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小説:If God disappears in the world 2

☞1

つい最近まで梅雨の湿気に悩まされていたというのに、夏は突然やって来る。急転直下と言うか、電光石火というか。ついこの前までの長雨で、毎日あんなに洗濯物を干す場所に悩んでいたのに今朝、牧師室から見上げた窓の形に切り取られた四角い空は何処からどう見ても夏の空の色だった。

「季節って移り気って言うか、本当に変わり身が早いよな、お前と一緒だ」

僕がそう言うと、いよいよ大学が夏休み期間に入り本格的にゴロゴロするようになった佳哉はここが一番涼しいと本人の言う、牧師室のキッチンの床板に仰向けになって一応大学の課題らしい本を読みながら僕にこう言った。

「そんなこと無いよ。俺、14の時からかれこれ四半世紀ずっと暁星ひとすじだから」

「もうその設定やめてくんないかな。それにウソだろ。お前、高1で急に背が伸びてから近所の女子校の子によく声かけられてたの、覚えてるぞ」

「ウーン、彼女ねえ、セフレみたいな子はいたけどね、30人位」

「は?セ?さんじゅうにん?」

「ウソだよ」

佳哉は寝転がったまま僕を見て物凄く嬉しそうに笑った。猫かお前は。コイツのいつもの下らない冗談はいいとして、僕は転勤の多かった父親について日本の北は新潟から南は熊本まで色々な地域の夏を体験したけど、その中でも京都の夏の暑さはちょっと独特だと思う。湿気と熱気と日差し、どれかひとつなら、例えば夏の湿気を含んだ空気は新潟の方がもっとずっしりと重たかったし、日差しは熊本の方がずっと強かったと記憶している。あと群馬県の榛名にいた頃の夏の気温は大変なものだった。でもその3つが全部強く夏を彩るという点では京都の夏は本当に暑い。太陽がアスファルトの上に作り出す影も僕が知っている土地のどこよりも濃いような気がする。

だからこの夏休み期間、聖書科の授業の講師の仕事を貰っているあの女子校、佳哉が校門の前で僕を待っていて、そこの生徒に余計な一言を言ったあの学校だ、そこに8月の終わりまで行かなくて良いというのは、実入りこそ減ってしまうけれど少し助かっている。僕が今暮している教会からそう遠くない距離にある学校とは言え、このアリゾナみたいな京都の夏の太陽に灼かれたアスファルトの上をスーツにネクタイに革靴という恰好で歩くのはちょっと勇気がいる。

「夏休みってさ、あのジョシコーセー達に会えないから寂しいね」

本気か冗談か佳哉はそんな風に言う。でも代わりに夏休みになってから、ここの教会の主任牧師の榎本先生の次女の紫苑ちゃんが僕らの所によく来るようになった。紫苑ちゃんは僕が講師をしているあの学校の高校2年生で、夏休み期間中は教会の敷地内の保育園の掃除や配膳なんかの手伝いに来ている。主任牧師の榎本先生の妻でもある園長の恵子先生が紫苑ちゃんの母親だから親公認のアルバイトだ。でも大体出勤して直ぐに僕らのいる牧師室の佳哉にちょっかいをかけに来る。その紫苑ちゃんはあの1学期の保護者懇談の日、僕を校門の前で待っていた佳哉が生徒達に余計な事を言ってしまったばかりに

『佐伯先生には大学生の彼氏がいて、一緒に暮らしている』

まことしやかに噂になったそれが流行りの感染症のように女の子達の口から女の子達の口へ伝播して今、学校全体の生徒達の周知の事実になっているのだと紫苑ちゃんは楽しそうに僕らに教えてくれた。勘弁してくれよ。それでその手の話が三度の飯より好きでかつ長い夏休みに暇を持て余している紫苑ちゃんは、平日はほぼ毎日教会の牧師室にコンビニで買った飲み物を片手に持って僕らの様子を見に来るようになった。要するに暇つぶしだ。

「ねえ、佐伯先生と佳哉はやっぱり付き合ってんでしょ。でさ、どっちがどっちなの?攻めがどっちでウケがどっち?」

しかし女子高生の暇つぶしというのは、なかなか質問内容が恐ろしい。今朝も紫苑ちゃんが牧師室にノックもしないで飛び込んで来て、僕らが食卓代わりに使う会議机のパイプ椅子に座って紙パックのカフェオレを飲みながらこんなことを聞いてきた。実際の僕らは只の友人でそういう関係にある2人では断じてないんだが、この質問の仕方はどうなんだろう。まだ17歳の子どもの無邪気な質問に見せかけたこれは実は他人の性生活のことだ。僕は一応彼女の学校の教師でもある訳だし注意した方がいいんだろうか。そう思っていたら死体のようにキッチンの床に転がっていた佳哉がもそもそと起き上がり、Tシャツの中に手を突っ込んでヘソの辺りをボリボリ掻きながら僕らの所にやって来た。そして紫苑ちゃんを見てにこっと笑って、彼女の隣に座ってから

「そういうのってさ、俺が紫苑ちゃんに、紫苑ちゃんて処女?違うの?じゃあ普段彼氏とどんなセックスしてんの?正常位と騎乗位とバックだとどれが好き?アナルセックスってしたことある?そん時に何使う?普通のローション?キシロカインゼリー?って聞くのと同じことなんだよね。それってセクハラでしょ。セックスの事はさ、いくら紫苑ちゃんが俺達の事が大好きで自分の身内みたいに思ってくれてるんだとしてもあんまり聞いちゃだめだよ。だって俺にとってはさ、愛もセックスも超個人的で凄く大事な事なんだから」

そうやって優しく諭した。内容はともかく、コイツはこういう時妙に穏やかで、それでいてやたらと説得力のある物言いをする。あと17歳の女の子にアナルセックスとか目を逸らさずによく言えるな、凄いヤツ。

でもその佳哉の言葉を聞いた紫苑ちゃんは、ちょっと神妙な顔をして

「そっか…そうやんな、ごめん佳哉」

自分の発言を素直に謝った。紫苑ちゃんは私立の女子校にありがちな親密な、言い換えると6年かそれ以上メンバーの変わらないなれ合いのコミュニティの中で育っているせいで、どうしても目の前の相手に対して遠慮というか境界を薄くしてしまう傾向がある。でも同時にきちんとした両親に愛情深く育てられている子で、基本的には話せばちゃんとわかってくれる。そしてそういう事を多分佳哉は直感的によく分かっている。

