旅に生きる20180814その4

※旅費は皆様の投げ銭です。よかったら投げ銭ください

今回はこの曲でも聴きながら読みませんか?

関係はないんですが景気づけみたいなものです。

豪雨、そして階段を直し鎮守の森の役目をまだ終えない大山祇神社をあとにして向かうがほぼ『福島県に観光に来た人』がたどり着けない場所。

その前にここに来る意思すら必要なく鶴ヶ城とか滝桜とか見て終わると思いますけど

はいどうですか(´_ゝ`)

福島県で『天照大御神』を祀っていてさらに名前どんずばで一番『海に近い』のがここです。

国道6号線のめちゃくちゃわかりにくい交差点を曲がって、細い道で住宅街を抜けると現れる日本最高神。

ここまで津波は来ないし、来てません。そして今は避難解除されているので人も戻っています。

奉納の年が私の生まれ年です。実に愛されているのがわかります。

最初の虎捕山から一貫して『観光目当て・神社目当ての人でも来ないようなところだけど放置されていない現在進行形の社』をめぐっているわけです。


天照が祀られるということは天気や潮の流れになにか関連があったと思われ鵜ます。

月と太陽は農耕民族からすればそれは『大きな流れ』のスケールですが

狩猟民族からすれば『その日、その日のコンディション』のスケールなわけです。




砂漠の民にとって太陽は暑さを与える地獄の対象であり、天国は涼しく処女に囲まれて過ごせる場所とされた。

日本や太平洋の島国、また気候変動によって恵みも災害ももたらされることを知っていた地域は太陽は『最高神』となる。

神話の形で『太陽信仰』ってのは男=太陽になるわけですが、

なぜか北欧神話と日本は女になっちまってるわけです。

北欧は白夜なんかもありますし、寒さもあるから女神のイメージもいいのかな?と思いつつ、じゃあなぜ苛烈な自然はあるけど平均して温暖な日本が女神になったのかというとたくさん説はありますが自分はわかりません。

きっと『産みだす』と『穀物の生産』の繋がり、そして『かかあ天下』が割と影響してんじゃね?なんて安っぽく思ったりするわけですけど。


あっさりした造りの社。

建て替えたりしていないのでしょうが手入れされているのがわかります。

福島県は山がちでありながら浜通りは走ったことがある人ならわかる通り、ひたすら海に沿ってべったりと町が張り付いているような感じ。

もちろん山からそう離れてはいないのだが、かといって狭くもない海との狭間に人々は暮らしていたのです。

しかも魚影濃いとは言えずぶっちゃければ『寒村』です。

米は少なく、水源にも遠い。入り組んでおらず単純な海岸線は岩手や宮城のように漁民が漁業だけで食っていくには辛い場所です。

だからこそ福島県はよかったのでしょう。

茨城では近すぎる。宮城では遠すぎる。

いい規模の原子力がいい距離で作れる。

そしてそれを当時の政治家が誘致し、地元民も受け入れた。


だからといって地元民の自己責任とは言いません

当時は

「安全だよ」と言われていたはずですし、危険が起きた時の補償や対策も万全と聞かされていたはず。

しかし実際に事故が起きてみたら東電も政府も官僚もみな

「のど元過ぎれば熱さを忘れる」方式、水俣病をはじめとする公害対策のように

「やりすごす」だけでしかなかったからです。


海はどうなった。太陽はどうなった。

そうやって福島は飯館や福島市、そして大熊がピックアップされるだけで

「じゃあ本当に戻っていいの?」ってことに関しては

「なあなあ」でやっておらんけ?ってことを強く感じるのです

この神社は隣に色こそ目立つが地味な鳥居があります。

お社のすぐ隣から行けるのですがここには稲荷様も鎮座されいる。

この組み合わせはもちろん伊勢と同じだ。

ごはんの世話をする神とそのごはんを食べる最高神、

こちらはダムの工事や鳶の人の奉納の記録が読める。

鳶っつってもそのへんの工事現場にいるチンピラ鳶じゃない。

国宝をはじめとする歴史的建築物にも携わるような名工の鳶グループだ。

そういう人がこんな小さくて誰もこないような場所へ社を建て石碑を建立する。

それが嬉しいではないですか

別に福島上げをすることもない。

逆に原発事故がなければ取り上げられることもなくただただ衰退する地方のクソ自治体だった福島。


それがおかしなドーピングをほどこされ歪になっただけだ。


自分は中通りの人間、さらに親戚もいるため会津とのつながりが強い。

正直浜通りは釣りで通ったくらいだ。

しかしここもいずれ朽ちる。

それは年月ではなく、人が住むに耐えきれない経済状況になるということだ。

それはどこだってそう。

むしろ復興事業によってそのスピードは速まったと思う。


それでもここに天照はいるし、海は変わらずに波を寄せる。

たまに地面を揺らし津波が押し寄せるだけで

実は

人間が騒いでいるだけで、日本の神は何も変わっておらぬと。

救いもしないしご利益もない。

ただ人と寄り添う自然だから、恵みも与えようし、災害でいともたやすく人名を奪うだけ。


結局それを「手にするには早すぎた炎」でごちゃごちゃにしただけ。

それはカグツチのくだりと同じ。

火の規模が変わっただけなのだよ

投げ銭を旅費にして旅をしてレポートしたり、リクエストを受け付けて作曲をしたりしています。