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出かけた先が浸水したことがある

講習会場にて

予想外の浸水

2000年9月11日、仕事帰り、私はとある講習会に参加していた。会場は名古屋駅西側すぐ近くにあるビルの2階。その時の天気がどうだったか全く記憶がない。もし雨だったとしても、気にならない程度だったのだと思う。

2時間ほどの講習が終わりかけた頃、事務の方がゆるりと会議室に入ってきて、「1階が水没しています」と言った。受講生たちは、最初何を言っているのか理解できず無反応だったが、次第に「水没?水没?」と声が大きくなっていった。

会場は中二階のバルコニーのような場所だったので、上から1階全体を除くことが出来た。営業時間を終えて電灯が消された1階の床は、外からの灯りで、黒い水面がゆらゆらして見えた。ふんふん、なるほど、水没だ。

更に「地下鉄が雨で止まっているらしい」という声が聞こえてきた。雨で地下鉄が止まる?地上の鉄道ならわかるけど、地下で動くものが止まるってどういうこと?

それまで経験したことがない出来事に、受講生みんなが戸惑っていた。

線状降水帯

幸い、私の利用する地下鉄は通常運行していたので、無事帰宅出来たのだが、翌朝、私は名古屋市東部の広い地域が泥水に覆われ浸水していることを知る。原因は、1年の1/3の降水量というとんでもない雨量で起きた冠水に対して、排水ポンプの能力が追い付かなかったからだ。川の決壊ではなく、冠水で同じ名古屋市内の街が水没するなんて。空撮されるLIVE映像を目の当たりにしても、信じられない気持ちでいっぱいだった。

この水害をもたらしたのは、「線状降水帯」によるものだった。今でこそ当たり前のように使っている「線状降水帯」という言葉だが、この言葉が日常的になったのは、2014年8月に起きた広島市の豪雨による土砂災害からだという。2000年当時は、台風が直撃でもしない限り、豪雨による水害が発生することなど、想像も出来なかった。

個人的には、こうした突然の豪雨による水害が始まったのは、この2000年9月11日、後に「東海豪雨」と称されるようになった災害からのように感じている。

打ち上げ会場にて

床下浸水

実は、出かけた先が浸水したのは、これが初めてではない。それよりずっと昔の高校3年生の時、文化祭の打ち上げをしていたら、その店の1階が浸水した。

この日は夕方から雨が降り始めたのは覚えている。会場は2階の和室。食べ物も食べつくして、みんなでワイワイ会話を楽しんでいた頃、突如1階にいたお店の人が、ダダダダダっと階段を駆け上がり、私たちの部屋の窓から瓦屋根に飛び出していった。不思議に思ってみんなが行く先を見守る中、窓から戻ったその人は、無表情のまま何かを抱え、勢いよく再び1階に戻っていった。

その時、雨がかなり強くなっていたことには気が付いたが、「今のは何?」と思いつつも、再び友達とのおしゃべりに没頭していった。ほどなくして、階段近くにいたクラスメートが「おーい、1階が浸水してるぞー」と言った。その階段から下を覗くと、確かに1階の床が見えない。上がり框は見えるので、床下浸水らしい。

浸水していることは把握したが、私たちに全く危機感はなく、それからも更に、しばらく友だちと雑談をしていた気がする。しかし、既に飲食を終えていたので、そろそろお開きにしようということになり、帰ることにした。

川になった道路

学校からよく一緒に帰っていたAちゃんが、店から自宅に電話していた。お父さんが、近くの駅まで迎えに来てくれるという。そのお店から駅までは徒歩10分程度。普段よく歩く道だ。お父さんの話では、迎えに来る道路に問題はないらしい。

交通機関がどうなっているかもわからず、家が遠いので帰れないかもしれないという友達2人に「うちに泊まれば?」と声をかけ、合計4人の女子で川になった道を歩き始めた。その時の水の深さは、ふくらはぎぐらい。流れはなく、子供用プールの中を歩くような感じだった。

私は、川のように変わってしまった道が楽しくて面白くて、結構、ハイテンションだった。Aちゃんと私は雑談しながら先に歩いていたが、後ろの2人はとても怖がっていた。夜だし、暗いし、足元は見えないし、それが当然の反応だろう。

歩き始めてしばらくすると、2人の男子が心配して来てくれたので、後ろの2人は彼らに任せた。進めば進むほど、水嵩はどんどん増していく。遅れがちな後続の2人は、終始不安の声をあげていた。

膝上ぐらいの深さになった時、3メートルぐらい後ろにいる2人に向けて振り返りながら、「大丈夫だよー」と声をかけた。すると、踏み出した右足の下に地面が無く、バランスを崩して大きくよろけた。急に沈み込む私を見た後続の友達が「キャー」と大きな声をあげた。安心させようと思って声をかけたのに、これでは逆効果である。

そういえば、歩道って、ところどころマンホール用にくり抜かれたところがあったなということを思い出し、そこから先は出来る限り、歩道幅の真ん中を歩くよう注意した。

駅の数メートル手前で、水はすっかり無くなり、私たちを見届けた男子2人は、再び店の方へ戻っていった。既に駅にはAちゃんのお父さんが車で待っていてくれて、2人の友達と私の3人を自宅まで送り届けてくれた。

そして後悔

正直、その時は、この非日常の体験をとても楽しんでいた。しかし、その後、私はあの川のような道路を歩いたことを深く後悔する。何故なら、翌朝、足全体が発疹で真っ赤になり、猛烈なかゆみに襲われたからだ。

プールの中を歩くのと一緒と思っていたが、そうか、あの道路に溢れていた水には下水も含まれていたのかと、その時、やっと気が付いた。もちろん、帰宅してからお風呂に入り、しっかり石鹸で洗い流したのだが、それでも汚水は私の足の皮膚を確実に傷めていた。

あれ以来、浸水で腰高まである泥水の中を歩く人の映像を見ると、そこ、歩いちゃいけないよ、その水汚いよ、大変だよと思う。2000年9月の時、床を覆う1階の水面を見た時思ったのは、「ああ、かゆくなったらどうしよう」だった。もう冠水した水には入りたくない。

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