「まあ、俺がタチの方なんだけどね」

「やっぱりそうなんや!佳哉の方が背も高いし、佐伯センセ―は細くてなんか可愛い系やもんな。ええなあ、好きな人と一緒に暮らしてるってどうなん?やっぱり楽しい?」

「ウン、毎日すげえ楽しい」

「違う!佳哉、話を蒸し返すな」

「アハハ、紫苑ちゃん、副牧師が怒ったよ」

「ホントだ、センセ―めっちゃ怖い、佳哉が可哀相だよ。そうや、今日園庭に大きい方のプール出すからそれ出すのと、ホラあの日よけ?それ設営するの2人に手伝って欲しいなってお母さんが言ってたんや。佳哉もセンセ―も一緒に保育園行こ?今やったらまだお母さんが焼いたパンが園の事務室にあるよ」

「やった、行く」

「オイ、佳哉、服着てからにしろ、それパンツだろ」

「センセ―、お母さんみたい」

「こんなでかいヤツ、僕は産んだ覚えないぞ」

僕は紫苑ちゃんにそう言ってから結局余計な事を言って話をややこしくした佳哉の尻を一発膝で蹴った。

「いて、お母さん酷い」

そう言いながら僕らは、教会の建物の外の同じ敷地内にある保育園に向った。僕はこの教会に赴任してから、併設施設であるこの保育園の雑務、草刈りや夏のプールの準備やテントの設営なんかの力仕事を日常的に手伝っている。それから園児の散歩の時あの巨大なカートを園児ごと押す係としてもたまに呼び出しがかかる。それで僕は自分が保育園で需要のある存在ならと思って最近、保育士の資格試験を受けた。筆記は全て通って今は実技の結果待ち。教会には保育園や幼稚園が併設されている事が多いし、そういう資格は取っておいて損はないだろうと思って仕事の合間に勉強した。そうしたら僕がこれまで全く縁の無かった保育原理とか保育所保育指針とかそういう文言を読んで唸っているのを見て

「なんか楽しそう、ソレ俺も受けようかな」

佳哉も僕が三条河原町の丸善で買って来た『保育士受験必修テキスト上・下』を勝手に持ち出して、この夏の定位置になりつつあるキッチンの床に座り込んで半日程、それをパラパラとめくって眺め

「ウン、大体覚えた。これ科目別の合格ライン何割?6割?ならいけんじゃない」

情緒的コンピテンスだとか、モンテッソーリだとか、児童福祉法だとか、全国保育士会倫理綱領だとか佳哉にはこれまで全く関係なかった世界の言葉と理論を本当にすべて把握してほぼ暗記し、そして僕と一緒に試験を受けて普通に筆記試験に通った。

「昔から知ってたけどさ、お前そう言うとこ本当に化け物じみてるよな、本気で怖いぞ」

「えー何それ、受かったんだから褒めてよ」

そう言って、2次試験である実技試験のピアノ課題『あひるの行列』と『ゆりかごの歌』も、ピアノ教師である母からピアノを習っていたお影でそれだけは佳哉よりもできる僕が、小礼拝堂にある古いアップライトピアノを使ってちょっと教えてやったらあっという間に弾きこなした。僕に比べて若干音痴だった事だけが僕のプライドを救ったと言うか、本当にやらせれば何でもできるヤツだ。それなのに何でこんな子どもみたいな、そして自堕落な性格なんだろう。

そこそこの見た目に、平均値を遥かに超えた明晰な頭脳、それなのに社会人としては壊滅的に堕落した適当な性格。神様はちょっと佳哉で遊びすぎなんじゃないかと僕は思う。

その子どもみたいで自堕落な性格の佳哉はこの日、僕と一緒に園児の水遊び用の巨大なプールを出してその上に熱中症予防と目隠しの為の大きなタープテントを張ると、そのまま突撃して来たひよこ組、3歳児クラスの子ども達にもみくちゃにされて水をざぶざぶ掛けられ、それならもうついでだからと保育士に混ざって子ども達の相手をした後

「暑いし、その内乾くよ」

僕が着替えろと言うのを聞かずに、ずぶ濡れのまま、伸ばしっぱなしの髪からぽたぽたと水が垂れているのを拭きもしないでいつものTシャツとハーフパンツに雪駄姿で教会と保育園を往復し、挙句夏休みの学童保育の時間を終えて夕方教会に立ち寄った光君と冷房の効いた教会のホールでスマブラをして遊んだ結果、お約束というか当たり前というかその日の晩に熱を出した。保育園から借りて来た体温計で測定した体温は熱があると言い出した水遊びの日の翌日の夜もまだ38.5℃あった。

「お前ってさあ、ホント頭いいのかバカなのかどっちかはっきりしてくれよ、いくら夏でも濡れた服着たまま冷房の直撃する場所でじっと座ってゲームなんかしてたら風邪ひくに決まってるだろ、子どもかよ」

「ひどい、俺、一応理学博士なんだよ」

「知るか。どこの誰だよ、お前みたいなのにそんなの授与しちゃったの。それにそれって数学で取ったんだろ、数学ってロックバンドでギター弾くより食えないんだろ?なら駄目じゃん」

「そんな事言ったら、暁星だってバイトしないと食えない薄給の牧師でしょ、結局夏の間ずっと保育補助のバイトしてるじゃん」

「うるさいな、それよりお前昨日、僕が保育園に行ってる間にちゃんと病院行ったか?今日はの夜はおじやにするけど、飯は?食えるか?」

そう言うと佳哉は、おじやにネギを入れないで欲しい、それと病院は昨日の午前中にちゃんと行ったよと言って僕に佳哉の布団の枕元にごちゃごちゃと置かれている佳哉の私物の山の山頂に置いてにある診察券を指さして僕に示した。診察券には『府立医大付属病院』とある。大学病院なんて随分大仰な所に行ったんだな、夏風邪なんかそこの中村医院で十分だろ、僕がそう言うと佳哉から

「俺、おぼっちゃまだから」

そういう返事が返って来た。何言ってんだ今年29の癖に。僕はその山の中にある調剤薬局の袋を手に取って中の『お薬の説明』に一応目を通した。

「まあいいや、熱が下らなくてそれがしんどかったら解熱剤な、6時間あけて1錠飲めってここに書いてあるし、飯食ったら風邪薬…はこっちか、それと一緒に解熱剤飲んでもう寝とけ、今日は僕のベッド使っていいから」

