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避けては通れぬ、九龍城寨の話

(写真はwikipediaより)

九龍城寨。そこは今なお伝説に残る香港の暗部。
解体されてそろそろ30年も経つのに、いまだに危険地帯として話題にのぼる場所。
昔の香港の写真には必ず出てきます。特に飛行機と一緒に写った写真は何枚でも見つかりますし、You tube上でもいくつもアップされているお馴染みのエリア。
昔の香港関係の写真をアップしているFacebookの書き込みなどに「日本人はどうしてあんなに九龍城寨が好きなのか?」という不思議そうなコメントを見かけることがあります。どうやら香港人にとっても日本人の九龍城寨好きは関心事のようです。
なにしろ日本語版Wikipediaで九龍城寨を調べると、英語版、中国語版に匹敵するほどの詳しい内容が記載されています。

私が子供のころは、当然そこは避けるべきエリアとして頭に入っていました。
これは別に親から教わったわけでも学校で教わったわけでもありません。旅行ガイドブックに書いてあったものを読んだだけです。
とにかく当時のすべてのガイドブックに「危険地帯なので近づかないように」と書いてあったのですから。ただ、当時は九龍城寨と書いてあるガイドブックは皆無で、単に九龍城と書かれていました。
「香港の魔窟」「香港のカスバ」「一度入ったら生きて出られない」……。恐ろしや。
しかし「カスバ」ってなんだろう?粕場?

私は香港島側に暮らしていたので、直接近くまで行く機会はありませんでしたが、たまになにかの用事で九龍側に行くこともあります。大概はタクシーか父の運転する車なのですが、道すがらの行き先案内板に「九龍城 機塲 ↑」などと書いてあれば、「危険地帯を通過するのだな」と緊張しましたし、バスの行き先に「九龍城」とあれば「乗客は香港マフィアかもしれないからあのバスは要注意だ」などと勝手に思っていました。そんな危険なところに住んでいる人が実際にいるものなんだな、と変な感心をしながら。
今にして思えば爆笑モノです。でもガイドブックも悪いんですよ。「九龍城寨」と「九龍城」をちゃんと区別しないんですから。

私が大学に進学したころ、プラザ合意後で円高が急速に進み、あっという間に1HK$が20円くらいになってしまい(私が住んでいたころは40円くらいでした)、不景気にも関わらず海外旅行者が急に増えました。私も5年ぶりに香港に足を運び、一週間ほど滞在して感慨に浸ったものです。卒業の少し前は完全なバブル期で、香港へ行く日本人も増え、ブランド品を買いあさって帰国する人が続出、今の大陸客同様顰蹙を買っていた時期でもありました。
ちょうどそのころから、わざわざ九龍城寨に行く人が増えてきました。当時はアルバイトの時給が急激に上がり、香港行きのチケット代ぐらいすぐに貯められたんですね。それでバックパックで旅行する人が増えた時期だと思います。冒険好きの若い旅行者が「地球の歩き方」を片手にこっそりと入り込む。これまでいったい何人がカメラを構えて「喂,咩事啊!」と怒られたでしょうか。
そこでやっと気づきました。どうやら「九龍城寨」と「九龍城」は別物であると。そして「九龍城寨」は魔窟と言うほどの危険地帯ではない、と。(気づくの遅すぎ!)

「九龍城寨」の成り立ちは、そこが中国側の飛び地のようなエリアになっているので、香港政庁が手出し出来なくなったということになっています。でもちょっとおかしな話です。人民解放軍が常駐しているわけでもなく、その気になればいくらでも警察が入れたはずですから。実際、80年代以降香港返還がリアルに迫ってからは警察のパトロールも入っています。
香港は、中国からの移民が合法不法を問わず流入し続けた町です。100万人以上との推測もあります。私は香港政庁が「九龍城寨」を移民の受け皿がわりにうまく利用していたのだと思っています。もっとも受け皿というよりゴミ箱のようなひどい環境でしたが。

麻薬をはじめとする不法な取引、売春、賭博などあらゆる違法行為があったのは事実ですが、同時に医師、特に歯科医が多いところとしても知られています。これは中国が文革時代に知識人を迫害したため、生命の危機を感じた医師をはじめとする知識人が逃げてきて、住む所もないので転がり込んだからです。その医師免許は中国のものですから英国領の香港では通用しなかったので、やむを得ず不法開業になってしまったわけですね。ですから住民の多くは普通の人で、もろに「ヤクザ」な人はむしろ少なかったはずです。

私が就職してから出会った人で面白い人がいます。「九龍城寨」で生活していた経験がある日本人Yさん。彼は香港関係の著作が何冊もあり、コラムも多数あるのですが、彼のテキストによれば「治安はむしろ良かった」そうです。中にはちゃんと学校も幼稚園もありましたし、住民の意識が意外に高く、自治会がしっかりしていたと言うことです。
住民相互の仲間意識が非常に強く、ヤクザも城寨内では堅気の住民とケンカしなかったんですね。常識的な行動をしている限り、城寨外より治安が良いと言うのは納得がいく話です。

住民は知識人が多く常識的で結束力もある。それがなぜ「魔窟」とか尾ひれのついた話になったのか?
外部の人間が誰かの手引きで城寨内部に入り、違法ストリップ興行を見れば、あぁ、やっぱりここは無法地帯なんだなと思うでしょうし、公然と犬鍋を食べられるのもここだけですし、もし一度でも薬物依存患者を見かければそれが日常だと思ってしまう。
用もないのに入り込んで勝手に写真を撮られれば、ヤクザじゃなくてもコラ、あんたなにやってんだ?となりますよね。そうやって首根っこを掴まれた人が叩き出されて「やっぱりあそこはコワいところだった」と友達に話をすれば、これは伝言ゲームになるんでしょうね。
結果、外から見えないものだから好き勝手に伝説を作り上げていったんでしょうね。なんとも無責任で、コワい場所どころかむしろ誤解されていたかわいそうな場所に思えてきます。
結局、生きて出られないなんて大ウソでした。大体あの狭いエリアに死体を埋めるスペースなんてどこにもないのに…。

それでも懲りない日本人は、川崎にこんな施設を作ってしまいました。
18歳未満入場不可のゲームセンターだそうです。なんともはや。

※なお、2019年11月に惜しまれつつ閉店。行ってみたかった。


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