彩色く花
いつ何時、誰であっても、進み往く先だけを見据えて歩む姿はそれだけで他者の情緒を強く揺さぶるものだ。
卒業を発表してからステージを降りるまでの期間、あらゆる選択で後悔しないと腹を決め直した彼女。
きっとこれから先、ひたすらに未来だけを見て邁進していく。例に漏れず惹きつけられるであろうその様を見て、私は何を思うのだろうか。
2024年7月4日、でっかい白線と満開の笑顔(と少しの涙)を遺し、日向坂46の高本彩花はグループを去った。同年3月5日に卒業を発表してから、ちょうど4カ月後のことだった。
その日は、「卒業する時が一番綺麗」の意味をようやく心から理解できた瞬間でもあった。アイドルとして、ともすれば一人の人間として、他者に影響を与え何かを遺すことに拘った彼女の最後の姿は、本当に綺麗だった。
特に印象的だったのがこの一文。
ああ、「妄想する日向坂46の未来に自分はいない」と言いつつ、彼女も寂しいんだ。
自分と、みんなと一緒なんだ。
そうだよな。ひなた坂46としてあれだけのステージを創り上げることができる最高のメンバーを選べるくらいに、日向坂46は素敵だから。
最後に最高のライブを味わってしまうとそうなるよな。
でも、それもこれも、きっとあなたがいたから。あなたの8年間があったから。
陳腐だが本当に色々な思いが込み上げてきた。でも、後悔しないと決めた自分が振り返り寂しがるほどに素晴らしいグループである日向坂46をこれからも変わらず愛して応援してほしい、とにかくそう彼女が訴えているように思えた。
同時に、私は高本彩花の卒業という経験を通じてひとつ大きな観念を得られた気がする。
卒業という結末を迎える限り、間違いなくアイドルは刹那的だ。そして高本彩花は、「今が一番若い」と語ったり、最後の後悔しないように取り組む姿を見せることで示したしたように、誰よりも刹那を愛した人だと思う。
しかし、多くの後輩たちが憧れた"あや姉さん"の意志やでっかい白線に代表される彼女の数々の遺産を振り返ると、刹那を慈しむ中で永遠を生み育むこともまたアイドルと言って良いのではないだろうか。
無粋かもしれない。見当違いかもしれない。もちろん刹那的な生き様も美しい。
それでも私は、その永遠にも今後関心を向けていきたいし、一見矛盾するかのような彼女の「アイドルは永遠」という言葉を以降も大切にしていきたいと強く思う。
トークがクローズし、最後のブログが投稿された。やはり彼女は「これからも変わらずグループを応援して!」と伝えたかったようだ。
悲しみに暮れることなく、この一言に「任しておいて!」とこれまでの1102955倍の確信と愛情を持って返答することを、刹那の中の永遠に目を向け大切にする初めの一歩としたい。
彼女が願うファンの姿に少しでも近づけるよう、これから先も彼女の大好きなグループを丸ごと愛していこう。
でっかい白線は、そうすることできっと”僕らの前”にあり続けるのだから。
良いも悪いもあったであろうアイドル人生。その最後の最後まで、グループに意志を、ファンに希望を、みんなに笑顔を与え続けた彼女に、どうかこれから先、今まで以上のたくさんの愛が降り注ぎますように。
改めてご卒業おめでとうございます。8年間お疲れさまでした。
日向坂46を知ってから2年と少し、あなたを応援出来て本当によかったです。幸せでした。ありがとうございました。
どうしても物悲しいですが、最後の朝晩の着信と、最後のブログの「また、会う日まで、元気でね🍒」というひとことを信じて日々励んでいきますね。
いつかまた、白線が交わる時がきますように。
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