「分かった、暁星はどうすんの?今日はこのままここで仕事すんの?」

「メールが沢山来てるから返信とかそういうの、やらないと」

そうなんだ、大変だね。そう言うと熱で上気している顔の佳哉は自分の布団から僕のベッドによじ登って夏掛けをかぶってから、何が嬉しいんだかまた猫みたいな顔で笑った。


☞2

突然のメールをお許しください。

私は先天性の心臓疾患で治療中の子を持つ母親です。

 今3歳になる息子は出生前に重度の心臓疾患が発覚し、無事生まれて来てはくれたものの出生後長く入院して手術をして、退院してからは経過の観察をしながらまた何度も手術を受け、時間をかけて治療過程の最終段階にある手術に臨めるようにと慎重に育ててきました。 1日が本当に長い、そういう毎日でした。

それで最近やっと、息子が最後の手術が可能な状態になったと主治医が判断し、手術日が決まったのがつい1週間前の事です。それは 息子が生まれる前からずっと私が望んできた事でした。息子と同じ治療過程にあるお友達の中には、この最後のゴールである手術の前に命の灯火を静かに消してこの世界から居なくなってしまった子が何人もいました。そういう3年間でした。息子もその可能性を幾度も医師から示されて今日まで過ごしてきました。

でもこの最後の手術を終えたところで、これで息子が完全に正常な人間の体になるという訳ではなくて、これはとりあえず成人まで命を繋ぐことが出来る体の状態を作る、普通とは少し違う不自然な心臓と肺の循環をこの子の体の中に作り上げるものなのだそうです。

息子の主治医の説明によれば今回の手術は、当日手術室に入室してそれに挑む事が出来たとしても、体の中でそういうかなり無茶な血管のつなぎ方をするためにその循環が上手く成り立たないまま術中か術後、残念な結果になるという事も当然起こり得るものだそうで、その点は覚悟しておいて欲しいと言われています。

それを聞いた時、私はもしこの子が手術の途中か、もしくは手術の後死んでしまったら一体どこに送り出してやればいいのか、そういう事を全く考えてこなかったという事に今更気が付きました。

もしこの手術で息子が死んでしまったら、私は彼を一体どういう形で、一体どこに送り出してやればいいのか、今、それを知りません。 これが杞憂に終わってしまえば、私はただの心配性の母親です。特に息子の体は今、とても良い状態で、万全の体制で手術に臨めるのだと、そう言われています。病気といっても傍目にはとても健康そうに見える子です、せいぜい体に小さな医療機器をつけて生活しているだけで、それが無ければ本当に健康な3歳児の見た目をしています。 だからこそ周囲に「もし、その日が来てしまったら、母親として責任をもって天国に送り出してやりたい、そうしなくてはいけないと思う」などとは言い出しづらく、こうして一面識もない方にメールを差し上げるという不躾な事をしています。

 私はいつも息子の手術の前は、いつも心配で起きる可能性の低い事を何度も逡巡しては冷静さを欠いてしまっているのですが、そもそもが1万人に1人という疾患の子です、今回も何が起きてもおかしくないと思っています。

この子がもし私の手から旅立つ日が本当に来てしまったら、その時、私は一体どうしたらいいのでしょうか。 先生はまだ何も自身では判断できない小さな子どもの死に際して、親の一存で魂を送る場所を決めてしまうという事をどうお考えになりますか。

『手術は今月の26日です。どうかお祈りください』

末尾にそう結ばれた匿名のメールが、教会のホームページがわりに使っているSNSプラットフォームにダイレクトメールとして届いたのは3日前の事だった。

教会の牧師の事を『先生』と呼び、死者の魂が帰りつく先を天国と呼ぶ所、最後に僕にとりなしの祈りを依頼している所、多分ここの教会ではない、でもどこかの教会に通っているかそれかかつてそうだった人なんだろうなと思う。丁寧で、でも切迫して思いつめた文面が、難しい手術を控えているらしい3歳の男の子のお母さんの今の心情を良く映していると思った。

これに、僕は一体何て言えばいいんだろう。

僕は、いくら逡巡しても僕1人ではこの

『小さな子どもの死に際して、親の一存で魂を送る場所を決めてしまうという事をどうお考えになりますか』

にどう答えたらいいのか、その最適解を見つける事ができないまま、僕らの部屋の小さな窓の形に切り取られた夏の夜空を見ては頭を掻いて何度もため息をついた。それで昨日、午後に大学の理事会の帰りに教会に立ち寄った主任牧師の榎本先生にこのメールを見せて僕の話しを聞いてもらった。

「これは判断というか意見の分かれるとこやろな。勿論臨終の祈りだけなら僕ら牧師は未受洗者にもそれを捧げる事は出来るけど、このお母さんが言うてんのはそういう事やないんやろなあ」

さっきつけたばかりの古いクーラーが生ぬるい風を吐きだす教会の会議室で、僕のノートパソコンの文面を覗き込んで、たまに眼鏡をかけたり外したりしながら全文を読んだ榎本先生は、そう言ってちょっと考えてから僕にこんな事を言った。

「牧師の僕が言うのも変かもしれへんけど、人間の魂の行きつく先…言い換えたらその人の心のある場所は個々に自由であるべきやからね。このお母さんはもし我が子が手術の時、お医者さんが言う最悪の事態が起きてしまったとしても、それはもう運命として受け入れよう、そう覚悟して手術の日を迎える為にこの子の魂の行先を決めておきたいんやろな。しかし、例え相手が3歳の我が子でも、その判断は本人に委ねられるべきなんやないかと、でもまだちいちゃい自分の子にはそれがでけへんと、それをお母さんは気にしてはるんやと思うよ。あと」

「はい、あと、なんでしょうか」

「あとこの人、多分やけど何かの形で教会には関わってきてるけど、でも今は教会に行ってない人やろ。こんな大変そうな子が手元にいてたらそうそう呑気に日曜に半日使って教会で祈るとかでけへんわな。それで今更元々行ってた教会の牧師か神父か、まあどっちの人かは分からへんけど、そういう人にこの話はしにくいと、そう思って一面識もない君にメールをくれたんやと思うよ、要は佐伯君に中立の立場で話を聞いて欲しいんや」

案外近くにおる人かもしれへんから、もしお住まいが近くで少し時間があったらお気軽にどうぞ言うて返信してみたらどうかな。先生はこともなげにそんなことを言った。佐伯君がいくら長考して慎重に言葉を選んで返信しても、直接会って話をした方が良い事も沢山あるからと。

