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「イタタ・・・」の映画館

子どもの頃、私の地元には3つの映画館があった。
ABCにわけるとA館は邦画専門、B館は洋画、C館はアダルト向け。(当時は「エッチな映画館」と呼んでいた。駅前やアーケードの立て看板には過激なタイトルとなまめかしく悶える女体が描かれ、私たち子どもはうつむいて通り過ぎたものだ)

なので人生初の劇場映画もA館かB館で観たはずだが――家のテレビで放映された作品とごっちゃになり、どれだかわからない。
ただB館で『アドベンチャー・ファミリー』(1975年)や『グレズリー』(1976年)を観て、ワクワクしたり恐れおののいた記憶があるから、小学校へ上がる頃には家族で出入りしていたのだろう。
ケッコーなにぎわいで、売店には売り子のおばさんらがいたし、ロビーのあちこちで笑い声や方言が飛び交い――ちょっとした田舎の社交場という感じだった。

当時(40数年前)の映画料金はいくらだったのだろう? 現在からすると相当安かったはずだが、映画1本の単価で考えると、私の地元はさらに格安だった。
なにせ豪華3本立て。
1本分の料金でたっぷり観られるのである。

しかしそれは、ある種の覚悟を要した。
「映画を観に行く」=「1日つぶれる」ことを意味したから。

中学生の頃、部活がない日曜日に友人たちとA館へ出かけたことがある。かかっていたのは松田聖子主演の『野菊の墓』とたのきんトリオのトシちゃんかマッチが出ていた映画。もう1作は忘れたがとにかく3本立てで、朝から夕方までひらすらスクリーンを見上げていた。(お昼はどうしたんだっけ? うどんでも食べたのかなあ)

スクリーンがひとつだけの古い映画館。さほど広くなく、固い座席シートはリクライニングなしの直立不動型。よって長時間同じ姿勢で顔を上げていると、首や背中が痛くなる。
「イタタ・・・」
入るときはキャッキャとはしゃいでいた私たちだったが、出るときには全員無言で首をさすっていた。

高校時代も好きな男子との初デートでB館へ入ったが、2作目の途中で相手が爆睡。口元からヨダレを垂れ流すマヌケ面に幻滅し、淡い恋心ははかなく消えた。
途中で出る選択肢もあっただろうに、なぜか毎回律儀に3本観ては「イタタ・・・」。映画館とはそういうところだと思っていた。

なので都会の大学へ進学し、初めて映画を観に行ったときはぶったまげた。
「へ、1本だけ?」
「なのにこんなに高いの?」
「ケチッ!!」
一緒に行った友人に不満をぶつけると、呆気にとられた顔でぽつり。
「フツー映画って1本だけよ」
「ええ~っ!?」

3本立てが当たり前だと信じて生きてきた私には、とてつもないカルチャーショック!!
1本だけの映画なんてぼったくり同然で物足りなかったが――1日つぶれることはなく、もちろん「イタタ・・・」もない。
大学生になって初めて知った世の中の常識。
(そ~か3本立てって田舎特有だったんだ)

よくよく考えると、地元の映画館にかかっていた作品はどれも封切から
時間が経っていた気がする。それらを組み合わせて1本分の料金で上映。ド田舎の映画館では、そうしなければ採算がとれなかったのかもしれない。

やがて私も1本のみの映画鑑賞が当たり前に。
帰省しても地元の映画館へ足を向けることはなくなり――時の流れとともにABCすべての映画館が姿を消した。

B館だった建物は、現在スポーツジムになっている。人通りがまばらなさびれたアーケードの一角。たまに通りかかると、懐かしさとさみしさが同時にこみ上げてくる。
40数年前のあのにぎわい。娯楽の象徴だった映画館は多くの客であふれて活気があり、幼い私の目にキラキラとまぶしかった。

いまでは隣市の映画館もなくなり、観たい映画はわざわざ2時間かけて県庁所在地のシネコンへ足を運ぶしかない。
そうなると今度は距離的・時間的・お財布的に「イタタ・・・」。

それでも私は映画館と映画が大好き。
子どもの頃も、老いていく未来も、やっぱりスクリーンで映画を楽しみたいな。素敵な「イタタ・・・」をかみしめながら――。



















 

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