音楽のレシピ(その10) ーオマージュ・カヴァー・パクリ ―

自分ではオリジナルなメロディを歌ったり奏でたりしたつもりでも、後で既存の曲中に全く同じモノを発見することがままある。以前は没にしていたけど、最近はもう開き直って是としている(笑)。むしろ自覚的に取り入れたりも(どやァ!)。

例えば、難波弘之の某曲のベースラインが自作曲のメロディに自然と反映されて、「ま、いいか」と思っていたら、そのベースラインがドゥ―ビー・ブラザーズの某曲のキーボードフレーズとそっくりだったりして(爆笑)!そんな例はまだ他にもあることあること……。



そして、若かりし頃は他人様の曲を模倣するものだけど、時間と経験を積んでもまだそんなことをしている人もいる。いや、してていいんですよ?
自分の音楽への愛情や嗜好・出所等の表明となり、学理解析の勉強にもなるし、「いい趣味してるね」って褒められたくもあるし(←ゲス)。
「余裕が、あれば、カヴァーをするに、吝かでは、御座いません」(←前首相風に)

『マイルス、窓の外の鳥の鳴き声が聞こえるか? 自分の鳴き声がない、モッキンバードさ。他の鳥の鳴き声はなんでも真似るが、自分の鳴き声がないんだ。あんなふうになるなよ』(マイルス・デイビス自叙伝より)


そう。人真似ばかりで音楽経験を積み上げると……(以下自己規制)。
でも正直言って、そのことに無自覚な人達ばかりが跋扈する現在の周囲の状況に辟易していることは確か。メジャー、アンダーグラウンドの別なく。

『僕、ベース弾いてるじゃないですか。ベースって僕が作ったモンじゃないから。だからもう思いっきりパクリな訳ですよ。(中略) で、ドラムがいてベースがいてギターがいて、っていうロックバンドの方式までパクっちゃってる訳だから。オリジナリティなんて、些細なモンに為っていくわけで』(the band apart 原昌和)

『そんなのワシにも解らん。しかしワシが何も解っとらんっちゅうことは解っとる』 (某TVドラマで香川照之が言っていた台詞)



どうやら、オマージュとカヴァーの違いは、表現者が(フロイト言うところの)スーパー・エゴの段階にいるか、それともエゴの段階にいるかの違い、のようだと拙者は愚考します。以上!(続)

(貼り付けた曲は、作曲家のギャヴィン・ブライヤーズが、ジャズピアニストのビル・エヴァンスの演奏した "My Foolish Heart" に捧げたオマージュ作品。各々のタイトルのイニシャルにも注目((微笑)))



追記:サンプリングについてもここで述べるべきだとは考えたのだが、コラージュのことと合わせて更に論考を深めたいと思い、先送りとした

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