「そのための僕らや」

「そうなんでしょうか」

「そらそうや。あとな佐伯君、分かってると思うけど、もし本人に直接会うにしてもメールで返信するにしても、『大丈夫ですよ』とか『頑張りましょう』なんて絶対言うたらアカンよ。病気の人がな、この場合は病気の子のお母さんやけど、その人が僧侶とか牧師とか神父とか、まあ何でもええけどその手の人間に話を持って来た、それはもう最終段階って事なんや。この人は、3年も手元で育てた病気の我が子が命を賭して手術に臨む、それがぎりぎりの場所をその子1人で歩かせることなんやってもう骨身にしみて知ってはる筈や、医者にこれ以上何を聞いても安心材料なんかひとつも貰えへん、それならいっそ何が起きてもすべてを受け入れられる自分でいようと思ってはるんやろ。そらそうやわな、お医者さんていうのは、患者さんに治療の過程で起こり得るすべての不測の事態と最悪の結果を伝えとかなあかんからな。安直に大丈夫って連呼する医者がおったらそれはヤブ医者や。ああ君、大学で病床訪問とカウンセリングの授業は取ってたやろ」

「はあ、取りましたけど、それは成人のターミナルケアが中心で、こんな小さい子どもについてって言うのは僕はちょっと」

「幼子は大人程、先行の事を思い悩まん、あの子らの一番ええ所や。今回のこれはその子どものお母さんやろ、まあ話を出来るだけ聞かして貰ったらええんちゃうかな、君の回答なんか本当はこの人は求めてへん」

この手の事に正解なんかないからな。

先生はそう言い、僕はその日、仕事が終ってからまた遅くまでスマホを握って唸りながら何度も文章を推敲しては書きそして消してまた書いて、結局こんな短い文章を返した。

お返事が遅くなりまして申し訳ありません。

『小さな子どもの死に際して、親の一存で魂を送る場所を決めてしまうという事をどうお考えになりますか』

その答えを僕は一生懸命考えましたが、何とお答えする事が正解なのか、それは僕にもよく分かりませんでした。ただ、僕は魂が帰りつく先というのは、どんな考えと信仰の持ち主でも実は同じなのではないかと思っています。だからもしあなたが息子さんの命の終わりに、その魂の行先の為にとりなしの祈りが必要だと思われたのであれば、これはあなたが良ければですが、それを僕が引き受けたいと思います。

そして今は、ただ彼の命がこの世界に繋がる事を祈りたいと思います

そう打ってから追伸のような形で、もしお住まいが近くなら気軽に寄って欲しいと打ち込んで、それを30回読み直して送信した。



そうしたら翌日、雲一つない晴天で朝から気温が30℃を越えた猛暑日の昼、その人は来た。何故だか鯖寿司と稲荷寿司を沢山持って。

何て言うか、とても面白い人だった。吉川真奈ですと名乗ったその人は榎本先生の予想通り割と近所に住んでいた。上京区の西陣に住まいがあり、メールにあった息子さんがここから鴨川沿いを少し歩いたところにある府立医大の付属病院に入院しているのだそうだ。僕は知らなかったが、小さな子どもが入院するとその親も一緒に入院して24時間付き添う事が多いものらしい。真奈さんは3日前から手術前の検査や薬の調整の為に息子さんと入院していて、今日は旦那さんと付き添いを代わって外に出て来たのだと言った。

「教会で言う言葉じゃないけど3日ぶりのシャバなんですよ。外あっついですねえ。でね、そういう時って、食べ物でも服でも本でもとにかく何でも買いすぎちゃうんです。今買わないと次いつ買い物できるかわかんないぞって強迫観念に駆られるって言うか。それに普段は子ども連れてしか出かけない上にしかも出先はほぼ病院だから、こういう時に1人で出歩るく事自体に気分が高揚する言うか」

真奈さんはこれまでもう数えきれない程息子さんに付いて入院をしていて、付き添い中は土日に旦那さんと交代をして生活をやりくりしている。それで付き添いの交代中に同じ市内でも自宅とは生活圏が少し違うこの界隈をよく歩いていて、その時にこの教会の事を見て知っていたのだと言う。真奈さんの実家は家族が全員教会に通っている家だったそうで

「子どもの頃は何も考えずに教会に通ってたし、ホラああいう所って規模が小さいと皆親戚みたいなとこあるじゃないですか、だから結構楽しくやってたんですけどね。でも大人になって忙しくなるとそうそう毎週教会って訳にもいかなくて。私、大学を出てからは北区にある大学で図書館司書の仕事をしてたんですけど、そういう所って日曜も仕事があるし、結婚して子ども産んだら更にそれどころじゃなくて、だから今は野良です」

野良というのは文字通り野良猫の野良。自身の信仰に自認はあるものの特定の所属教会を持たない彼女が、自分のそんな状態を揶揄すると言うか自虐するというかそんな意味合いで使った言葉だろう。そんな事は別に問題じゃないですよ。僕がそう言うと、年齢が40歳だと言う割にはそれよりずっと若く見える丸顔で、髪をうんと短いベリーショートにして綿のミントグリーンの夏らしいワンピースを着たその人は、丸い眼鏡の中にある黒目がちな瞳をくるくる動かしながらはにかんだように笑い、それから持って来た紙袋の中から、鯖寿司の包みと稲荷寿司の折を出して、僕が彼女を案内した会議室の机の上に前に広げた。

「あ、これ食べてください、さっきも言ったけどつい買い物しずぎて、沢山買って来ちゃったんで。それでね、ネットで検索した時に副牧師ってあった先生の名前が『暁星』って、これあかつきの星の事でしょ?きれいな名前ですよね。あとこの『星』ってついてるあたりがなんだか若そうな人だなあって思ってたんですけど、本当にお若いんですね。私こんな若い牧師さんて初めて見たかも。大体おじさんか、おじいちゃんでしょ牧師先生って」

そう言って日差しが外のオリーブ木の葉を濃い緑色に照らす夏の午後、丁度昼食どきの土曜の教会の会議室で僕とそして別にこの場に居なくてもいいのに、夏風邪が治ってすっかりいつもの調子を取り戻した佳哉に持参した寿司を勧めてくれた。元気な親戚のお姉さんと言う感じの人だ、なんだかメールの文面の印象と全然違う。そしてここまで僕と会話をしておいて

