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深くて、遠い。

夜、ほぼ毎日のペースで散歩をする。短くて15分、長ければ1時間の道のりでは色々なことが頭の中を巡る。今日起こったこと、仕事で失敗したこと、いまのことや将来のこと。日によって考えることは違えど、なにかしらを抱えながら歩く。よく周りの人から「ぶれないね」とか「芯があるね」と言われるのだが、こちとら毎日スマホを待たずに夜道を歩くものだから、ぶれない芯だって備わる。おそらく人より1つのことについて考える時間が長いので、より深く遠いところで思考する癖がついているのだと思う。暗い夜道を歩き終えた頃、頭の中のもやもやが少しだけ晴れる。とても大切な時間だ。

一見、突き詰めて考えることができるのは一つの才能のような気もするが、それはつまり孤独との戦いでもある。他の人があまり通らない道は、当然、人通りも少ない。そもそもその道を通る必要がないし、道の存在すら知られていない。そんな孤独の道の中で育った本音をいざ他人に開示しようものなら痛い目にあう。話が伝わらない、理解されない。また、他の人の話を自分がおもしろくないと感じる。友達はいるが、理解者はいない。自分の本音を疑う。そうすると孤独や寂しさが一気に押し寄せてくる。つまり、ここ数年はそういう状態だった。

暗闇を照らしてくれたのは、ある友人の存在だった。学生時代からの付き合いとなるその友人と、会う機会があり、そこで色々な話をした。自分の深くて遠いところにある本音を聞いてくれたし、逆に聞かせてくれた。確かに話が伝わった感覚があった。その後、1週間ほど、体がふわふわとした感覚が抜けなかった。心の中が幸福感で埋め尽くされていたのだと思う。この幸福感の正体は何だろうと考えたが、上手く言葉にできなかった。はっきり分かったのはその友人が自分にとってこの先も圧倒的な味方でいてくれるという事実だった。本音を肯定してくれる人の存在は自分に自信を宿す。生きていてあと何人にこんな人に出会えるのだろうか。決して多くなくていい。自分の話を真っ直ぐ聞いてくれる人が数人いれば僕は大丈夫だ。

「20代はあっという間だぞ~」と言われることがある。その度に「そうかな?」と思う。特に去年はこの記事で書いたことを主に感じていたので、すごく長い1年だった。今年はどんな年になるだろうか。コーヒーを一口飲み外を見ながら考える。窓から覗く空は青く澄み渡っていた。

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