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筆運びの疑問を解いて見えてきたもの

前回に続き、書の話である。

社会人1年めの自宅書道教室

社会人1年目の頃、自宅に先生を招いて書道を学んでいたことがある。きっかけは、入社早々、賞状の名入れをする仕事を任されてしまったことにある。何故そんなことになったのかというと、子供の頃の段位は意味がないと聞いていたにもかかわらず、履歴書の特技欄についうっかり「書道五段」と書いてしまったからである。

それは大筆に対するものであって、以前から述べているように私の小筆は壊滅的に下手だった。それまで名入れを担当していた先輩に「小筆は下手だ」と告げたが、彼女も重荷に感じていた仕事であり、それを手放す絶好の機会を逃すはずもなく、にこにこしながら私が担当するのを決定事項として譲らない。上司も私の書類のペン字を見て、そこそこの文字が書けると思っているので、私が担当することに意義がない。抵抗しても無駄だと悟り、仕方なく引き受けることにした。

自宅に戻り、母に困ったことが起きたと話したら、以前から書を学びたいと熱望していた母は、一緒に学ぼうと言って先生を探し出してきた。母の友人の友人の娘さんが、書道を営んでいるという。たぶん、その先生は書道家で、教室という場所を持っていたわけではなかったのだろう。土曜日の午後、わざわざ我が家までお越しいただくことが決まり、自宅書道教室が始まった。

先生は色白で切れ長の目を持つ、とても美しい女性だった。明るく気さくな性格で私と年が近かったのもあり、すぐに打ち解け仲良くなった。彼女の所属する流派は、愛知県生まれの書家・鈴木翠軒の「翠軒流」であった。「翠軒流」の書は、薄墨のふわっとした書風が特徴だったが、彼女の書いてくれた小筆の手本も、柔らかく優しいかな文字の書だった。

今はかな文字をとても美しく感じるし、書いていても楽しい。しかし、当時の私が学びたかったのは、かっちりした漢字を書く実用書道で、優美で芸術的な書は希望していなかった。たぶん、そのことを数回は先生にお話したと思うが、何故か私の意向は届かなかった。願いが叶わない私は学ぶ意欲もわかず、筆先の動きを面白がって手を出してくる飼いネコを膝に乗せ、30分も経つとネコのせいにして練習をさぼっていた。

そんな僅かな時間で書いた書だったが、割と器用な私の文字は褒められることが多かった。唯一「側筆」であることを、よく注意された。先生が書きながら教えてくれたこともあったが、やる気に欠けているのもあり、一向に理解出来なかった。やがて体の弱い先生は、妊娠とほぼ同時に切迫流産・長期入院となり、自宅書道教室もそのまま終了となった。

筆運びについての発見

今回、筆ペンを学ぶにあたり、改めて「側筆って何だろう」と思った。自宅書道教室時代、書いて見せてもらっても理解出来なかったこともあり、筆ペンの先生に書いてもらうよりもネット動画の方がじっくり観察出来るかもと思い、YouTubeで大写しになった「側筆」の筆先の動きを見ることにした。筆を置き、すっと動いたその時、はっとした。その動きはまさしく、私の子供時代の筆運びだったのだ。

単純に言うと、筆を立てると「直筆」、筆を寝かせると「側筆」になる。子供時代の私の持ち方は、鉛筆持ちのような筆を寝かせた形だった。たまに先生が後ろから手をとって書き方を教えようとしたが、私はそれに従わず、先生の動きを無視して、自分の書きやすいやり方を貫いた。先生は母に私の頑固さを嘆いていた。

YouTubeでの別の筆運びを見て、先生が手をとって教えようとしていたのが「直筆」だったのに気がついた。しかし、当時、直そうとしなかったのは、私には直す理由が無かったからだ。「側筆」で書いていても、どんどん段位は上がり、初級飛ばしで初段にもなった。作品展に応募すれば賞を貰えることもあった。自信を持っている子供に、やり方を変えさせるのは難しい。

しかし、この「側筆」が、小筆が下手の原因だったのかもしれない。筆ペン教室初日、先生が「筆の角度はこれぐらいで」と見せてくれたのに合わせて、筆を立てて書いた。すると、「壊滅的に下手」というほどでは無い文字が書けたのだ。もちろん上手なわけではない。が、絶望的な気分になるほど下手ではない。不思議だった。書いた書を先生のところに持っていくと、「あ、いいですね。書道経験者ですか?」と尋ねられた。「はい」と答えると、先生は大きくうなずきながら、朱筆で大きな三重丸を書いてくれた。

今回、素直に筆の角度を変えることが出来たのは、数十年習字から離れ、すっかり筆の持ち方も忘れてしまっていたので、ゼロから学ぼうという姿勢があったからだと思う。うまくいかない時は、一度対象から距離を置き、気持ちをリセットすると道が開けるのかもしれない。まだまだ思うような線は書けずに苦労しているが、毎日、筆ペンの練習を楽しく続けている。

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