「で、どっちが佐伯先生?」

そう聞いた。なんだろうこの人、元気そうに見えるけど、お子さんが入院中なんだし本当は少し疲れてるのかな、テンションがちょっとおかしい気がする。

「ええと、僕が佐伯です吉川さん。隣はその…ここに住んでる僕の友人といいますか、学生です、そみません今退席させますから」

「あ、そうなんですね。いいですよ全然、お寿司もいっぱいあるし食べてね」

「ありがと。あのさあ聞いていい?入院中の子ってどんな子?3歳なんでしょ、今どう元気?」

僕の隣で、ペットボトルのお茶を真奈さんのグラスに注いでいた佳哉が突然、真奈さんの3歳の息子さんの事を聞いて来た。

「元気な訳ないだろ、病気だから入院してんだぞ」

僕はそう言って、2杯目の多分自分の分のお茶をプラスチックのコップに注いでいた佳哉を小声で窘めた、大体何でオマエはここに普通にいるんだよ。でも真奈さんは特に気を悪くしたりせず、にこにこして手元の小さな帆布のバッグからスマホを取り出し、ロックを外してカメラロールの中にいくつもある笑顔の男の子の画像のひとつを僕らに見せてくれた。お母さんの真奈さんによく似た黒目がちな丸い瞳の、元気そうな男の子だ。鼻から細い管が出ていてそれが顔にテープ留めされている。それと酸素を流しているらしい透明のチューブ。こういうのを僕は病院で見たことがあるな、病床訪問の時に手術のすぐ後のおじいちゃんがつけていた。でもそれが無ければ、水色の昆虫柄の甚平を着たこの画像の子は本当に普通の子に見える。

「元気ですよ。もうねえ、病院の幼児用のベッドってわかります?高い柵が付いてる巨大なベビーベッドみたいなやつなんですけど、それに入れていい子でタブレットでも見ておきなさいって言っても全然駄目。タブレットなんか床に放り投げて、ここから出せってうるさいからひたすら病棟中を徘徊してるんです。今もパパをお供にして院内お散歩中。ホントもういい加減にして欲しい」

「暁星、大丈夫だよ。外科手術する子って、よっぽど緊急じゃない限り一番元気な、体の良い状態の時に入院するから。だから動ける子は手術前が大変なんだよね。お母さんも大変だね、だって3歳の子なら点滴してても走り回るでしょ」

「そうなんですよー、もうじっとしてるって事がなくて、私佐伯先生にウチの子が死んだらどうしようってあんなメール送っておいて、あ、勿論今もそう思ってるんですよ、私今心配で浮足立ってるって言うかテンションが変なんです。でもね、もう1人の別の自分はこんな暴れん坊のやんちゃ坊主、とっとと麻酔して寝かしといてくれって思ってるんですよね、だって本当に大変なんやもん」

真奈さんはフフフと笑ってスマホを引っ込めた。

「入院するとさ、みんな暗くなってベッドの上でしょんぼりして寝てるのかなって思っちゃうんだろうけどむしろその逆で、特に小さい子って何かテンション高くなっちゃうんだよね、でもそれって親もなんだね、伝染るのかな気分が。あのさ、この子のコレって経管栄養?普段もずっとこうなの?」

佳哉はそう言って自分の小鼻の横をひとさし指で軽く叩いた。

「そう。ゴハン半分、栄養剤半分。生まれてからすぐあの管通して鼻からミルクあげてた子だから、生後半年の時からリハビリはずっとしてるんだけどなんか食べてくれなくて」

「大変だね」

佳哉が真奈さんの息子さん、律君という子の話を、病気の状態や鼻についているその医療器具のようなものも含めて普通に世間話を始めたので僕は少し驚いた。こいつは理学部に行っていたのであって医学部生じゃなかったはずなんだけどな。そうしたら真奈さんも僕と同じことを思ったらしい。

「あのエートあなたは、医学部の学生さん?」

「あ、俺?高野佳哉です、真言宗の僧侶」

「違うだろ、まだ学生だろ」

「得度はしてるよ」

「じゃあ坊主にしろよ、なんだよこの頭は」

僕は最近になってとうとう前髪の長さに限界が来てそれが目に入るからと、小さい子どものように頭頂部で結んでいる佳哉の髪の毛の束を引っ張った。こういう僕らのやり取りは大体の人が笑うけど、真奈さんも同じように稲荷寿司を口にいれたまま笑った。へえ、仏教を学んでる学生さんが教会に住んでるの?面白い所ですねえ。そう言ってひと口お茶を飲んでから、急に少し改まって僕にこう言った。

「あのね先生、私、先生に『小さな子どもの死に際して、親の一存で魂を送る場所を決めてしまうという事をどうお考えになりますか』って聞いたでしょう、ごめんなさいね、一面識もない人に突然なんかややこしい事聞いて」

「いえ、僕こそその…あれが吉川さんが納得できる答えだったのかと、僕は本当にまだ未熟と言うか若輩者で」

「ううん、あれは結局私が答えを出すものであって、誰かに答えてもらうようなものじゃ無いんです。分かってるんです。それより先生が『とりなしの祈りが必要なら僕が引き受けます』って言って下さったの、私、凄く嬉しかった」

私、ただ単に第三者的立場の、でも私の考えの基になっているものを良く知っている人に、自分の話を聞いてほしかったんだと思います。真奈さんはお茶をもう一口飲んでから更にこう続けた。

「先生あのねえ、こういう『難病や障害のある子のお母さん』ていう席に一度座っちゃうとね、前向きで、一生懸命で、もう子どもの為には己を捨てて何でもする、そういう母親像を世界から押し付けられるんです、そう言うもんなんですよ。それでちょっとしんどいとか辛いって言うと、よく言われるのがアレ『大丈夫、お子さんは貴方を選んで生まれて来たのよ』ってヤツ。あれ本当に嫌。それって逆に言えば私が産んだからあの子は病気ってそういう事じゃないですか。それにそんなの私、全然大丈夫なんかじゃないし。病気があって特別なケアがある子だからって保育園には入れなかったし、それで仕事は辞めちゃったし、毎日の世話は普通の子の100倍大変で、風邪ひいたら即死にかけるし、今だってそう。手術の日が怖くてもう泣きそうなんです、全然大丈夫じゃないの。大丈夫じゃなさすぎて変なテンションになってる。だってそうでしょう?こんなに大変な思いして今日まで育てて、手術でアッサリ死にましたってなったらどうしようって、思うじゃないですか」

