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【献本読書感想文】君の背中に見た夢は (外山薫・KADOKAWA)

 選ばなかった人生について、たまに考えることがある。もし東京の大学に進学せず、地元に残っていたら?違う会社に就職したり、起業したりしていたら?結婚しようという、当時のパートナーとの約束を履行していたら?いくつもの分岐点のうち片方を選び、もう片方を選ばないことの繰り返しが僕たちの人生を不格好に形作ってゆく。
 そんな分岐の片方を、僕たちはどうやって選ぶのだろう?大人になった今では、合理性だとか単純な好みだとか、いくらでも自分なりの方法がある。しかし、子供の頃はどうだったろう?僕はなぜ、小学校の3年や4年から塾に通い始めたのか?地元を離れて東京の大学に進学して、サラリーマンになって、そのうえ家庭を作るという選択に片足を突っ込んだのか?まだ幼いうちに、僕の人生を効率的ではあるが退屈な形に刈り込んだのは紛れもなく両親であり、その頃にいくつもの非効率的な未来が切って捨てられたことで、僕の人生の方向性みたいなものは既におおむね決められていたんじゃないか?本当の意味での自由意志なんてものは、大人になった子供たちにはもう残されていないんじゃないか?…… そういえば、人間の能力は努力じゃなく遺伝や育ちによってほとんど決まるという話を少し前に聞いた。ある意味で、僕たちの人生の形は自ら選び取っているようで、しかし実際には生まれたときから運命づけられているのかもしれない。そう考えると、薄ら寒い感覚に襲われる。

 本書は、典型的な東京の教育ママである親戚に唆されたことをきっかけに、自分の娘の小学校受験にのめり込んでゆく母親の苦闘と葛藤を描いた作品だ。
 主人公である母親の葛藤はつまり「娘の人生の選択肢を増やしてあげたいが、そのためにまだ4歳や5歳の我が子にお受験の大変さを押し付けてよいのか?」ということだろう。本当は娘が他の子どもたちのようにアニメを見たり、ゲームをしたりする無価値で甘い時間を過ごしたいだろうと知りながら、その代わりに大人の都合で現代アートやモンシロチョウの生態に無理やり触れさせることのエゴとどう向き合うかということが、主要な課題として本書を最後まで貫いている。
 確かに、たった1年と少しのあいだ遊ぶことを我慢するだけで今後の人生が未来永劫素晴らしいものになるというのなら、投資対効果で考えれば間違いなく正しい判断だろう。しかし、その「正しさ」は本書の冒頭で示唆されるように、労働者として中途半端な価値しか出せていないと自認する主人公が、同じ労働者として自らの上位互換であるように見える大学時代の友人に対して抱く憧れ、あるいは劣等感に立脚する、きわめて個人的なものとも読める。そのうえ、東大生の就職先ランキングがここ十年ほどで公務員やメガバンクからコンサルや外資金融に変わったように、ある時点における正しさが永遠に保証されるだなんてことはあり得ない。子どもに正しさを押し付けることのエゴは自認されているようだが、そもそも正しさを決めつけることのエゴは本書においては触れられていない。僕はむしろ、その点にこそ怖さというか、親子の間に確かに存在するが無視されている原罪が潜んでいるように思えた。

「東京でサラリーマンやってる時点で負けなんですよ」という話を、このあいだ友人とした。よほどのことがない限り、たとえ有名大学を卒業したところで、ひとたびサラリーマンになってしまえば年収は二千万を超えることはなく、それどころか殆どのサラリーマンは一千万に届くことすらない。不動産価格をはじめとする生活コストは上昇の一途を辿っているし、もはやサラリーマンが東京で満ち足りた暮らしを送ることは不可能だから、流山おおたかの森あたりに引っ込むか、35年ローンでどうにか買った都内築古狭小マンションが多少の含み益を蓄えることだけを幸福の根拠にして、トイレで毎朝セコセコとスーモを眺めるほかない。僕はこの現象を「安定に搾取されている」と呼んでいる。やりがい搾取と同じようなものだ。人生の天井があらかじめ決められてしまうことと引き換えに、彼らは安定を得ている。しかし、それは永遠に続く薄っすらとした息苦しさが保証されるという、まったく好ましくないはずの安定だ。それに縋らなければならないほどに、東京で幸せに暮らすことは「無理ゲー」になっている。
 ネタバレになるからお受験の結末について触れることはしないが、主人公の娘は苦しい時間と引き換えに、将来無事に幸せを得るだろうか?もしそうならなかったとしても、「選ばなかった人生」が彼女のもとに戻ってくることはない。だからこそ、僕たちにできることは、可能な限り自らの声にしたがって、後悔のないよう生きることだけだ。たとえ僕たちの人生に真の自由意志が存在しなかったとしても、そこに誰かの声が混じっていたとしても、それはきっと誰かからの応援の声なのだと信じて。


【献本読書感想文について】
献本、つまり推薦やPRを義務付けられていないが無償で貰った本について、まったく自発的に読書感想文を書いたものです。綺麗なことを書いて売ってやって版元にデカい顔してやろう、というつもりで書いているわけではないので、穿った読み方をすることもあります。

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