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透明日記「生きられた虚構」 2023/10/18

頭にたくさんの記号を詰め込んで、ネズミも通らない狭い道を歩く。行き止まりばかりの迷路。アリの建築より迷う歪な迷路。隠し扉が迷わせる。日差しが右肩を温める。古い笛の音が上空に伸びる。ここは、数学を修めたインテリの眼鏡のような臭いがする。

狭い道を抜けると、水場に出た。服を脱ぐ。身体中の毛穴から、たくさんのアルファベットが吹き出ている。ほとんどは小文字だ。大文字は関節の内側にしか吹かない。水に浸かり、毛穴のアルファベットを洗う。水の底にボロボロと落ちていく。

水場から上がり、きれいな身体で歌を歌う。歌い続けると、さまざまな速度で床と壁と天井が目の前で回った。部屋の電気が明滅し始め、五月蝿く鳴った。部屋の中心が失われた。部屋が何重にもあるように感じる。部屋を回した歌が、部屋に回される。歌うことを止められない。しばらく部屋と一緒に回り続けた。四十年前に作られた異国の曲を歌うと扉が現れたので、外に出た。

家から少し離れたラーメン屋に行く。店内に客がいない。違法の動物を飼っているような雰囲気がある。口数の少ない店員がスープを泡立て、兄の結婚式に着ていく服装を考えている。ラーメンを啜る。美味しいと思うことなく、ラーメンを食べ終える。何かを入れ忘れたのだろう。

ラーメン屋を出ると、過去が道に落ちていた。身体が過去を思い出す。三つ上の兄の友達の幻影がチャリを漕ぐ。並木の緑が揺れている。信号のない横断歩道を渡り、広い歩道を走る。幻影も周りに走る。AKIRAの終わりをチャリで再現するように、幻影は速度を上げ、遥か前方に直線となって消えた。涙が出た。

コーヒーを啜る。森から出てきた動物たちがそれぞれの時間を過ごしていた。リスがクリームを舐めながら小説を読んでいる。狐は客に泥団子を売り、熊の婦人は黒い巻き煙草を吸う。歯の抜けたネズミが新聞を読む隣で、猿が陰毛を整えている。パンダは水ばかり飲んでいる。トイレのドアを開けると、藤色のシャツを着たおばさんが袖を捲って万札を洗っていた。鍵を閉め忘れたらしい。

部屋に帰って、お腹が痛む。白い扉、白い壁、白い天井、白い便器、大きなおなら。不浄とされる便器はその光沢で、不浄は私のせいではありません、という主張をし続けている。壁を引き裂くおならの衝撃に怯むことなく主張する。主張を無視して考える。大きなおならが通る時、その出口はどんな表情をするのだろうか。驚きの顔か、笑いの顔か、恐怖の顔か。いずれにしても興味深い。

昼に洗い流したアルファベットが部屋中に浮遊している。口に入ってチクチク刺さる。噛んでみると粘っこい。ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ咀嚼する。冷蔵庫が空母の真似をして唸る。邪魔してほしくなさそうだ。常温の水で口腔の記号を呑み下す。歯と唇の間、口腔前庭を舌の先で舐り浄める。

日は暮れて暗い空。道を走る諸々の騒音が空に溶けてはくぐもって、予感を孕んで無常に流れる。胡座を組んで宙に浮く姿が浮かぶ。Transparent Dervish、透明修行者の身体から流麗な記号の光輪が広がる。彼は夜を救うために存在する。

古本屋の光にまみれ、眼球を肥大させる。店内は誰かの生活の臭いがする。中長編漫画がその物量で短編漫画を覆い尽くしている。短編が長編に成り変わる前に、棚から探して出してやる。ほとんど長編になってしまった漫画もあった。これらは保護短編漫画とされ、引き取り手が必要だ。全くの長編になってしまった短編は三途の川に流されてしまう。三冊の短編漫画を買い取った。

瀬戸内海の風が育んだ大きなタマネギを旅行者が持ち帰る。満々と肥えて麗しく、箱入り娘然とした品がある。娘は焼かれ、皿に盛られた。資産家の味がした。

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