浅くしか生きられない人たち~「普通の人々」を観て

自分が間違っていると思っていた。その映画を観るまでは。

両親は二人とも吃音で、私自身も吃音だったが、家庭内で吃音はタブーだった。例外は一回だけあった。私が知る限り、私の人生で母親がどもりに触れたたった一度の出来事であった。保育園の頃、母親が連絡帳に完全な他人事としてわたしのどもりに触れた記述があった。(もちろん、当時は字が読めないため、後年、偶然連絡帳を見つけたときに知ったのだが)。おそらく、明らかなどもり様(よう)だったために、先生指摘されるまえに先手を打って<なんでもないこと>として対処してしまおうと思ったのかもしれない。「娘が最近どもりますが、寂しい思いをしているからかもしれません」と、一文だけが書いてあった。先生からの返事は「本人もその喋り方がかわいいと思っているのかもしれませんね」みたいな、ちょっと変わった返事ではあったが、まあ、幼児のどもりなど珍しくないため、特に深く考えてない返事は不自然ではない。ここで不気味なのは、母親が、自分や夫もどもりであることを全くほのめかしもせず、<(自分たちが忙しく構ってやれないため)寂しい思いをしている>ことのみが自分が考えられる娘の吃音の原因だ、のような書き方をしていたことである。子どものどもりに触れられるのはまだ耐えられても、自身のどもりに触れられるのは何人(なんぴと)であっても耐えられなかったのだろう。
ときは流れ、高校二年の夏休みの終わり、吃音の苦痛ー授業が始まるごとに、指や足でトントントンとリズムをとり、当てられるのに備えて常に頭の中でどの文字なら言えるか、どの順番ならいえるか、この文字の前ではえーー、やらあーーやらを挟んだら言えるか、などと考え、そしていざ当たると、白い閃光のようなものが頭から爪先まで冷たくさーーーと貫き、必死で話す言葉は震え、詰まり、教師から白い目で見られるという経験をするはめになるのか、と思うともはやつらく、しかも苦しみは授業中だけではない、大げさではなく一日中言葉についておびえている日々、自宅でさえも、その日の失敗に打ち震え、明日からの発話におびえるという日々ー寝ているときでさえ、すさまじい落下の感覚の挙げ句、夢の中から出られない、息もまともにできない、手足も動かない、必死にもがくという悪夢の日々に疲れ果て、しかもその日々の苦しみも、授業の発表を免除してもらう、その一点で解決できるのだが、と思い、せめて先生に手紙でも書いていいものなのか、しかし自分が書いても、器官に問題がないのに話せないなんて理解されるわけもない、しかし、大人である親からなら、先生も聞く耳をもってくれるのではないか、と思い、このままでは精神がもたないと母に訴えかけたことがあった。どこまで自分の考えを話したのかわからないが、そのとき、母はどうしたか。母親は、部屋を出ていったのだ。日常が吃音に支配されているのに、吃音の話題がタブーということで、そもそも私と母の間に会話らしい会話はなかった。そんな私が、追い詰められて、ついに母に助けを求めたのだ。しかし、母は部屋から出ていった。昔からそうだった。聞きたくないことは、聞いていられない人なのだ。その時私は悟った。この人にはどんな相談も無理なのだ。世の中には負の面を受け止められない人がいるのだ。自分自身にさえ自身の吃音をひた隠しにしているような人だ。
私は以後、死にながら生きるようになった。我が家では不登校というものも許されていなかった。不登校というのはその存在が許されてる家庭でのみ起こりうることである。不登校の理由を親に言う。反対しながらも、しぶしぶ親は受け入れざるをえない。そういったような過程を経る不登校など、起こり得るわけもなく、しかし、もはや口を開けばその発話の可笑しさから、爆笑され、憐れまれ、あるいは叱られるという、ピエロとしての生活にも疲れ果てた私は学校をさぼるようになった。もともと、根が真面目というか、スポーツやら活発なことは何もできず、おとなしいことだけが取り柄のような私にとって、自身の性質と全く相容れないサボるという行為はすさまじいストレス以外の何ものでもなかった。できれば普通の生活をしていたいのである。授業も気楽に受けたいのである。サボるとなると、すさまじく暇で時間をつぶすのに苦労した。自宅で本を読んだりできる不登校とは違い、外で過ごさなくてはいけないからである。
