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偏差値底辺ヤンキー高から旧帝大に合格した話

桜の花がきらりと散る音が聞こえた。中学3年生の幼い心にはあまりにも残酷すぎる現実だった。2013年3月、僕は高校入試に失敗してしまったのである。当時、この4年後には旧帝大に受かっているなんて誰が予想していただろう。

勉強とゲームの中学時代

中学時代は常に成績TOP、テストでは毎回学年5位以内に入るほど勉強には自信があった。数少ない友人にも恵まれ、ゲーム漬けの毎日ではあったが、それなりに楽しかった。そしてやってきた受験期。どういうわけか僕には絶対に受かる自信があった。中学3年間常にテストで上位をキープしていた経験があったからかもしれない。3年生に上がると同時に僕はある決意をした。

K高校を受験しよう。

K高校とは地元でも有名な、TOPの偏差値を誇る進学校である。僕の地元は公立高校第一主義で、私立に行く人間は公立に落ちた者だ、という悪しき風習が昔からある。僕も公立第一主義の一人で、「公立に落ちたら勉強をしない人生を歩もう」、そうとさえ思っていた。

入試本番。数学とリスニングが苦手な僕にとって難しすぎる問題が出題された。塾も行ってない人間にとって数学やリスニングというものは対策しづらい科目なのである。当然パニックになり、以降問題が頭に入ってこなかった。ただ得意科目の社会だけは満点の自信があった。それに賭けて合格発表の日をただただ待った。

番号は無かった。

これほどまでに挫折した経験はそれまでの人生で無かった。当時中学3年生にして努力というものは必ず報われるものではないのだ、と悟ったのである。今考えてみると、落ちて当然の勉強法を行っていた。本格的に始めたのが11月ごろ、受験シーズンの夏休みは家に篭ってゲーム三昧の日々だった。流石に直前期は1日10時間ほど勉強していたが、それまでの積み重ねが圧倒的に他人より足りなかった。両親は「これから勉強に束縛されない日々を過ごさないで良かったね」と言ってくれたが、K高校に絶対受かると確信していた分、そのショックも計り知れないものだった。

地獄の高校3年間

K高校に受かる絶対的な自信があったため、滑り止めの私立高校は「近いから」という理由のみで選んだ。だが本当にそこに行くことになるとは思ってもいなかった。

T高校。地元では誰もが知るヤンキー高である。偏差値はお世辞にも良いと言えず、せいぜい平均で40あるかないかくらいである。卒業生のほとんどは就職するか専門学校に行くかの2択で、大学に行く人は極めて少ない。行けたとしても地方のFラン大学という事情である。そんな学校に入学してしまった。

私立高校なのでコースが何個かに分かれているのだが、その中でも僕はPCが好きという理由で情報系のコースに入学した。だがこのコース、全コースの中でも1位2位を争うほど偏差値が低い。地元で最底辺の公立高校を受験して落ちたから来た、という者も少なくない。当然地元TOPの進学校を受けてきた者とでは話が合わなかった。

そんな高校生活を過ごして1ヶ月たったある日、僕はある決心をした。

校内TOPの偏差値を誇る特進コースへ移動しよう。

以前から特進コースへの移動は先生らから何度も促されていたが、僕は勉強をしたくないからという理由で断っていた。だが入学してみると、情報系のコースの人と話が合わない、情報系に在籍している時点で特進コースに負けている、という背徳感から特進に移りたいという願望が日に日に強くなっていった。そして2013年5月、僕は特進コースに移動したのである。当時では情報から特進に移ることが学校創設以来のことなので大きな話題となった。

だが特進に移るということは、一度やめた勉強をもう一度頑張り、さらに大学受験をしなければならないということを指していた。高校受験のトラウマもあったが、K高校に合格した人間を見返したいというただそれだけの願望からもう一度受験をすることを決意したのである。

移動して一発目のテストで学年1位を取った。校内でかなり話題となり、T高校のスターだとも言われた。だがそれも当たり前だ。テスト勉強なんて所詮暗記できた者が勝つのだ。中学時代にそれを学んだ僕にとっては1位をとったところで何も嬉しく無かった。

高校3年間は地獄のような日々だった。1、2年のときは部活漬けの毎日でまだ楽しかった(大会に出てK高校の人を見たときは悲しくなったが)。だが3年生で部活を引退し、勉強だけに励むようになってからは地獄だった。どれだけ勉強しても成績が上がらない。校内には争う人間もいない。塾に行っても同じ高校の生徒がいないため常に一人。学校終わって遠くの塾まで行って夜遅くまで勉強し深夜に寝る。そんな毎日だった。だがこんな日々も大学に受かれば終わる、そう思ってただひたすら勉強に励んでいた。