真奈さんはそう言って笑って、でもそれとは裏腹にポケットからハンカチを出して眼鏡をはずし、目頭を軽く抑えた。その姿を見た僕は驚いて、丁度佳哉の前に置いてあった箱のティッシュを真奈さんの前にそっと置いた。

「ああ、あとアレも嫌い『神様は乗り越えられない困難は与えない』って言う常套句。乗り越えられなかった人はいますよ絶対、でもそういう人はね先生、多分死んでるんです。生存バイアスってやつ?生き残ったのが乗り越えられた人。だから先生がメールで『大丈夫』とか『乗り越えろ』とかじゃなくて、もしもの時は僕が臨終の祈りを引き受けてくれるって、そう言ってくれて嬉しかった。私みたいな人間はね先生、もうここまで来たら何が起きても受け入れるしかないんです。大体ウチの子なんて根本的な治療法のない難病なんだから最終的には誰にもどうしようもできないんだし」

そう言った、真奈さんはとても雄弁だった、自分が辿りつくべき結論を自分に言い聞かせているみたいだった。そしてそれを黙って聞いていた佳哉は

「答えは出てるんだね、解なしって」

そう言った。数学の言葉だ。答えがない事の答え。佳哉の言葉を聞いた真奈さんはそうそうと言って笑い、そして目の前の鯖寿司をひとつつまんで食べた。それは無理に自分を鼓舞しているみたいに見えたし、今この時も解決策がひとつとして見当たらない難題への諦観のようにも見えた。

答えは出ている。

それなら話を聞く以外に何もできない僕は、今彼女の前にいる意味があるんだろうか。僕は目の前の、どうしようもない明日に怯え、それと同時に未来に対してとても勇敢な人の事を真っ直ぐ見て考えた。僕のこの疑問にも答えはない。でもこのおかしな面談というか昼餐と言うか、僕と佳哉とこの3歳の男の子のお母さんとの邂逅は最後、僕と佳哉への御礼で締めくくられた。

「佐伯先生、佳哉君もありがとう、手術がどんな結果に終わっても、連絡しますから」

そう言ってせいせいしたような笑顔で教会の外に出る扉を開けた真奈さんに、5個目の稲荷寿司をまだ口に持っていた佳哉がそれを飲み込んで

「結局人間はどこの誰でも生老病死のサイクルからは逃げられないんだよ。でもそれが急すぎたり早すぎたりすると理不尽だなって思うよね、流石に3歳の子が今、命の瀬戸際ですなんてそれは俺もないなって思うよ。でもそれって理不尽だけど無作為に選別されちゃったって事で、別に誰のせいでもないんだよ。律君が手術で痛い思いするのも、それで命が危ないかもしれないのも別にお母さんのせいじゃないよ。それにもしもの時は自分が野辺送りまでちゃんとしてやるんだって最期のことまで考えててさ、お母さんホント偉いと思うよ。もし手術が無事終わって退院できたらさ、律君ここに連れて来てよ。俺3歳ぐらいの子ってすごい得意だよ、遊ぶよ」

お母さんのせいじゃないよ

佳哉はそう言った。その言葉を聞いた真奈さんはちょっと驚いた顔をして、それでも何も言わず僕らに会釈をすることでそれを別れの挨拶にして、教会の門を出て少し歩いた所でまた眼鏡をはずして少しだけ涙を拭いていた。僕らは真奈さんの姿が門を出て、大通りの駅の方角にその姿が静かに消えて行くまで見送ってから教会の中に戻った。

手術、うまくいくと良いな。

僕は小さな声で祈るようにそう言った。

「佳哉、お前ってさ」

「え、何?」

「ああいうとこ、本当に凄いよな」

「あ、俺の事好き」

「全然好きにならない」

☞3

お伝えしていた通り手術自体は予定通り全部の術式を終えたんですが、その後の回復が全く思わしくないんです。このままの状態があと3日続けば、ちょっともう駄目かもしれない。

13時間かかった律君の手術のその後の体の状態が、とても危険で微妙な状態であると僕のスマホにメールが来たのは、手術の日から3日後の夕方だった。その時間、佳哉は平日はほぼ毎日保育園の保育補助のバイトに来ている紫苑ちゃんと一緒に園長の恵子先生から頼まれて、園児が1人、また1人と保護者に引き取られて行く夕方の園庭で遊具の片付けと植木の水やりをしていた。そしてあまりに外が暑くて死ぬかもしれないと言って、僕が事務仕事をしている牧師室に逃げて来た。要はさぼりだ。

「センセ―、アイスとかある?外の気温やばいよ?夕方になってもまだ35℃あるって何?殺す気なんウチらを」

カナリアみたいな鮮やかな色のタンクトップとデニムのショートパンツの、もし僕が彼女の父親なら、それで若い男2人の部屋に行くと娘に言われたら絶対止めるような恰好で部屋に入ってきた紫苑ちゃんは、確かに顔が真っ赤で鼻の頭に大粒の汗を乗せていた。

「大丈夫だよ、もし紫苑ちゃんに何かあってもここ教会だし。ねえ、みぞれと苺とレモン、どれがいい?」

紫苑ちゃんと共に牧師室に退避してきた佳哉はいつものように冷凍庫を勝手に開けて、そこに入っていた小さいカップ入りのかき氷を3つ取り出し、僕と紫苑ちゃんに勧めた。

「僕はいい。ホラ紫苑ちゃんかき氷ここ座って食べな、涼しいから。あと佳哉、何かあったら病院に連れて行けよ、何だよ教会だから大丈夫って」

「アレ?そういうのって牧師は言わないの?ウチでは親父がよく言うけどな、お客さんの誰かが病気なんですって言うとさ、ここは寺だし大丈夫ですよってヤツ、ホラ葬式がスグできるじゃん」

「悪いけど今そういうの笑えないから」

僕は冷房の風があたる席を、汗が止まんないんだけどと言って部屋にあった近所の電気屋のうちわでずっと顔をあおいでいる紫苑ちゃんに譲り、手元にあったパソコンとスマホを向かい側の席に退かした。そうしたら佳哉が僕のスマホの画面を覗いて

「あ、メール来た?何?律君良くないの?」

そう聞いた。律君の手術が予定時間を大幅に超過して終わったという所までは、佳哉も僕が手術日の明け方まで何度も起きてはスマホを確認し、結局手術の翌日の朝6時に真奈さんから送られてきたメールを一緒に見て知っていた。そしてその後ずっと律君の容態を気にしていて、1日に3回位真奈さんから何か連絡がないのかを僕に聞くのが日課になっていた。

