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ことばから、こころが幽体離脱するまえに

わたしが大学生のころ。コンパクトカメラの販売員として派遣会社でトップの成績をおさめて、派遣会社やメーカーさんから「卒業後はうちで働かないか」と勧誘を受けて笑顔で断っていたころのこと。

こんにちは、こんばんは。栗田真希です。すみません自慢のような導入で。もうかなり昔のことなので、時効ということで許してください。

販売員として、わたしが優秀だったかどうかは、他人が決めることだ。
思い返すと最初は「大丈夫か、あいつ」と言われていたけど、まわりのお陰でなんとか販売員として認められて働けるようになっていった。同じフロアで働くいろんな人が褒めてくれた。つまり我ながら、そこそこは、できてたのだ。学生にしては、という注釈もあったかもしれないけど。

でも自分では自信がなかったし、貪欲すぎたので「もっと売れるはずだ」と思っていた。それに、武器がすくない。

アルバイトではなく販売員としてメシを食ってる人もいたし、ふだんは写真家として活動している人も働いていた。知識では敵わない。わたしも勉強してフォトマスター検定準一級という謎の資格も取ってはみたが、敵わない。

すごい販売員さんに「お前の武器は、知識じゃないだろ。ちゃんと自分の武器を活かせ」と言われても、なにも思いつかなかった。しがみつくように「わたしの武器ってなんですか?」と訊ねる。

すると「若くて、カメラのこと全然知らなそうなところ」という、当時のわたしからすると蔑みのようにしか聞こえない答えを告げられた。それで売れるもんか。

でも当時、まだいまほどスマホが普及してなかったころ、コンパクトカメラを買う人は、「若くて、カメラのことを知らない」という層も多かった。そういうお客さまからすると、わたしは話しやすい相手だっただろう。そういうことが、販売員をしているときはまだちゃんと理解できていなかった。

猪突猛進で、貪欲で、自分の武器もわからず働いて、一定以上の結果を出していた。

そんなわたしが、自分で唯一自信を持っていたことがある。

それが「ことばから、こころが幽体離脱していないこと」だった。

まあ大きな声での「いらっしゃいませー!」は売り場を活気づけるガヤみたいなもんだから別として、なにを話すにも、こころが浮かないようにしていた。

販売員というのは、同じ話を繰り返す。身近な例だとレジでの「ポイントカードはお持ちですか?」とか、そういうことだ。カメラのことを、ずっと話し続ける。ズームは何倍です、ボディはこういう素材でできてます、裏面照射型CMOSセンサー使ってます、うんぬんかんぬん。

同じ話をしていると、ことばから魂が抜けそうになるのだ。そうなっているように見える販売員もいた。いろんな販売スタイルがあっていいのだけれど、わたしは幽体離脱したことばが嫌いだった。お客さまからすれば、はじめて聞く話なわけだし、もう二度と会わない人かもしれないわけだし、そのとき一度きりの機会に話すことばを大切にしたかった。

そうして話していると、信用してくれるお客さまもいた。「あなたから買いたい。あなたがいいと思うものを買わせて」と言われたことも、すくなくない。

一つひとつのことばに、意味を、感情を、過不足なく与えて発する。シンプルだけど、心がけていないとできないことだ。

ことばから、こころが幽体離脱するまえに。ちょっと大げさかもしれないけど、ことばに魂を注ぎ込んで、くちびるにのせたい。いまも変わらずそう思う。

30minutes note No.1033

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