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突然のはやりもの。

風邪やちょっとしたハライタなど子どもにはどんなに注意を払っていてもやはり、突然おこるものでして、それが平成の中頃まではよく見かけた『真冬に半そでに短パン』の大変に頑健なお子さんだって例外ではないだろうし、うちの3歳のように

「いいですかおかあさん、この子にとっての風邪はね、転じて心膜炎なんかを引き起こす事がありますのでね、あまり軽く見てはいけないのですよ、ええもう肺炎なんてもってのほかです」

そういう厳重注意を受けておる持病もちの子であっても、それ故にどんなに工夫をこらして風邪その他病気を回避しようにも、まさか自宅に無菌室を設えて育てるわけにはいかないのだし、かかる時はかかる。ひとは生まれて生きてその長き道のりの中で一度も風邪をひかずに、下痢とは何かを知らずに、哀しみをしらずには生きられないものです、人の世の定めというか。ええと何のことかと言うと、3歳の娘が日曜日に何の前触れもなく発熱してその後体にポチポチと発疹があらわれて度肝抜かれたということを言いたいのですよねわたしは。


幼児というものは突然、何の前触れもなく高熱を出す事があって、それは真夏の青空、雨雲の気配もなかったのに突然空が真っ暗になりそして急な豪雨、着ていたものからぽたぽた水がしたたる程になにもかもずぶぬれとか、それによく似た現象であることよと思うのです。ただもしかすると当の本人は

(なんやろなあ今日は首の後ろがスース―するなあ、ちょっと体の芯がぞくぞくする…これはもしや発熱?)

そこまで明確に自分の不調を捉えてはいないやろうけれど、しかし幼児だってからだの快・不快、掻・痒、言葉にはできなくとも感覚的なことはわかっている筈やし「何かおかしいな」という雰囲気くらいは知覚しているはずで、思えばこの日曜の朝も、普段なら

『やめて、寝といて、まだ外は暗いのよ』

と何度言っても朝4時からしゃっきりすっきり起きだして、さあ冷蔵庫からヤクルトを出せ、今日の朝食はなんなの、口笛はなぜ遠くまで聞こえるのあの雲はなぜ私を待ってるのと、アルプスの少女ハイジなみのテンションでこちらに迫って来るというのに、なぜだかこの日にかぎって朝8時までぐうぐう眠りこけていてちっともぜんぜん起きてこなかった様子を

「何だろうねえ珍しい事もあるものだねえ」

寝ぐせのついた10歳の娘と朝の温かいミロなどを飲みながら3歳の体のぶんこんもりと膨らんだ布団を眺めていたものだけれど、それだよ、それこそが不調の前兆なのだよ。でもこういうのって後から思えば…と思い返す事はできてもその時は「うむ、今日はよう寝る、ええことよ」と思ってしめしめと朝の用事をすませてしまうものなのですよね、わたしのアホ。


結局娘の不調に、というより「あ、この子熱ある」という事実に気が付いたのはこの日の午前中、息子の予防接種の付き添いのために駅前のクリニックに自転車で出かけた時で、そこは駅から徒歩3分程で、ほんまにすぐそこのビルやし駅前の駐輪場に自転車をとめて歩こう、3歳はもちゃんと自分の足で歩けるよねと彼女の手を引いた際

「アルケナイ…」

と力なく道路にへたりこんだ瞬間で、そうなると時すでに遅し、3歳は

(しんどくて歩けないの、アタシの世界は今日ここで終わりなの、この先全部の道のりをすべてママが抱っこで移動してください)

そんな表情をしていて、この時はあと1年もすればわたしと背丈が並ぶ勢いで日々縦に伸びている12歳の息子がいてくれたお陰で、彼に手持ちの荷物を全て預けて酸素ボンベ一式約3㎏、娘本人約16㎏をかかえて歩くだけですんだのだけれど、普段なら本人備品手持ちの荷物、すべてを丸抱えして腰と二の腕が死んでいたことやろうと思う。この3歳は病児にしては妙に育ちがよくて身長は現在約100㎝、さすがにもうベビーカーには乗らないし、体力がないなりにしっかりとしたあゆみで歩く事もできる、ゆえに医療関係の装備は手持ちであり、今、毎日だいたい3歳を帯同して歩いているわたしはいつでも荷物がやたらと多くて重い。

それで帰宅して即、3歳の腋下に体温計を突っ込んでみれば果たして体温38.5℃。いわゆる高熱を出してしまった子がこの場合は心臓疾患児であって、そしてその日が普通の『街のお医者さん』のほとんどがお休みしている日曜日であった時、いったいどんな選択肢があるかと言うと、これはあくまで我が家の3歳の場合ですけれど

