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書く習慣1ヶ月チャレンジDay 15 誰かにオススメしたい本

今日は3連休前の木曜日。

プラス1日有休を足して、4連休を生み出した。

ということで仕事は定時(ちょっと過ぎたけど)に切り上げて、帰りにコメダ珈琲に寄ってきた。

コメダ珈琲のメニューってなんであんなに大きいんですかね。

いつもいい意味で裏切られる。

今日はポテサラサンドとミックスジュースにした。

ポテサラサンド、具材ごろごろで思っていた倍のボリュームだった。それでいて美味しい。

ミックスジュースもゴロンとまん丸な容器にたくさん入っていて、満足感があった。

赤いソファーの座り心地はいいし、豆菓子も安定の美味しさだし、素晴らしきコメダ珈琲。


15日目のお題は「誰かにオススメしたい本・映画・アニメ・ドラマ」。

読書好きとしては、やっぱり本かな。

といいつつ何を紹介するか迷う。

読書記録を遡る。

今年の8月末に読んでいたこの本にする。

ジェーン・スーさんの『おつかれ、今日の私』。

まさに今の自分だ。
(お風呂に浸かりながら記事を書いています)

「つい頑張っちゃう人必携の書!!」
という帯が気になった。

自分は頑張っているとは言わないけどさ。

ついやってしまうというのは身に覚えがある。

人に頼めない。頼れない。

2つ刺さった言葉があった。

本当に必要とされているとは、こちらから与えたときに自分の持っているものが増えたような気持ちになること

『おつかれ、今日の私』

仕事をついやってあげたとしても、自分の持ち物は増えない。むしろ自分自身が削られる。

ギブアンドテイクの話をつい先日書いた。

あげた分だけ相手からも返してほしいというのがみんなの大前提にあるとは思う。

でもギブした時に自分の視座が上がるというか、ステップを登った感覚になることも確かにある。

例えばなんだろうと考えた時、労働力(手を動かす)や正解を提供するよりも、たとえ正解じゃなかったとしても自分起点の経験や考えを共有した時に、この現象になることが多い気がしている。

労働力を提供しても1は1でしかないし、それが20人集まれば20にもなるというだけの話かもしれない。

正解もただ横流しされるだけというか、発展性がなくただ消費されるだけというか。手っ取り早いけど、本当は必要とはされていないんだろう。

ギブする時には自分の持ち物を外に出すので、そこではじめて輪郭がはっきりして、自分でも認識できるようになる。それが「持っているものが増えた感覚」なのかな。

頭に浮かぶままに書いていたら、ちょっと何を言いたいのかわからなくなってきた。笑

次に行きます。

誰かと仲良くなりたかったら、嫌われないように気を使って本心を隠すんじゃなくて、本音で話すしかない

『おつかれ、今日の私』

本心を隠してビジネスライクな付き合い方だと、疲れはしないかもしれないけれど、どこか虚しくなる。

トラブルを一緒に経験して、時にはぶつかって、そうして長い時間を一緒に過ごした相手には、本心を隠しきれなくなって本音が出たりする。

いい人ぶらない素の自分だからこそ、全員に好かれるわけではない。

けれど、いつ切れてもおかしくないような細い繋がりをいくつも持つより、太い繋がりを大事にできる分だけ持てた方がいい、と私は思う。

「全員に好かれないこと」をそろそろ選べるようになりたい。

八方美人になりがち。


15日目「誰かにオススメしたい本」は、ジェーン・スーさん『おつかれ、今日の私』でした!

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