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四十九日と五十祭と愛猫と

初詣やクリスマスをイベントとして捉えている私は、いわゆる「無宗教」なのだが、もし海外の人に宗教は何かと聞かれたら「神道」ということに決めている。

決めたのは高校生の時。当時とても尊敬していた天文学者のカール・セーガンが、無神論者であるがゆえにアメリカでは変人扱いをされてるという記事を読み、もし自分がアメリカに行って尋ねられた時のために備えようと思って、悩んだ結果、「神道にしよう」と決めたのだった。

神道と決めた理由は単純で、自分の誕生日が熱田神宮の例祭にあたり、毎年花火が上がるのが気に入っていて「熱田さん」を身近に感じていたからである。それに神道の「八百万の神」という、神様をひとつに絞らない考え方も受け入れやすかった。

2023年5月25日は、愛猫・チャ太郎の四十九日だった。供養については仏式以外に知らないのだが、ふと、神道での供養はどうなってるのかと気になった。そもそも私の宗教は神道と決めてるんだし、知るべきだよね。

すると、神式の忌明けには五十日祭というものがあり、四十九日が故人を極楽浄土に送り出すのに対して、五十日祭は故人を家庭を守る守護神として迎え入れるらしいということがわかった。

四十九日で完全にあちらの世界に行ってしまうという考えに寂しさを感じていたので、この五十日祭の「迎え入れる」という考え方に出会って、ちょっとした安堵感を感じた。

ちなみに四十九日はチャ太郎の20歳の誕生日でもあった。20歳の誕生日と四十九日という区切りの日が同じということに気づいて、その埋められない空白の期間をちょっと切なく思った。なお、チャ太郎の二七日は両親の祥月命日でもあった。私の家族はメモリアルな日をより深く印象付けてくる。

トップのイメージ画像は、チャ太郎の四十九日の時に作ったお供えの花。白や黄色の花を背景として、赤く輝くガーベラをアクセントとして挿してみた。ガーベラには「常に前進」という花言葉があるらしい。一つの区切りを終えて、またひとつ前に進む。

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