「あと3日位がヤマだって。なあ、この『危ない』ってどういう事なんだ?手術自体はその…やらないといけない事はちゃんと全部出来たんだよな、それって成功って事じゃないのか」

「ん-どうだろ。でもこういうのって、手術自体よりその後の方が問題だから。手術って人体を切って開いて縫ってってもう交通事故で内臓破裂レベルのインパクトなワケじゃん、そんでその後ちゃんと体が上手く動き出さないと手術してもそれは成功って事にならないんだと思うよ。手術して作った新しい体を乗りこなす力がその人に残ってないと。俺医者じゃないけどさ、多分そういうのってどの病気も大体同じなんじゃない?よくテレビとか映画なんかで、手術は無事終わりましたって、それで助かりました、めでたしめでたしっていうアレ、絶対嘘だよね」

何でもその後が長いんだよ。佳哉はそう言いながら苺のかき氷の中心にあるバニラアイスを木のスプーンで慎重にすくって隣にいる僕の口に突っ込んだ。そうしたら僕らの話を聞きながらかき氷の上のレモンの輪切りを剥がして齧っていた紫苑ちゃんが、2人とも仲良しやなあと言って笑い、それから

「何?誰か病気なの?」

僕にそう聞いて来た。この17歳の女の子はこういう事をとても気にする。恰好と言動はちょっとアレでもとても優しい子だ。

「ウンちょっとね。3歳の男の子が手術して今、あんまり良くないみたいで」

「可哀相、お見舞いとか行けへんの?お父さんも佐伯センセ―もよくお見舞い行くやん、教会の人が入院してたらさ」

「その子が今いるICUって面会制限あるんだよ。小さい子の親でもそう頻繁に入室できないし、仮に入れても長い時間一緒にいられないんだ。もし、その子がもういよいよってなった時には暁星なら牧師だし、親御さんが我が子の臨終の席には牧師にどうしても同席してもらわないと困るんだって言えばもしかしたら入室できるかもしれないけどね。それだって現場の責任者と多分ガチバトルだよ。要、相談」

「ふうん、1人で頑張ってるんや、辛いね、でも偉いね」

「その子のお母さんとお父さんもね」

佳哉はそう言って、紫苑ちゃんからレモンのかき氷を一口貰っていた。僕は真奈さんが教会に来てくれたあの日からずっと考えていたことがあって、それを本人に聞いてみようと2人がかき氷を食べ終わるのを伝票の整理をしながら待っていた。でも紫苑ちゃんがレモンのかき氷を食べ終わった時に保育園の方から園長の恵子先生が部屋の扉を勢いよく開けて入って来て

「コラ紫苑!佳哉!2人とも仕事が終わってないでしょ!佐伯先生もこの不心得者を匿ったりしちゃダメ!」

そう言って2人の首根っこを掴んで保育園に回収して行ってしまったので、僕はそれを聞く事が出来ないままその日は夜遅くまで仕事をしていた。住まいと職場が一緒というのは通勤時間が0分とかそういう便利な所もあるが、仕事が終わらないとなると本当に永遠に終わらないのが困る。あと別件で1人で飯を食えない子どもみたいな男が部屋にいるのも困る。この日も僕は、僕が立ち上がって冷蔵庫から卵と野菜とハムを出して炒飯を作るまで僕の顔を捨て犬みたいな顔で恨めしそうに見ていた佳哉と喧嘩に、いや僕が一方的に怒っただけか、とにかく少し険悪になった。お前はいい加減に自分の飯ぐらい自分で作れよ。

だからその日、僕は自分のここ数日の疑問を佳哉に聞きそびれた。

「なあ佳哉、お前、いつそんなに病院とか病気とか入院とかに詳しくなったんだよ、僕が知らない間に何かあったのか」

僕が知っている佳哉は理学部の学生で医学部なんかには行ってなかった筈だし、自堕落で怠惰ではあるけれど至極健康で、だからそういう佳哉を僕はそれまで全然知らなかった。



翌日、僕はあの律君の入院している病院に行く予定があって午前11時の面会開始時間に間に合うようにそこに出かけた、と言っても病院はすぐ近所だから徒歩だ。

『病床の信徒を見舞う』というのは僕の大切な仕事のひとつで、相手は大抵の場合お年寄りだ。その人の家族の話を聞く事もある。これは仕事だし出先は病院で先方は病気だ。だから僕は朝、パンツ1枚で冷蔵庫に頭を突っ込んだまま紙パックから直接牛乳を飲んでいる相変わらずだらしない佳哉を注意しながら

「今日のこれは正式な仕事だからな、ついてくるなよ」

そう言って佳哉に釘を刺した。そうしたら佳哉は

「ウン、俺も今日朝から用事あるから出かける。あ、そこの府立医大の付属病院行くんだったら、あそこICUは5階だから、行けばもしかしたら律君のママに会えるかもよ」

牛乳の紙パックを僕に取り上げられた佳哉は、次に食パンを生で齧りながらそう言った。

「お前、何でそんな事知ってるんだよ」

「調べたから」

「そんなの、向こうが来いって言わなきゃ行けないだろ。迷惑になる」

「そうかな、誰かに自分の所に来て欲しいって言うのって結構勇気いるから言わないだけなんじゃないの、俺は迷惑だなんてそんなこと全然無いと思うけどな」

「とにかく、お前は出かける前に、お前の巣みたいになっているあの和室の一角を片付けろ。それから帰ってきた時にまだ僕が戻ってなくて、それで教会に何か電話がかかってきた時に要件をちゃんと聞いてメモを取ること、あとアレだ夏休みの宿題だ、やっとけよ」

僕がそう言うと、暁星ってやっぱりお母さんみたいだねと言って佳哉は笑ったので僕は呆れて

「だから僕はお前を産んだ覚えなんかないし、同い年の友達に面倒見てもらって辛うじて生活を維持してるなんておかしいだろ、もうちょっとしっかりしてくれよ」

そう言った。でも案の定、佳哉は自分の巣、佳哉の個人スぺ―スで僕の寝室でもある和室の半分をそのままにして僕より一足先に出かけてしまった。いつもは敷きっぱなしにする布団を今日は畳んでいたのを僕は評価してやるべきなんだろうか。思えば佳哉の母親は、穏やかで控えめな、そしてとてもきれい好きな人で、僕は中学高校とよくアイツの家に遊びに行ったけど、寺の本堂も同じ敷地の中にある佳哉の自宅もどこもすべて塵ひとつなく美しく磨き上げられていて、家やお堂のあちこちには佳哉の母親の手によって季節の花が美しく活けられていた。顔を合わせると子どもの僕にも折り目正しく挨拶をしてくれる、そういう人だったんだけどな。それなのにその息子がこの有様だ。

