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透明日記 2023/08/13

遠くを眺めると、心が安らぐ。時間が穏やかに流れていくのを感じる。遠くを見るのはいいかもしれない。

昨日は一日の視線が近くに限定されている日だった。スマホ、パソコン、本、ノート、テレビ、信号、トイレのドア。そういう日は余裕がなくなっていくのだろう。夜になってから、どことなく消化不良みたいな嫌な疲れ方をした。

それで、一服しながらアレコレ考えようと外に出た。外にはさらに外があった。遠くの方でいくつかのマンションがそれぞれの廊下を静かに光らせたりしている。眺めているとなぜか、心が夜みたいに静まる。

視点が個人的な関心ばかりに限定されていると疲れるのだろうか。近くを見るのに比べて、遠くを眺めるという行為には個人的な関心が薄いように思う。すると、遠くに見えるものは、他人の目にも同じように見えるだろうという無意識的な前提が働いているのではないか。そこから、人間という存在への帰属感が無意識的に感じられ、安心するのではないだろうか。
個々の趣味や関心が広く共有できなくなった、リアルが失われたような世の中で、遠くを眺めるということは失われた共通の基盤を夢見るような行為なのかもしれない。

はたまた、原始時代の本能の残滓が、遠くを見ることに安らぎを得るのかもしれない。自然で暮らしていた原始時代には、遠くを見ることで自分の周囲を確認し、天敵に襲われるような不測の事態を回避できる。安心して過ごせる。

まあ、理由についてはよく分からないけど、「ただ、遠くを眺める」という時間は、人間に必要な気がする。

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