1・かかりつけの大学病院の救急外来に電話連絡の上、受診
2・契約している訪問看護ステーションの訪問看護師にオンコール

の2択がありまして、手持ちの薬でとりあえず耐えて翌日一般外来受診を即決というルートをあまり選択しないものなのですよね。それは様子見の間にどんどん状態が悪くなって結局救急車で救急搬送という事態を避けねばならないからです。だって救急車乗りたくないし。あれは中で仰臥する人にはどうかわからないけれども、その傍らに座る付き添いの人間には意外に乗り心地が悪いものなのですよ、そもそも乗り心地第一という乗り物ではないし、揺れるのでフツウに酔う。

それで今回わたしが選びましたのは、3歳の健康管理について今いちばん頼りにしている訪問看護師さんに電話するルート。これはたとえば心配にかられて毛布でぐるぐると巻いた我が子を抱えて足袋ハダシで、など言わないよね今時、とるものもとりあえず大慌てで大学病院に突進したとしてもそこにはひとつ大きな問題があって、白い巨塔・白亜の要塞・大学病院とはいえども専門医がいつもそこにおられるわけではないからなのです。

うちの3歳の場合の専門医とは小児循環器医のことで、3歳のお世話になっている大学病院にはごく数名しかおられない希少種、そしてその先生方にはそれぞれお休みの日があるわけやし救急にいってもそこに居なければいないのです。まあ病院の隅々を探せば一人くらいはどこかに潜んでいそうな気もするけれども。それで普段なら専門医が主治医として体調を厳重に管理している3歳が救急外来に行き「うん僕、この子初見だね」という先生にあたった場合「あー…心臓の子かあ、なら心配だね、明日また主治医に診てもらうといいね」と言われて、地下の薬局でそれだけは処方してもらった解熱剤を貰って細かいことはまた明日、そのために半日を費やして、ほんとうにもうただつかれただけであったよなんてこと結構ざらにあるのです。しかしこれは先生が悪いのやない全部…何が悪いのやろ、別にだれもすき好んで特別な病気で生まれるわけではないのだし、それはもう不可抗力、不可抗力なのよと、わたしはここ数年で学んだのです。

そんな訳で呼びましたよ訪問看護師さん、来てくれましたよ、ここではサイトウさんと呼びますけれども、それはもう「頼りがい」「度胸」「気合」を絵に描いて空に飛ばしたような朗らかにすてきな看護師さんが。

「娘ちゃんどうしたん、ダイジョブ?風邪かな?」

オンコールして数十分、車で駆けつけてくださったその人は、この3歳が長い入院を終えて退院した今年の春、退院前の相談会・退院カンファレンスの時から3歳を担当してくださっていたベテランで、それなのに夏の前のある日とつぜん「暫く来られへんのよ、元気でね」などと言うので、一体どうしたのですかとつい聞いてしまったら、それはこのサイトウさんが以前は長くICU、集中治療部にお勤めであったひとで、そしてその命の最前線に長くお勤めであったということは、いわゆる生命維持のための諸々の医療機器、人工呼吸器であるとか『ECMO』という言葉が1人歩きする程にこの数年で有名になってしまった循環補助装置など難解極まりない機械の扱いに長けた専門性の高い看護師であるという事なのですよね。そしてサイトウさんはそのかつての腕を買われてまた最前線に行ってしまわれたのです、そう、コロナ病棟に。

そのサイトウさんがひょっこりと我が家の小さな玄関にみっちりとした大荷物とともに現れた時の安堵と嬉しさと言ったら、太平洋の真ん中、四方が海の深い青しか見えず小舟で漂流する水平線の向こうから大きく白い船が見えたごとくのことで、だってこの時娘ときたらSpO2が93%もあったのですよ。と言ってもそれってどういうことやねんと普通は思うやろなと、それはわたしもそう思います。だって普通の人間ならSpO2(血中に酸素がどれくらい含まれているのかという数値ですね)は平素100%~97%と言われていてそれを下回ると突然息苦しい感覚に陥るのですよと聞いているし。

しかしこの3歳は持病のゆえに酸素を使っていても平素SpO2は85%前後、それが仮に90%を越えてくると、それは「改善してる!よかったね!」ということではぜんぜんなくて

「その数値が出た場合は、心臓に人工的に開けている孔が血栓等で塞がってしまっている可能性があるので、数値が急に上がり、かつ活気がない時は即受診せよ」

と厳命をうけているのですよねわたしは。そしてこれがまたこの時の3歳は高熱のせいで大変に活気が、これ医療職の方が「元気がない」の意味で使う言葉なのだけれど、活気が普段に比べて格段になくなっていたので、熱はともかく心臓に何かおきたんちゃうかとそっちの方が心配で、だからわたしが実の姉の如く慕うサイトウさんが来てくれた時、本当に大変に嬉しかったのです、それになによりも

「よくぞご無事で!」

という気持ちがね、コロナは次の大波がまた来るとか来ないとか言われているけれど、今年の6月、感染者数が今とは比べ物にならない程日々うなぎ上りであったあの梅雨の気配の遠くにしていた頃

