見出し画像

透明日記「知識を咀嚼する」 2024/05/02

新しく摂取する知識に唾液や血を混ぜるとどうなるか。四月の終わりからそんなことを考え、試していた。ぺろっと読める匂いのない文字に、自分の匂いを練り込んでやろうと。

以下、四月の終わりごろに書いていた。

わたしは知識を咀嚼する。ぺちゃくちゃ汚い音を立てる。虚ろな知識の咀嚼音。知識を侵食する肉体のリズム。

ブルーバックスの『図解・プレートテクトニクス入門』を読む。いつか買って忘れていた本。ふと、手に取った。

地球の活動を知ることは、太くて果てしない音楽を聴くようなものだ。人間の身の丈に合った生活的尺度は通用しない。巨大な尺度はあらゆる尺度を押し流す。

対象は巨大だ。運動を調べるにも相当な知力と資金を要する。このことは地球の高精度なモデル化を不可能にし、地球の活動を予測することを困難にする。地震はいまだ予測されることなく、人類を翻弄してばかりいる。

しかし、四十六億年という巨大な年月の間に、地球はその活動記録を世界各地の石ころに刻みつけてきた。科学者は石ころに記憶を尋ね、記憶と記憶を結びつけ、地球の歴史とその生態を知ろうとしてきた。

その果てにプレートテクトニクスがある。地球を硬い岩石のジグソーパズルと捉え、その運動によって地球の現象を記述する理論。地震、火山、高山、海底。その仕組み・成り立ちを理解する枠組み。

ここに、プレートテクトニクスが出現するまでの過程をまとめておく。

山には海の生き物の死骸が埋め込まれている。山のものに海のものがめり込む謎は、前世紀の人間に様々な妄想をさせた。

地球は冷え続け、収縮することで海から山が出現すると言う者、海に降り積もる微生物の残骸がマントルを刺激し、あるとき急に山が隆起すると言う者、地殻が移動してぶつかることで山となると言う者。それぞれ、地球収縮説、地向斜説、大陸移動説と呼ばれる。

それとは別に、別々の大陸で同じ生物の化石があるのはなぜかという疑問に対し、太古には陸の橋があったと妄想する古生物学者の一群もあった。

このなかで大陸移動説が生き残り、プレートテクトニクスの前身となった。

大陸移動説はドイツの気象学者アルフレッド・ウェーゲナーが提唱し始めた。熱帯、寒帯、乾燥帯などと気候を分類したケッペンという男の娘と結婚したという。ケッペンは上司みたいな存在だったのかもしれない。

アルフレッドは一見、悪どい銀行員みたいな胡散臭い顔をしている。鼻の下がよく伸び、目尻が垂れ、エロそうな顔立ちでもある。写真を見ていると、写真の上に濡れた舌先をくねらせるアルフレッドのイメージが浮かび上がる。そのエロティックな顔立ちを別の角度から眺めれば、精力的で、野心に溢れた、夢を追う人間の姿が見えてくる。アルフレッドは冒険家でもあった。最期は、グリーンランドに大陸移動の証拠を求め、調査中に命を落としたという。

1910年のある日、アルフレッドは妄想した。子供じみた妄想だ。世界地図を見ていると、大陸のジグソーパズルが見える。この妄想が大陸移動説の原点となった。

大陸移動説は徐々にその理論的骨格を確かなものにしていく。分断された大陸に存在する同種の化石を第一の証拠として、古生代の氷河の痕跡が赤道付近に刻まれていることを第二の証拠として。しかし、決定的に海の底に関するデータが足りず、大陸移動というダイナミックなカラクリの実態は解明されずにいた。

アルフレッドの着想はよかった。が、1930年に彼が亡くなると、大陸移動説は人気を失う。その頃はまだ、大陸移動というダイナミックで複雑な妄想よりも、地球収縮や地向斜という、謎は残るが比較的単純でもっともらしい妄想が幅をきかせていた。

大陸移動説がプレートテクトニクスとして確立されるためには、データが足りなかったのだ。データを採取するためには、地球を診断する方法を発明する必要がある。

年代というのは、それぞれのデータを方向づける重要な情報だ。地球は核エネルギーを作り続け、世界中の岩石に微量の放射能を含ませている。放射能は長い年月の果てにその姿を変えていく。この放射能の状態によって、岩石の年代を調べる方法が発明された。

また、各地の鉄鉱石に封じ込められた地磁気の調査も行われるようになった。地磁気は微妙に下方へ傾いている。その傾きから当時の極点を割り出すことができる。北アメリカとヨーロッパで行われた地磁気測定を年代順に並べると、極点が移動してきた事実が判明した。その事実は大陸移動説を指し示しているのであった。

地球のメカニズム解明にあたって最も重要なデータは、戦争が転機となって見つかる。戦争は技術を発達させる。ドイツは潜水艦Uボートを開発し、アメリカはUボート対策でソナーを開発した。このソナーの発達により、海の底を探査できるようになる。

海の底にはマグマを噴出する海嶺という海底火山の山脈がある。海嶺から離れるほど海底の堆積物の層が厚い。そのことは海底が海嶺を起点として動いていることを示している。

これが大陸移動の直接的なデータだ。このデータによってさまざまな科学者が触発され、同時多発的にプレートテクトニクスが提唱されるようになる。ウェーゲナー死後三十年ほど経った、1960年代の話だったという。

提唱から五十年。データが集まってからは、大陸移動説がプレートテクトニクスとして確固たる地位を築いている。

しかし、豊富なデータが集まる以前には数々の妄想があった。数少ない事実からどれだけ確からしい妄想ができるか、それが科学の推進力となるのであろう。そして、これは科学に限ったことではないのだと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?