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心の中にいる「スレたガキ」の話

中学生か小学生のとき、こんなことがあった。

学校の帰り道、友人と「すごいよマサルさん」の話になった。当時から若干古い漫画で、兄がどハマりしてた影響でボクも好きだった。
友人は知らなかったので「そんなに面白いなら読んでみたい」と言った。
ボクは喜んで友人に貸そうと、次の日にマンガを持って行った。しかし友人は表紙をチラッと見ただけでこう言った。

「絵が無理」

友人は結局手に取ることはなかった。

言うまでもないが、「すごいよマサルさん」は間違いなく名作ギャグマンガであり、今でこそSNSで「絵だけつまらん言われたぴえん🥺」と呟けばおそらく「読まないなんてもったいない」「人生損してる」と共感バズが起こるだろう。

でも当時はSNSも普及してなくて身の回りの世界が全てだった。

中学生か小学生だと考えると、肌に合わない絵を「無理」って言っちゃう友人の感覚も理解できるし、なんなら自分だって無意識にしたこともあると思う。覚えてないけど。
だから今さら友人を恨んじゃいない、いや恨んでるけど、それはそんなに大事なことじゃない。

大事なのはこんな経験を重ねたことで、自分の中に「主流」に対して斜に構え、ドライでスレた気持ちが生まれたことだ。

すごいよマサルさんのオープニング「ロマンス」手書きMADでよく知られてる。

当時のマンガの絵柄には「主流」があった。
線が細くて綺麗で読みやすいマンガが「主流」であり、いわゆる線が太くて濃い絵柄は主流から外れていた(マサルさんは線が細い方だと思うけど…)
あと、あんまりおたくに対する理解もなくて、マンガ好き同士でも「主流」じゃないマンガはおたく扱いをされて、マンガ話に入れないこともよくあった。

今のマンガの「主流」はわからないが、いろんな界隈ごとに「主流」があると思う。
そしてそれに乗れない奴らは、ボクと同じように「主流」に対してスレた気持ちを育てているんだと思う。

中学生だったか小学生だった頃の自分には、「主流」に対して斜に構え逆張りをして「オレはお前らとは違う」といつも偉そうにしてる「スレたガキ」が確かにいた。
「主流」にワイキャイ騒いでる人たちを「自分はこいつらとは違う」と思ってて、ドライな物差しで見ている自分を誇り、アイデンティティのように大切にしていた。

もう何年も経った今では、そんな感性もだいぶ薄れてきて、流行りものも見るしハマってる人を見てもなんとも思わない。むしろ大手ジャンルは積極的に見てる。

ただ稀に、みんなが盛り上がれる話題や大きい輪に入れない自分を見出した時に、「まぁ、ボクはこいつらと違うから」と思い、少しだけ誇らしい気持ちになる。
実際は輪に入れてないだけなのだけど、それは関係なく、自分だけが冷静でドライな目線で物事を見ているような、優越的な気持ちになるのだ。

まだボクの心の中にはスレたガキがいる。これからも多分ずっといる。

みとらじ!栞葉るりゲスト回
それはそれとして、今日現X旧Twitterで平沢唯が自分とタメだという情報が流れてきた。

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