「あそこではひとの尊厳を守ることのがとても大変なんだよ、普通の病棟ではないの、だから娘ちゃんは罹患しないようにホンマ、気を付けてな」

じっさいの現場がいかに苛烈であるのかをこの3歳への心配に寄せて話してくれて、それを暇乞いの挨拶にしてそのまま戦地に赴いて行ったサイトウさん無事の姿をこの目で再び見る事ができたのはほんとうに嬉しいものでした。まあ3歳が高熱を出してほんまにぐったりとしている最中ではあったのだけど。

それでサイトウさんは、体温、血圧、SpO2、それから胸の音などをすべて細かく確認してから

「まず大学病院の今日の当直に電話して聞いてみよか、それで先生が緊急性があるって判断したら受診てことにしよう」

と提案してくれたのでした。というのも、どんなに世界が一時期に比べれば少しばかりの落ち着きを取り戻しているようには見えていても、突然の発熱で救急外来となるとあの鼻に長い綿棒を突っ込まれる検査を迂回する道はない訳で、あの検査、当然のように3歳は大嫌いだし(あんなん好きなひとおるのか)そしてその順番を待つのはなんと

「外かも」

それが時間外入り口前に設えられたテントかもということで、なにそれ野戦病院やないの。そしてそれはサイトウさんが病院に電話して代表番号の事務さん、病棟の事務さん、病棟の看護師さんの間を電話回線がくるくると回り相当の時間をかけてたどり着いた当直の先生にも

「あー…SpO2が?高いんやろ?低くないならいいのやないの、それに今日発熱外来やばいくらい混んでるよ」

など言われてしまい、かなり外来受診の気がそがれたのです。それに実のところこの先生は血液がご専門で、3歳も入院中には末梢のルートを取る時、輸血の時などにはお世話になりまして、大変穏やかに優しいそれは良い先生なのですけれど、SpO2の認識についてはサイトウさんとわたし、担当看護師と患児の母は聞こえないようにそっと

「そういうことちゃうねん」

と突っ込みを入れていたりして、だってSpO2が低空飛行である事がいま重要やねんてこの子は。そんな訳で結論としては

「SpO2がやや心配ではあるけれど活気が全く無いというほどやないし、水分も取れていて、胸の音もきれいやし血圧も問題ない、せやから今日は手持ちの解熱剤で凌いで明日朝イチで主治医のクリニックに行った方がいい」

ということになり、3歳はわたしが冷蔵庫からそっと取り出して来た秘密兵器『アンビバ坐剤小児200㎎』、解熱剤ですけれどもそれを2/3、えいやとサイトウさんの手でお尻に入れられてぎゃあと泣き、このときには熱が高くてやや朦朧としていながらも

(もうかえってくれ!)

という敵意まるだしの視線をサイトウさんに投げかけていた。しかし親の方は最近は坐剤にしても浣腸にしてもキック力がムエタイ選手かよと思しき程に強すぎてもう大人1人では太刀打ちできなくなったこの娘の尻になにか入れる時はやはり訪問看護師さん、それもベテランの腕が必要だと痛感したのでした、何しろ素早くて手早いのですよ。

そうやって、サイトウさんは「また電話するね~」と3歳のオトモダチかのごとくの気さくさで憤慨して顔も向けない3歳に手を振って

「オンコールのある日にはオンコールが続くねん…」

という恐ろしいひとことを残して次の訪問先へと足早にお行きになり、3歳のこの高熱の正体は次の日わたしが朝イチ予約して受診した主治医のクリニックで先生が3歳の喉の奥をライトで照らした瞬間に即診断がついた。

「ウン、これ手足口病やな」

喉の奥が水泡だらけであるとのこと。そう言えば幼稚園ではやってましたねソレ、3歳も乗っていましたかこの流行の大波にということで、多分今週の幼稚園登園は全滅、デイサービスの利用は停止、大学病院受診の方も明らかに感染症であると分かっている子を感染症を最大限さけるべき患児の集う小児循環器の外来に連れて行くわけにもいかず主治医から

「大学の方、来週に予約変更して」

と指示をうけて、さて家に帰ってカレンダーを見るとそこには、指定された来週の診療日が祝日であるという事実と、仮に来週が平日で受診できたのだとして手持ちのお薬が全然足りませんのですが先生というさらに恐ろしき事実がそこにはあって、そういうの先生もわたしも雑というか大らかと言うか全然気が回らへん方なのよなと思いながら、そのいろいろのずれを調整するために、各方面、今日のいままでいったいどれだけ電話をしたのやら。

ほんと、大変だった。

今、3歳の様子と言えば『手足口病』の名の通りに、手にも足にも口元にも小さな水泡がポチポチと出来てそれがなにやら痒いし、喉もいたくておうどんもごはんもイラナイのと言ってぐずぐずとずっといじけていて、仕方がないので「じゃあ何が食べたい?何なら食べられるかな、ママがなんでも買うてきてあげるから」とわたしが聞いたらですね

「うーんとねえ、チョコレート!アイス!」

と大変元気に明瞭にそう言ったので、これは明日には本調子やな、と思います。

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