さよなら Silver
私は、2008年9月から4年間、
アメリカの東海岸に位置する都市に住んでいた。
当時勤めていた会社から赴任を命じられ、
独身だったこともあり気ままに暮らしていた。
一匹の猫と一緒に。
彼との出会いは唐突。
アメリカで暮らすようになって2年目のある日、
アパートメントの3階にある自宅に帰ろうと階段を登ろうとした時、ちょこんと座っている黒味がかかった銀色の猫がいた。
「どしたん?」
と声を掛けて、
鍵を回してドアを開けた所、
先ほどの猫が部屋へ勢いよく入って行った。
困ったなぁと思いつつも、
我が物顔でくつろぎ出した彼を、
なぜか力ずくで追い出す気にもなれず、
とりあえずシーチキンを出したら貪るように食べた。
異国の地で独り暮らし
寂しさもあってか、
「まぁ、預かっとけばいいか」
軽い気持ちで彼との共同生活が始まった。
念のためアパートメントの管理事務所に、迷い猫の届け出は出ていないか尋ねたところ、現状そういった問い合わせは来ていないとの事。
特徴を伝えて、もし飼い主が現れたら連絡もらえるよう伝えた。
結局、連絡は来なかった。
★
動物病院に連れて行ったら、
・毛並み的には誰かに飼われていた
・寄生虫がいるので、野外でそれなりの期間暮らしていた
そう、先生に言われた。
ふと、思い出した。
私が住んでいるアパートの一つ下の階に、
ガタイのいいおじいさんが一人で暮らしていたこと
ある日、おじいさんの部屋から荷物が運び出されていたこと
おじいさんがピックアップトラックを止めていた駐車場のスペースに立っていた【優先駐車場】の立て札が外されたこと
階段にちょこんと座っていたのは、
おじいさんを待っていたのかな
おじいさんの身内の方に、連れて行ってもらえなかったのかな
★
プライドが高く、人間の食事には一切手を付けなかった。
ガツガツ食べることはなく、食べては残し、また食べては残しの繰り返し。
窓の外に来た鳥に、異常に反応していた。
夜遅くまで私がPCの前にいると、『そろそろ寝ようよ』とでも言いたげに、手でちょいちょいして来た。
雷が苦手で、大きな音がすると直ぐベッドに隠れた。
そして、
海を渡った。
★
いずれ私がアメリカから日本に帰る。
その時に連れて帰るにはどうしたらいいか調べた。
日本の検疫上、アメリカから猫を連れて帰るのは
狂犬病にかかっていない証明が必要。
それが無いと、成田に6か月留め置かれてしまう。
#猫なのに狂犬病とは
証明の取得には、最低でも準備に7か月かかる。
マイクロチップを入れる
↓
ワクチンを2回打つ
↓
血液検査を受けて、しかるべき機関の承認を得る
↓
承認から1年半の期間内に帰国の場合は出国の1週間前にしかるべき機関の確認を受ける
↓
成田に書類をメールで送る
↓
成田で検疫を受ける
そして、いよいよアメリカを発つ日。
ワシントン・ダレス空港のANAカウンターでチェックインすると、
空港警察の方々がやって来て、
『保安上ケージをチェックしたいから、猫を出してくれ』
そう言われた。
ここで逃げたらどうすんねん、と思ったが、
いつもと違う風景にケージの隅っこで小さくなっていた彼を出すのはさして問題ではなかった。
(彼を出すときいつの間にか人だかりができていて、彼が出てきたときには歓声が上がったのがアメリカっぽいなと思ったり)
その後13時間のフライトをこなし、
成田の検疫もパスし、
そこから地元の空港まで乗り継ぎ、
迎えに来た両親の車で実家に着いた。
訳のわからないままケージに入れられ、
飛行機の貨物室で13時間飲まず食わず、
よく、耐えたなと思う。
最初は猫を連れて帰ることに難色を示していた母が、
即、彼の魅力にやられてしまい、
私が実家を出て近くで暮らすときには、
『置いていけばいいじゃない』
と言ってくれたので、そこからはずっと実家
★
一か月くらい前、
母から彼がもうダメだと
ご飯にも手を付けないと
病院に行って、色々と治療を薦められたけど、
苦しい思いするよりも家でのんびり最期を迎えさせてやりたい
そう、連絡があった。
そして、2022年4月2日、彼は亡くなった。
父と母に見送られて。
最期まで、
おしっこを漏らすこともなく、プライド高く頑張った彼。
直ぐに実家を我が物顔で闊歩して、
夏は一番涼しく、冬は一番温かい場所に陣取っていた。
★
2009年10月のあの日、
私の所に来てくれてありがとう。
こっちの都合で、
アメリカから日本と振り回してしまってごめんね。
さよなら、銀
#ペットとの暮らし
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