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人生の日向と日陰

表面しかわからない事が世の中にはたくさんあります。ただ立っている人が実は疲れ果てていたり、この世の終わりにいるような悲しみを味わっていたり。

 見てもわからない事を私達は察知し、感じ取ります。そして必要な時には声をかけたり、ただ黙って側にいたり、出来ることをします。「何もしないけれど気にかける」ということもあるでしょう。

 人はそうして他者を思いやり、また第三者から気持ちを向けられることで助け合ってきました。もちろん時には何かしら読み違いをして、余計な事をしたりします。タガが外れて暴走する人もいます。それでも、大多数の人々は世の中を楽しみ、苦労や苦痛を取り除こうとします。

 たまに愚痴ったり泣いたりしますが、そういった時の否定的な感情は、ずっと抱え込まずに外に出して捨ててしまった方が楽なのです。その捨てられた感情にたまたま出くわしてしまった人々は、同調することなく、とにかく受け止めずに横に流したり、捨てたりして下さい。バケツリレーのように渡して渡して、そのうちそれが小さくなったり、誰かが受け取り損ねて紛失してしまうと儲けもの。誰もその否定的な感情の面倒を見なくて済むようになります。

 たしかに物事の否定的な面ばかり見て、それを真っ向から受け止めたり、受け入れたりする人もいます。それが自分にとって良い事か否かを判断出来る人は、やがて物事の否定的な面より肯定的な面を見る、注目するようになり、人生の「日向」、明るくて温かい場所を歩くことになるでしょう。

 とは言え、決して「日陰を歩くことは良くない」とは断言できません。それが必要な時もあるのですから。

 ありがとうございました。(2023.2.16)

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