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『反中国心理作戦を脱却せよ!』(今後は、『反中サイオプ』とします) その2

孫文とリンカーン
 孫文の「三民主義」が、リンカーンの思想から学んだものだったという事実を知っている人はどれくらいいるだろうか?翻訳者の僕も実は知らなかった。リンカーンのゲティスバーグでの連邦を守るために犠牲となった人々への追悼演説(1863年):彼らの犠牲によって「人民の、人民による、人民のための政治は、この地上から消滅することはない」。
これが孫文が1924年に発表した「人民の三原則」にインスピレーションを与えた。中国が守るべき原則は:「民衆(人民の国民感情)、民権(人民の権利)、民生(人民の生活)」。
リンカーン:「私の政治は、老女の踊りのように、短く甘美なもの。私は、国内改善のための諸制度と高い保護関税に賛成だ。これが私の心情であり、政治的原則だ。」
 奴隷制の維持と自由貿易とシティ・オブ・ロンドンの金融独占によって、革命によって独立したはずのアメリカを、永遠に支配下に置こうとして、南北戦争まで起こさせたイギリスの干渉を振り払いさえすれば、人民のための政治は実に単純で真っ当にできるはずだ。
 若き日の孫文は、1879年から1883年にかけてのアメリカ滞在中に、リンカーンのこの思想の中に、中国がその二重の危機、すなわちうちからの時代遅れの王朝の伝統、加えて蔓延する腐敗と無秩序、そして外からのイギリス帝国による干渉を克服するために必要な、政治・経済の実践的な方途を見出したのだ。保護貿易とインフラ(鉄道、道路、水道など)の整備、エネルギーシステムの構築によって、構築の大幅な拡大を図った。第一次世界大戦後の中国は、貧困が蔓延し、国民としての意識が著しく欠如。辛亥革命(1911年)の希望が失われるつつあった時、孫文の覚悟は並大抵のものではなかった。「もし中国が滅びれば、その罪は我々自身の頭上に降りかかり、我々は世界の大罪人となるだろう。点は我々中国人に大きな責任を負わせた。もし自分自身を愛さないなら、我々は点に対する反逆者である。」グローバルオリガルヒに脅されて国を売りまくっている多くの西側の政治家たちに聞かせたいセリフだ。
 孫文は、ナショナリズム(民族主義、民族意識:この言葉も汚れを洗い直す必要があるよな)にちての最初の講義で、民族の若返るの道筋を明確についた。
 「人民の三原則とは、『人民の、人民による、人民のための』政治、すなわち、全人民に帰属する国家、全人民が支配する政府、全人民が享受する権利と利益、ということである。もしそうなら、人民は全てのものを共有することになる。国民が国家の全てを共有するようになれば、民生主義の目標、すなわち孔子が望んだ『偉大な共和国』(グレート・コモンウェルス)に真に到達することになるのだ。」
 この三民主義は、だから、のちに中国が国家建設のイデオロギーとして選んだ共産主義とは違う。「つまり階級闘争ではなく、主要な経済的利害の調整によって社会は発展する」のだ。利害の調整こそが政治の役割だ、と孫文は言っている。毛沢東以降の中国は、共産主義イデオロギーを一党独裁体制によって推し進めているように見える。紆余曲折はあるが、毛沢東にも、そして特に鄧小平以来、この孫文の思想は、今に至るまで、孔子の思想と共に生きている。
 孫文は、三民主義の政治の実現のために、保護貿易による国内産業の保護育成と科学技術の進歩による生活の向上を目指し成功しつつあったリンカーン以来のアメリカのやり方に学んだのだ。同じアメリカでも、時代が変わりグローバリズムの世界政府を目指す勢力に乗っ取られたアメリカに学んで売国政策に走る指導者によって亡国の道をひた走る日本やドイツとは違って、中国は今なお、孫文が掲げた道から外れることなく、国家運営を行なっている。これが、本書『反中サイオプ』の中心的主張だ。
 リンカーンのアメリカが、イギリス帝国のコントロール下にある日民主的勢力によって乗っ取られてしまったことを、中国の指導者はよく観察し学んでいるはずだ。リンカーンの暗殺に続き、その思想を受け継いだ政治家や指導者(JF・ケネディ、R・ケネディ、キング牧師、マルコムX)がことごとく暗殺されていくアメリカ帝国の真実は、そろそろ全て暴かれるべきであり、また現在そうなりつつあるように思える。アメリカ帝国崩壊後、今度は、「あの不気味で恐ろしげな中国が覇権を握る」と怯える人が世界中に多くいる。本当に中国は帝国覇権を求めているのか? 他国や他民族を犠牲にして世界を支配しようとしているのか? 本書の結論はノー! (次回へ続く)

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