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『伝染るんです。①』(文庫版) P8左〜出自は分からない〜

 出自にはさまざまな秘密が隠される。桃から生まれた桃太郎、竹から生まれた輝く娘、近所の川から拾われた現代人。物心のつく頃合いまでは全く記憶のないのが普通で、どれほど泣いたり笑ったりしても記憶がないから、確信を持ってその時期の自分の存在は証明できない。人伝てに聞くばかり。かの時期の「私」は、私の時間には存在しない。
 言葉以前、ただただ感覚の世界ばかりがキラキラとして懐かしく、過去や未来は意識に構造を宿していない。時間は教育の賜物である。ある社会学者によると、義務教育の主目的は時間厳守の規範を育む所にあるという。然り。大化の改新以降、国家は漏刻により、時間の支配に乗り出した。割りなき時間に区切りができる。感覚が合わない。江戸の時間は日足に応じた伸縮自在の十二刻。文明開化で電車が走る。時間は、一定の規格となった。
 生まれて間もない時期だけが、時間の支配を免れている。ゆえに、人は出自が分からない。

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