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料理から始まる冒険の話。

日曜日にも関わらず、パートナーが珍しく早起きしてきまして。

土日は1人で朝ごはんを食べることが多いので、コーヒーはハンドドリップで淹れるんですが、2人分淹れるならコーヒーメーカー使うか、ってなったんです。

私が豆を入れていたらパートナーが水をセットしてくれて、「あ、ありがとー」となってコーヒーを淹れたんです。そこまでは良い。

その結果できたコーヒーはまあ薄くて。

パートナーに聞くと水を少し多めに入れたかもとのこと。あんまりメモリ見てなかった。まあ薄めの方が美味しいからいいじゃん?って。

その時モヤモヤしたと同時に、ふと前の出来事を思い出した。


以前パートナーに料理を手伝ってもらったことがある。パートナーはレシピがあるにも関わらず、それを守らなかった。

調味料は少し多めの方が美味しいよね?あ、俺が好きなあの調味料も入れちゃえ。好きなものが入っていればもっと美味しくなるでしょ。とのこと。

私としては、料理ってバランスだし、レシピは誰かが試行錯誤を重ねて研究された結果生まれたものなので、それに合わせるのが失敗は少ないでしょ、という意見。

せめてそのレシピで初めて作る時は、レシピに忠実に作ってみる方が美味しくなる確率を上げられると思っている。

少しのアレンジが成功する可能性もあれば、もちろん失敗する(不味くなる)可能性だってある。私は料理で冒険はしたくない派。性格の差かな。

自己流アレンジして試行錯誤して美味しいものができることが、料理本来の楽しさかもしれない。けれど私の中では料理は日常なので、まず美味しく食べられるものを作ることが最優先になっている。

毎日料理する私と、たまに手伝うくらいのパートナー。その差も影響していそう。


コーヒーの話に戻ると、「私はレシピ通りの濃さが好きだから、とりあえずレシピ通りに測ってもらって、もし薄めたかったら後で薄めてもらってもいい?」という会話がなかったことがよくなかった。

前にもパートナーにコーヒーを淹れてもらったとき、水を入れ過ぎたことがあった。その時は薄過ぎてもはや「コーヒー風味の水」になっていたのでパートナーも飲めず、泣く泣く捨てたんだっけね。

その時にも「まずはレシピ通り作って、各自のマグカップに注いでから好みに合わせて調整する」って話したんだけどなあ。

平日朝は私がコーヒーメーカーをセットして2人分淹れているし、休日は最近飲みたいタイミングが被らなかったので、気づかなかった。


どうにか一般化できないか考える。

① 何も話さなくてもわかってもらえるなんて甘え。やって欲しいことがあったら伝えないと、お願いしないと、希望は叶わない。

それでも1回で理解してもらえるわけなんてない。何度も繰り返し伝えてようやくわかってもらえる。

② 自分でやった方が好きなようにできることも多いけれど、そうやって全部自分で引き受けていたら負担が増えて回らなくなる。自分の首を絞めることにもなる。

なので他人の手を借りることになる。当然自分が手を貸すこともある。

その都度一緒に模索して、価値観をすり合わせて、譲歩し合って、お互いが居心地の良いところに落とし込む作業が必要。

結果自分1人ではたどり着けないところにみんなでたどり着く。それがチームの良さ。

③ 手順通りにきっちりかっちり遂行することと、試行錯誤して正解を探していくことが必要。

じゃあ料理をレシピ通りに作ろうとするのは、思考停止なのか?とふと思った。

普段仕事で頭を使っているのに、料理にまで頭を使わないといけない状態は、私にとってはキャパオーバーだ。

決まった正解や型がない時代。冒険することは大事だけれど、ずっと歩き回るのはきつい。敵にもやられるしHPがなくなっちゃうよ。宿で回復しないと。


なんとなくまとめると、「外の力をうまく使う」素直さ・柔軟さが必要なんだろうな。

購入した本たちからもそんな共通項が見えてくる気がする。

うーん正直まだうまく言語化できていない感はある。この記事を見返して引き続き考えよう。

コーヒーひとつとっても大変なことだ。いい勉強になった。

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