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身体を持ってこの世で生きることは奇跡

ギフトという言葉は後から意味を付けられていて、元々そういう意味はありませんでした。「あたわった(与えられた)もの、人生」とあなたの母親は生前言いました。

 天から与えられたものは多種多様で、例えば命であり、人生であり、髪の毛一本ですら、それは人間が独自に作ったとは言えません。様々な知識や仕組みを神が考え、その結果人は進化を遂げてきました。この「神」という言葉に否定的な気持ちや見解を持っているなら、創造主や大いなる存在、あるいは宇宙といった自分の好きな言葉に言い替えてもいいでしょう。

 大切なのは、何もなかった所に生命が生まれ、進化し、様々な体や行動様式を持つに至ったという事実です。人や動物、植物など、この世に生まれ落ちて命が宿るものは、神が創造しました。決してどこかの人間が適当に創ったわけではなく、様々な面で体がうまく機能するように計算され尽くしているのです。

 特に人体は人間が何十年、何千年と、その仕組みや成り立ちを研究していますが、まだまだ全ては解明されていません。ある程度未知の事柄があるからこそ人は研究したり、実験を重ねていきます。新たな発見を見つける瞬間に味わえる興奮や驚きを求め、味わいたいと願って人は学び、研究します。体や植物はエネルギーの器であり、魂は器に乗り、それを動かし、様々なことをします。ただ単に人生を楽しむこともあれば、「人生をやってみる」といった事もありえます。

 今後の人生に思いを馳せる時、人は大抵不安を感じるものですが、この世に身体を持って生きていることこそが神が成した奇跡なのです。不安はちょっと脇に置き、様々な夢を思い描くことで道が開けていくことでしょう。

 ありがとうございました。(2023.2.28)

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