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透明日記「昨日」 2024/04/26

昨日の日記。昨日は頭痛だった。読み返すとずいぶん昔に感じる。

この眠気はなんだ。頭痛もひどい。言葉がこんがらがる。頭の中から何冊かの辞典が紛失したようだ。わたしはもう、統率の取れた文章を書けないだろう。言葉になにも期待できないだろう。行き止まりだ。墓場だ。

墓場の方がマシかもしれない。墓場には生きた人間がうろちょろしない。蟻は静かだ。正常な生きた人間は言葉を持つが、意味のないことしか話さない。蟻は静かに意味のあることばかりする。しかもその意味が死人には関係ないときている。蟻のそばで死んでいるのは気持ちのいいことだろう。

人間の会話はゲームだ。できるだけ意味ありげに、どれだけ意味のないことを話していられるか。そういうゲームだ。わたしはこのゲームに飽き飽きしている。

ゲームをし過ぎたというのではない。長々と、意味のあるようなことばかり話す連中がいるのだ。発する言葉の背景にはいつもレールがある。そのレールを自分で作らず、一から十まで誰かが作ったレールを使う輩がいるのだ。話がそんなレールに乗り出すとき、わたしは不安を感じる。終着駅まで、腐ったわたしの耳にガタンゴトンがねじ込まれるのだ。どうにかして脱線させてやろうと思っても、レールは頑丈で高品質。無敵のレールだ。脱線もなければ夢も希望もない。

とにかく今日は頭が痛い。尿の製造間隔もおかしい。大量の尿を出した三十分後に、大量の尿が出る。飲み物をそんなに飲んだ覚えはない。誰かの尿を肩代わりさせられているに違いない。

春が体をおかしくするのか?調べると春は、自律神経が体中に小さな無数の無限ループを作り、ホメオスタシスが春の宴会をやり、大気中の微小物質が神経を黄土色に染める。体の管理者は膨大な仕事量に手が回らない。わたしの体の管理者は何も言わずどこかに去った。携帯電話も置いていきやがった。連絡が取れない。

どうやらわたしは辞典をゼロから作り始めなければならないようだ。今日から、毎日毎日ゼロから辞典を作るのだ。この碌でもない作業には何の価値もない。それでもやり続けなければならない。

何がわたしをそうさせるのか。わたしか、社会か、歴史か、あるいは、路上にこもる熱気か、数々の夜を過ごしたであろう友人知人か、数々の朝を過ごしたであろう親類たちか、縁者、縁者、あらゆる縁のある有形無形の色彩か。大地とか宇宙とか、雨とか晴れとか銀河とか。右耳も痛い。ほじりすぎた。

こんなことを書くのはやめよう。自分を失うばかりだ。自分というものがあるとしての話だが。しかし書いているうちに頭痛がマシになったのは確かだ。書くことで頭のネジが締まるということがあるのだろう。

ここからはただの記録だ。

カフェの店内でシーリングファンがぐるぐる回る。大きな一粒の光の玉をぶら下げて。多様な構造を発達させたジュラ紀の生物群にも、こんな昆虫か植物がいただろう。

街を眺める老人が階段の踊り場でタバコを吸う。階段の壁に同化したような白髪の老人。壊れた監視カメラ。

花粉がさすらう路上で、自転車にくっついたマスクのおばはんは歩行者に強気でいる。自転車の圧力に抗う初老の男と初老の女。恩恵にあやかるわたし。

小さなチャリに乗っておばあちゃんについていく少女がいる。わたしを追い抜くとき、少女はわたしの顔を見上げた。脇の下から生きた人間の視線が放たれるとは思わなかった。子供は未知の空間を未知の運動で通り抜ける。人間よりかは魚に近い。

堰堤(えんてい)に砕ける水の濁音でひび割れる視界。風にさざめく葉擦れが震わせる音の空間。遠くで飛行機が空を破る。音痴のジジイが伸び伸びと「やっぱ好きやねん」を歌う。川辺はノイズで荒れている。

サティ、グノシエンヌ。小川典子。暗澹たる雰囲気。怪しい指の息遣い。

獣脚類から始祖鳥への進化、ヒゲの古生物学者、ヒゲのない古生物学者、6600万年前の隕石を生き延びた鳥の祖先。
大陸移動で対岸の捕食者と陸続きになったことにより、捕食され、滅びた、飛べない巨大な鳥がいる。
人の背丈と同じぐらいの、推定150kgの巨大ペンギンもまた、アシカに居場所を追われて滅んだ。

飛ぶために胸に筋肉を集中させた鳥類の骨格。竜骨突起が空を裂く。飛行を支える大胆な、碇のような形状の骨。
中空の軽量化された骨、その骨の端部を補強する内部のトラス構造。
小翼の進化が可能にする高度な飛行。
塩線、海鳥の頭に取って付けたような海水濾過装置。

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