき、口の右端に手が当てられるのだが、女がタバコを持っていく先は右の頬で、タバコの先が口元に持っていかれるという感じがしない。煙を吸えているようにも見えない。それでも顔からタバコが離れると、大量の煙が大きな口から吐き出される。そのたびに女の顔は煙に隠れた。目の前で煙が吐かれては晴れるのを何度も見たが、煙が晴れるたびに、女の顔が少しずつ変わっていたような印象がある。

いまでは、女の本当の顔がわからない。いつしか会うこともなくなった。

ときどき、女と過ごしていた時の気持ちを思い出す。例えば夏の炎天下、ベランダで一人、タバコを吸いながら、福笑いで遊んでいるようなときに、少しだけ。

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