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よそ者

上京して間もない頃、とある駅近のカフェでコーヒーを飲みながら時間を潰していると、隣のカップルの会話が耳に入ってきた。「へ〜そうなんだ〜」。彼氏の相槌を聞いた途端、僕は彼をおかまちゃんだと思った。まぁ、多様化だし、セクシャルな部分は昔より許容されているし、そもそも個人の自由だ。とか、何とか頭を巡らせていたが、ふと冷静になる。普通の標準語だ。彼は普通で、僕がよそ者なのだと気づくのに少し時間がかかった。

生粋の関西人なので普段、友達と話す時は関西弁を使う。関西弁こそ標準語だと思って生きてきた。とまでは流石に言い過ぎたが、2年前、東京に越してくるまで標準語や関西弁という概念自体が自分の頭の中になかった。当初は言葉の壁、、方言の壁を上手く受け入れられず、関東の人は少し冷たい、さばさばしているという印象が強く、打たれ弱い僕は職場で投げかけられる真っ直ぐな標準語にいちいちダメージをもらっていた。今では自分もエセ標準語を使うのだが、やはり違和感。もっと言うと、未だに東京に住まわせてもらっていて、それをもう一人の自分が外から見ているという感覚がある。

そんなある日、行きつけの中華食堂のカウンターで一人呑みをしていると、50代くらいの少し地味めのおじさんが僕の隣に座った。きょろきょろと壁に貼ってあるメニューを吟味し、店員さんを呼び注文する。程なくして、瓶ビールともつ煮込みがおじさんの元に運ばれる。横目でおじさんのもつ煮込みを見ると、少し赤みかがっていたので、メニュー表に小さな文字で「ピリ辛」と書かれていた。何となく、「そのもつ煮込み、、辛いですか?」と尋ねると、少し驚いた素振りだったが「いや、そんなに辛くないよ!!ちょうどいい、、旨辛みたいな感じだよ!!」と想像よりかなり元気な声で返ってきた。すかさず僕も店員さんを呼んで、もつ煮込みを注文をした。それから何となくおじさんと気まずくなりかけたので、「あの、、よくこのお店、来るんですか?」という取り繕うような質問が口から漏れた。聞くと、度々テレビなどで取り上げられる有名なこの店に前々から来てみたいと思っていたとのこと。たまたま近くで用事ができ、ご時世の関係で時短営業になる前に念願叶い来訪といったわけだそう。そこから、そのおじさんは小さな会社の社長であること、独り身であること、そのお店から家まで1時間くらいかかること、実家は千葉にあること、コロナの影響が仕事にもろに出ていることなど、とにかく色んなことを話した。気づけば1時間も喋っていたこと以上に僕が驚いたのは、生粋の関東人の方と初めて心が繋がった感覚があったことだった。利害関係がないと人は本音を話しやすくなると聞くけど、そんなチンケなものではない。もしかしすると、関東だの関西だの偏見を持ちすぎていたことが、僕がいつまでも自分をこの街でよそ者であると感じる理由なんじゃないのだろうか。

話がひと段落したところで、先にお暇させて頂くことに。1杯で済ませようと思っていたビールを2杯飲んだので少しほろ酔い。会計を済まし、おじさんに、「お先です。」と声をかけた。おじさんは「ありがとね!」と言ってくれた。店を出ると、外が寒い。おじさんとは、もちろん連絡先の交換はしていない。おそらく一生、会えないだろう。だけど、寂しさはない。ようやく受け入れてもらえたような気がしたから。いつもより少しだけ胸を張って歩く。家は近い。

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