行きたい大学は高校1年の時から決まっていた。PCが好きだということと、映像やCG系、ゲーム系に進みたいと思っていたことと、絵を描くのが好きだということから行きたい大学は一つしかなかった。そこは地元でTOPの旧帝大。当時は雲の上のような存在だった。

だがどうしてもそこに行きたかった。そこに行けば今までの努力が全て報われる、楽しい大学生活が待っている、K高校に入学した人たちを見返せる、そう思っていた。だから僕は必死で勉強した。T高校から旧帝大?(笑)とバカにされることもあったが、死ぬ気で食らいついた。当時は食べずに勉強していたためかなり痩せこけていた。両親や親戚から心配されていたがそれほど頑張っていたのだ。

来たるセンター試験。正直うまくいく自信はなかった。センター模試では常に最低のE判定。奇跡でも起こらない限りボーダーに達することはない。そして本番の結果も案の定E判定だった。だがそんなとき担任の先生からある朗報を受けた。

K予備校だったら国公立大学に受かって入学すると授業料が半額になるし、予備校に行きたくなかったらその受かった国公立に行くこともできる。

これを聞いて僕は浪人しようと思った。目指していた旧帝大は受験できないが、その下のレベルの国公立を受験して合格することで、浪人してしまっても授業料が半額になるのであればまだ頑張る希望を持てた。

来たる2次試験本番。理系なので数学、理科、英語の3科目だがどれも難しく、到底歯が立たなかった。得意の英語も難しく思えた。そして合格発表の日。担任の先生と数学の先生が見守る中、携帯で発表を見た。

またもや番号が無かった。

わかっていた。だが、また努力が報われなかった。僕は受験が苦手なのだ。2度目の受験失敗なのでそこまで落胆はしなかった。しかし受験が終わった日、猛烈な吐き気と高熱に襲われた。全てが終わって今まで我慢していた分が出てきたのであろう。死ぬかと思った。

すぐさま先生と親に浪人します、と宣言した。国公立に不合格でK予備校に入学するため授業料は半額にならなかった。だがここで奇跡が起きたのである。「K予備校東京校の元副校長」という肩書きを持つT高校の先生が、K予備校に頼み込んで授業料をすべて免除してくれたのである。この事実は合格した後に気づいた。この時ほど人に恵まれたことは後にも先にも無い。先生のためにも絶対1年で受かろう、そう思った。

この1年に賭ける、落ちたら自殺する、そんな予備校時代

高校卒業後、K予備校に入学した。この予備校は地元でも厳しいと有名で、毎年その厳しさゆえに自殺者が出るほどである。だが実際入学してみると意外と楽しかった。まわりには同じ大学を受験する同志たちがいる。先生もプロの教師なのでわかりやすい。受験のみに特化しているので受験に関する情報もかなり得られる。そんな最高の環境で勉強できた。

だが夏になっても一向に成績が上がらなかった。7月にあった記述模試では苦手の物理で125点満点中9点を取ってしまった。本当に物理は苦手だった。そこで浪人中は苦手の数学、物理に焦点を絞って勉強した。

友達もさほど作らず、予備校の方針に従って予習-授業-復習×3回のサイクルを繰り返す。授業前に黒板に予習した内容を書いて先生に採点してもらう(板書システム)。休日も予備校に来て一人で勉強。13時限まで毎日予備校で勉強。予備校が終わると走って駅まで行ってすぐ家に帰ってご飯を食べて寝る、という生活を1年続けた。休日は夕方に終わるため、予備校の「休むときは休む」という方針に従って、家に帰ると弟とゲームをしていた。高校3年生のときとは大きく違う受験生活だった。楽しさえ感じた。

そんな勉強サイクルを毎日繰り返していたためか、秋には模試でA判定を取ることができた。やっと努力が報われたかのように感じた。数学も物理もこのころには得意科目になっていた。だが落ち着くのはまだ早かった。予備校生は秋頃からキープを続けるのに対して、現役生は秋頃の追い上げが凄い、というのを受験中何度も聞いていたため、今までと変わらずただただ予備校の方針に従って勉強を続けていた。

そしてセンター本番。去年と同じ会場だった。雪が降りしきっていて寒かったのを覚えている。このセンターに失敗して受験にも失敗したら2浪目に突入してしまう。もしそうなったら高校にも親にも合わせる顔がないから自殺しようと思っていた。

センターは高校入試と同様、リスニングで失敗してしまった。また化学も予想以上に解けなかった。しかし合計してみると8割を超えており、判定はAよりのBだった。なんと同じ学科を受ける人たちの中で6位だった。これは受かる、と思った。センターに賭けていたためセンターの結果が全てだった。2次試験までの1ヶ月は予備校で開講される直前講習会を数多くとり、やはり今までと変わらない勉強法を続けた。今思えばこの勉強法が性に合っていたのかもしれない。K予備校がそう気づかせてくれた。

