2022年6月6日で33歳になりました。
誕生日がゾロ目だ。そんなわたしが33歳になった。なんだか同じ数字が並ぶことにそわそわする自分がいる。とてもいいことがありそうな気がしてくるじゃないか。
こんにちは、こんばんは。栗田真希です。
人間、ガラッとある瞬間から人生が変わることがある。ただ、そんな劇的なことは、わたしの人生にはまだないような気がする。
ふつうに会社員になり経理をして、そこからコピーライターを目指し転職し、異業種未経験でコピーライターになったけれど、インタビューの楽しさを知って、ライターになった。都市にしか住んだことがなかったのに、長崎県波佐見町に住みはじめた。
紆余曲折しているし、挫折もしたし、身体も壊したし、順調とは言えない社会人経歴だ。でも、そんな自分の道のりは全然嫌いじゃない。むしろ、糧だと思っている。
この道のりだからこそ出会えた人たちのことが、好きだと思う。
あの会社に入ってなかったら、「あなたはしあわせになる価値がある」と言ってくれる先輩に出会っていなかった。一生、浅い不幸に溺れたまま生きていたかもしれない。
大阪への異動を受けていなければ、あの関西の異文化のおもしろさを知らないまま、ずっと横浜の実家だけで暮らしていたかもしれない。
あのときコピーライター養成講座に通わなかったら、いろんな人の考えに出合っていなかったら、朝日広告賞の公募で準大賞にも選ばれずに、きっとコピーライターにもなれなかった。
コピーライターになれていなかったら、友だちである「書く人たち」との出会いもなかったかもしれない。モノやサービスへのポジティブな光の当て方を知らないままでは、卑屈な人間のままだったかも。
ほぼ日の塾や、バトンズの学校に通っていなかったら、こんなにも書くことが楽しくなっていなかっただろう。そもそも書くことを辞めていた。その後の人生で背中を押してくれる友だちとも出会っていなかった。
あらゆる出会い、挑戦、判断が、今のわたしをつくっている。
ある講座の最後、打ち上げのお店の外で、講師をしてくださった方が言ったことばを、まだ覚えている。
「当たり前のことですけど、みなさんが応募してくれなかったら、この場はなかったんです」
講座には多くの応募があり、狭き門だったという。幸運にも選んでもらえて、なんだか実感もないまま通い、最後のことばを胸に刻んだ。
当たり前に応募して挑戦して、生きていこうと思った。どんなに可能性が低くても、手を上げれば、リスクを負っても挑戦すれば、未来が変わることもある。
そうやって、33歳になったいま、なんだか前よりも自由に楽しく生きている。
もっと楽しい、うんと楽しい、33歳にする。
それはこれまで、いま、そしてこれからも、仲良くしてくれている人たちが連れてきてくれた場所から見える景色がすばらしいから言えることです。
33歳のわたしも、どうぞよろしくお願いします!
30minutes note No.1023
さいごまで読んでくださり、ありがとうございます! サポートしてくださったら、おいしいものを食べたり、すてきな道具をお迎えしたりして、それについてnoteを書いたりするかもしれません。