自分で高校に電話して適当な体調不良を言って休んでいたが(この電話はなぜかさほど不自由さを感じた記憶はない。もしかしたら大変だったのかもしれないが)、あるとき電話するのを忘れ、担任が自宅に電話したことで私のサボりが発覚したことがあった。母親からピッチに電話がかかってきた(当時の高校生はピッチを持っていた。携帯電話の簡易版のようなものである)。もはや母親に真実を言う事について諦めていた私は、吃音で授業の発表ができないからだ、とは言わなかった。吃音の二文字をこの人に言ってはいけないのだ。この人はその二文字に面と向かい合えない人なのだ。この人は、その言葉から逃げるだけだ。吃音の文字を告げることはこの人に自身の内面と向き合うきっかけをつくってしまうだろう。それはこの人には耐えられないことなのだ。<生理でナプキンを忘れたから学校に入らなかったのだ>と私は言った。母親は、私がどもりを苦にして登校できないのを心の底では知っていたのだろうが、もちろん、知らないふりをした。後日、母親は知人に私が高校を嫌がる理由を「遠いから」と言っていた。それ以外には決して何も。それだけが唯一の理由のような言い方だ。
母と私は、40年間、お互い吃音なのに吃音の話を一度たりともせずに、ここまできた。(高2のあのときは、吃音の話をしかけたが、母が出ていくことにより未遂に終わったでカウントせず)。今後も決してすることはない。彼女はそういった話に向いていない。そして何よりも、<できない>のだ。自身の内面の暗闇に目を向けるのはつらいことで、それをすると、耐えられないのだろう。私は違った。私は内面の暗闇に降りていき、吃音と対面し、地獄もここまで暗くはあるまいと思われる思春期を送った。
しかし、私は私が例外であり、多くの人は、母親タイプなのだろうと勝手に思っていた。母親のほうが、正しいのだ、と。暗闇には目を背けること、物事は浅く受け止め、深刻な問題からは離れること。実際、不気味で複雑怪奇な自分の内面と向き合ったって建設的とは言い難い。それよりは、できるだけ明るく楽しくいこうよ、というわけだ。そう、問題をすり替えてでも・・。
しかし、映画「普通の人々」を観て、むしろ、私側のタイプが肯定的に描かれ、自分に不都合な事実は真正面から受け止めず事実を曲げてでも、自分に受け入れやすい形にする母親タイプの人間が<変わった人>という描かれ方をしていて、ほっとした。もちろん、どっちが良い、どちらが人間的に優れているという単純な問題ではない。ただ、私は、自身の暗部に目を向けがちな自分の性質を<人として間違っているのではないか。暗い面は封印してでも明るく生きるべきではないか>と多少は思っていたので、ああ、母親のような人間がちょっと否定的に描かれているのを観て溜飲が下がったといおうか、いじわるな気持ちかもしれないが、自分に軍配があがった気がして嬉しかったのだ・・完全なる雑談でした・・。

※父親も吃音なのになぜ父親が出てこないのか、については、吃音は吃音でも、父親の場合自分ではっきり気づいてないタイプの吃音だと思われるのと、相当な変わり者で、一人を好み、母親以上に子どもと関わりがなかったため登場の機会がなかったのです・・あしからず。*そして私の意地悪な推測では、母親は、非吃音者と結婚したら自分の喋り方を指摘されるかもしれず、指摘などされたら耐えられる人間ではないため、それゆえ相当変わり者でどもり癖のある父親と結婚したのではないかと思っている。相手がどもりなら自分の喋り方を指摘されることもまずないだろうからー。


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