2次試験本番は意外にも緊張しなかった。センターの結果が良かったからかもしれない。本番中、絶対受かってやる!と何度も心に誓いながら問題を解いた。落ちたら死んでしまうと考えるとより一層頑張れた。

そして合格発表の日。掲示板を親と一緒に見に行った。道中は死んだ魚のような顔だった。掲示板が続々と公開されていく中、もしかしたら番号がないのではないかとも思った。そして自分の受験した学科の番号が公開された。

初めて番号があった。

周りの人が引くくらい雄叫びをあげた。この番号を見るために何年苦労したのだろう。ついに努力が報われた。高校受験に落ちたときにはこんな結果になるなんて予想だにしなかっただろう。雲の上の存在だった大学。ついにその一員になれた。人生で一番嬉しかった。

すぐさま高校の担任の先生に電話した。先生もかなり喜んでいた。1浪こそしているが、旧帝大に受かったのはT高校で17年ぶりだそうだ。しかも17年前は推薦で受かったらしいので一般で受かったのはもう何十年ぶりである。実感は全く無かった。今までの人生の全てが覆った気がした。

夢の大学生活

合格した実感が湧いたのは大学に入学して半年ほど経ったころである。嘘のような本当の大学生活。毎日が楽しい。この毎日を送るためにズタボロの受験勉強を続けてきて良かった。一昔前に偏差値底辺のJKが慶応大に受かった話が小説化され話題となったが、同じようなことが自分にも起こったのである。そしてこの経験は、こんな不器用な僕にもそれが起こり得ることだということを証明した。

前述したが、受験はせいぜい暗記科目である。答えのある与えられた問題を、先人たちが考えた解法を暗記してきてそれをテストでアウトプットする、ただこれだけなのである。中学や高校で「成績が悪い」とはただこの暗記の作業をやってないからである。中学から予備校の7年間の勉強生活で学んだ。

だが大学に入って思ったのは、やはり旧帝大ともあって地頭が良い人が多い。大学では答えのないことに解法を見出したり、とっさに物事の良し悪しを判断したりしなければならない。僕は地頭が良くないのでその度に友達などに助けてもらっている。また頭が良いと、話も高度なため話していて楽しい。高校時代にはこのようなこと無かった。授業も学びたかったことに直結していて楽しい(興味のある分野は大きく変わったが)。本当に周囲の人たちには感謝している。

昨今では数学や現代文などが何の役に立つのか、そもそも勉強して何の意味があるのか、という議論でざわついているがこの議論自体が時間の無駄であるように思える。勉強した内容ではなく、勉強した経験が大事なのではないか。確かに数学などは生活している中で使わないかもしれない。だが、必死で大学合格というゴールに向けて勉強した苦労が今後の人生で確実に生きていくのではないか。少なくとも僕はこの受験生活を終えて勉強だけでなく人生において大事な考えを数多く学んだ。勉強した内容はほとんど忘れてしまったが、その中で残っている記憶が人生で本当に大事なことなんだと思う。

今思えば高校受験に失敗して良かったともさえ思う。K高校に入学していたら浪人もしていなかったかもしれないし、この学科に入学していなかったかもしれない。全く違う人生を歩んでいたかもしれない。出会う人間も全く違っていたかもしれない。そう考えると人生は何があるかわからないから楽しい。受験失敗していたら自殺しようと思っていたのに、大学に入ってこんなにも人生に対する考えが変わった。

今でも3ヶ月に1回ほど受験に関する夢を見る。その多くが受験に失敗して何浪もしてしまう内容である。それだけ受験はかなりトラウマだったのだろう。世の中には、すんなりと進学校に入学、国公立大に入学という人もいる。実際いま自分の所属している大学ではそのような人が多いように感じる。だがこんなにも受験に人生を振り回された人もいることを知ってほしい。その分授業も真面目に受けようと思うし、授業以外のサークルや学校生活も本気で楽しんでいる。僕はこの学校が大好きだ。

最後に私事ではあるが、1年半前に母が、半月前に祖父がこの世を去った。僕の周りから親しい人がどんどんいなくなっていく。人の死はこんなにも突然訪れるのだと悟った。受験の時毎日フォローしてくれたり、大学に受かった時に一緒に喜んでくれたりした2人の姿はもう見ることができない。何度も挫折を経験した僕もこの事実は受け入れ難かった。だがその闇も今こうしてまた光へと向かっている。挫折から飛躍へと向かうことのできる力は、少なくとも受験という経験が関わっているように思える。やはり受験は経験していて損はないのだ。

長くなったが、人はどん底から這い上がることは可能である。僕は早い段階でこれを経験した。今がきつい人も頑張ればきっと希望はある、そう思って豊かな人生を送ってほしい。

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