少し自己紹介です(n*´ω`*n)

音楽の好きな、耳の少しだけ不自由な補聴器利用中の65歳。

一人暮らしです。

なぜに?一人か?

2年前。そろそろ3年になりますが。

39年半。連れ添った夫が亡くなりました。

死亡診断書Ⅰ欄には、

肝細胞癌。発症から死亡までの期間は一年。

同じくⅡ欄には、

原発性胆汁性肝硬変。16年。

と記載されています。

死亡診断書にはⅠ欄とⅡ欄があるのですねぇ・・

まぁ・・Ⅱ原因・遠因。

Ⅰ結末・結果。

と、言う意味でしょうか?多分・・・

耳の少しだけ不自由な。の意味は。

こどもの時。赤ん坊の時。

親から、いつかは?ハッキリとは聞いていないのですが、

言葉を覚えてからだと想います。

耳が悪い?と。最初に病院に通ったのは小学校の低学年。

1~2年生だったのは間違いないです。

原因は薬害だと。聞かされていました。

ストレプトマイシン。

風邪を引いて2本打ったと、亡き母が言っていました。

俗にいうストマイつんぼ。

つんぼ。今は使ってはいけない言葉らしいのですが。

そういわれても。今更?な感じで受け止めています。

子供の頃からデカい部類。

体格がヨイと言うのでしょうか?

背の順で並ぶといつも一番後ろでした。

が、耳のキコエが悪かったので、お教室でのお席は一番前。

邪魔なので端っこ。が。私の定位置。

別に。そんなもんだと気にもせず、高校生迄。

で、絵ならヨカッタのに。なぜか音楽が好きな子供でした。

小学校の高学年で鼓笛隊に入るのが夢で、

中学高校と吹奏楽部に。

高校を卒業して、琴を習いたいと親にいい。

裕福では無かったのですが、一応親は習わせてくれました。

娘時代の。まぁチョットはウツクシカッタ頃。

3年だけ、お教室に、花嫁修業の一環で通いました。

彼氏ができて、そう、その彼氏が亡くなった夫です。

耳は悪かったのですけれど。目も近眼。

まぁ。。そんなに不自由もなく。

タダ、結婚生活は山あり谷あり。住んだ場所13か所。

13か所には子供時代も含まれます。

23で結婚して24で同じ干支の娘を生んで。

40歳の頃。なんかとっても聞こえが悪くなって、

補聴器を買いました。

補聴器って消耗品なので、ずっと使える訳でもなく。

また、使い方もムツカシク、2代目の購入は48歳の頃。

55歳まで、だましだまし使っていました。

その頃夫の病状が悪くなり、経済状態も苦しくなって。

補聴器どころではなく。まして音楽どころでなく。

カツカツの生活を5年程。

まぁ。。

音楽に関しては、結婚してからはマッタク縁遠い存在になっていました。

私が還暦を迎えた頃、夫が余命半年となって、

そうか・・あと半年ね・・

ならば、入院などしないで家で過ごそうよ❕と。

在宅緩和医療を選びました。

約2年半。

素敵なDRに出会って。

心置きなく過ごせたのが、今の私のココロの支えになっています。

そんなこんなを。

小文字のdoramusumeでアメーバブログで書き綴って5年経ちました。

noteでは。

私と音楽の関わりに比重を置いて書いてみたいと想っています。











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