出口、光、逆襲。

先日、SNSにこんな投稿をした。

特に思い悩んでいるわけでもなく、なんとなーく。
あとで読み返したら「あまりにも字足らずだなぁ…」と反省するくらいに、なんとなーく。笑

コロナ禍になり"ライヴをしたくても出来ない"から始まり、"決まってたライヴが延期になる"なんてもう何本もあったりとか、"やったところでお客さんが集まらない問題"だとか、色んな問題があってやりにくくなった。
(勿論、配信がスタンダード化した事により全国どこからでも観ていただける等のメリットというか、やり易くなったポジティブな面もあるけど)

それでも、隙間を見つけて、自ら企画してみたり、ありがたく誘っていただいて、こちらの日程的にもOKなライヴをいくつかお受けしてきたこの二年弱。
ほんとに少ない数だけど、この経験がこの先の人生に何も及ぼさないわけはなく、きっと糧になるのだろうと思うし無意味だとは言わない。けどやはり「何の為に音楽作って、ライヴやってるんだっけ?」と疑問を抱かずには居られなくなったり。
勿論有観客だろうが無観客配信だろうがライヴで唄うこと、演奏する事はこの上なく楽しい。だから、出来るならそりゃあいつでも唄いたい。
でも、欲しいのはそこから先。これが、こんな状況下で演奏して皆さんに聴いて、観ていただく事が、どういう風に伝わっているのだろうか?ネガティヴにもポジティブにも捉えないとしても、どうなのこれ??と思い始めてしまうと、また上述のように「何の為に…?」となってしまう。そのループ。(おそらくだけど、エンタメ業界全体が一瞬"不要論めいたもの"を突きつけられた事により迷いが生じたのだろう。と、今ふと思う。)

勿論、有観客ライヴを観に来てくださった方にはその時間その空間を楽しんでいただきたいと思うし、配信の画面の向こうの皆さんに対してもそれは同じ。苦心しているライヴハウスのほんの少しの助けになるならそれは出来る限り引き受けたいと思うし、お客さんにもライヴ観て、少しの間現実を忘れてささやかな幸せのようなものを感じていただけたなら、それだけで十分といえば十分。それは本質だと思うし、僕にそれが出来るのであれば本望。

それでいて自分の中でモヤモヤしたのは、"点と点が線になるようなイメージが持てないから。"とでも言うべきか。開催出来たり出来なかったり不安定な中を泳いでライヴしてきて、その先にじゃあ、節目節目のひとつのゴールというか、答えというか、オチというか、着地点が見当たらない気持ち悪さ、みたいな。コロナがまだまだ収束せず(収束って無いような気もするけど…)人によってまだまだ認識や行動にばらつきがある中で、その場凌ぎになっちゃってる感。がきっと嫌なんだと思う。

全然この思考にに着地点は無いままぐるぐるしていたんだけどただ結局、それでいてこの二年弱"何もしない"という選択肢を取りようがなかった。だからここまでのライヴとか音楽活動に全く後悔はしてないし、僕なりに足掻いたと思っているので、自分の中の何かを否定するような話では全くない。
そして、エンタメは不要なんかでは絶対になく、このご時世において物凄く小さいかもしれないけどその歯車の一つになれているような、小さな小さな満足感も少しある。

ここまで書いて、上述の言葉足らずを少しでも補足出来たなら良いが←こんだけ書いて"少し"てw

さて、来年以降どうなって行くか、不安もあるけどきっと僕たちは逆襲していくのだと思う。コロナに悩まされた全ての人たちの逆襲。

こんな徒然をずっと下書きのまま置いていたのだけど、昨日観たLUNA SEAライヴで同じような事をRyu様も仰っていたので、ここに記そうと思った次第。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?