「この本とか紙とかの山は一体何なんだよ、もう捨てるぞ全部」

僕が独り言を言いながら、佳哉が読んでいる本、ノート、それから何かのレポート、あとは多分園児から貰った似顔絵だろうか、そういうあまりにも見栄えの悪い書籍と紙の束の山、それを致し方なく少しだけ分別して脇に除けていると、そこから佳哉宛の絵葉書が1枚ひらりと出て来た。差出人は

『高野佐和子』

佳哉の母親からだった。僕はそれを読むつもりなんかはなかった、断じて。でも葉書というものは文面が隠されていないし、そこに書かれた短い文章は目に入れば、人はどうしても情報として目に飛び込んで来たそれを頭で理解してしまう。

佳哉へ

電話も出ないしメールも既読にならないので葉書を書きました。
体調の方はどうですか、広大の付属病院から紹介された府立医科大学の病院にはきちんと定期的に通っているのでしょうか。
少しでもおかしな感じがしたら必ず受診してください。
それと貴方にいつも親切にしてくれている暁星君に迷惑をかけないこと。

母より


葉書に書かれていたのはそれだけだった。定期的に受診?広大から紹介されて?府立医大のあの病院に?佳哉が?

僕は、疑問符だらけになった頭のまま、その葉書をまた佳哉の本と紙の山の中にそっと戻し、畳の上に転がっているペットボトルを捨てて、底に麦茶が1㎝残っているコップを流し台に持って行って洗い、あとそれから佳哉が無くしたと言っていたBluetoothのイヤホンの片割れを回収してそれを佳哉の使っている小さな座卓の上に置いて、それで静かに部屋を出た。

あいつ何か持病があるのか、僕は何も聞いてないぞ。

そんな事を考えながら歩く夏の鴨川の歩道は、盛夏の日差しがアスファルトに照射してそれが強い照り返しを作り、僕はネクタイをして来た事を歩き始めて3分で後悔した。僕はそれを緩めて解き、それから『牧師』をやる時に掛けているシルバーの細いフレームの眼鏡も外して鞄に仕舞った。もう眼鏡すら暑い。でも僕はこの前真奈さんが『若い牧師さんですね』と言っていた通り、どうも聖職者を名乗るには顔が童顔すぎるらしい。思えばよく大学生に間違われるし、佳哉と並んでいると寝間着みたいな恰好の佳哉の方を牧師だと思う来訪者もいる位だ。だからこういう時は眼鏡をかけている。度は入っていない、ハッタリだ。

この日の訪問先は食道がんの術後入院中のおじいさんで、82歳のその人は元々大学で哲学を教えていた人だった。大学の多い街の真ん中にある僕の教会にはそういうアカデミズムの退役軍人みたいな老人が結構な数所属している。そして博識な彼らは牧師である僕や榎本先生に対してとても手厳しい。聖書解釈の齟齬、説教で引用した言語の間違い、英語、ドイツ語、ラテン語、アラム語に至る迄その手の事を見つけるとその場で即指摘してくる。それを榎本先生は

「僕はあのインテリ軍団が怖いんや」

そう言って本気で畏怖している。自分だって大学教授の癖に。それでああいうお年寄りには君みたいな孫位の年齢の人間が訪問するのが一番いいんやと言って、今日、その田原さんと言うおじいさんの病床訪問を僕が仰せつかった。

「いや、よく来たね、今日は君と話が出来るのを楽しみにしてたんだ。病院なんて本当につまらん、術後で疲れやすいからって医者から本も読むなって言われているんだよ」

田原さんは僕が病室に入ると、ご本人は流石に術後で点滴台にぶら下げた輸液のパックに繋がれて少し面やつれした風情ではあったものの、少し傾斜をつけたベッドに体を預けたまま僕の顔を見て嬉しそうに微笑んだ顔は然程憔悴しているようでもなかった。その田原さんは牧師の僕を目の前にして別に祈る訳でも聖書の話しをするでもなく、この日は自分が大学の助教だった頃の話を僕にしてくれた。

「佐伯君は、ベルリンの壁が崩壊した年はどこで何をしてた?」

「あ…ええと1989年ですか、それだと僕はまだ生まれてません」

「えっ?そうか君、まだ20代なのか。いやあ若いなあ、ウチの孫よりまだ年下だ。あのねえ、佐伯君、僕はその年に大学から派遣されて西ベルリンの大学にいたんだよ。それでね、11月9日だ。ラジオのニュースで東ベルリンが事実上の旅行の自由を認めると、こう言ったって言うもんで市内は大騒ぎになってねえ、同じ大学の学生連中と現場を見に行ったんだ。そうしたら壁をみんなして持参のハンマーやら何やらで破壊しててね、それで僕は歴史的瞬間に立ち会ってるんだと思って気分が高揚してしまって、走って下宿に引き返して、工具入れからハンマーを持って来てドイツ人に混じって壁を叩いて砕いてね、その欠片をいくつか下宿に持って帰ったんだ。それで日本で子ども達と待っている妻に国際電話をかけてその事を話した。オイ、僕は歴史の生き証人として歴史的瞬間に立ち会ったんだぞってね。その歴史の記念品があるから君達に送ってやろうってそう言ったんだ。そうしたらウチの妻、僕になんて言ったと思う」

「えっと、ありがとうとかじゃないんですか」

「違うよ『そんな事してる暇があったら、論文のひとつも人より多く書いて早く教授になったらどうなの』って叱られてね。当時僕は50歳近くなっていたのにまだ助教でねえ、しかも海外に自分だけ行って日本にいる妻は子ども達と母子家庭状態だろ、まあ怒られたよ。妻は、僕が長く学生やら薄給の嘱託講師やらをしてる間に私立小学校の教師をしてずっと生活費を稼いでくれていてね、今でも頭が上がらないんだ」

「じゃあその壁の欠片はどうなったんですか」

「日本に持ち帰ったけど、学生に全部あげちゃったよ。残ったのは昔の楽しい思い出だけだ。でも年を取ると、その思い出こそが生きる糧になる、こうやって見舞いに来てくれた君との話のネタにもなる」

これは牧師の病床訪問と言うよりは完全に孫のお見舞いじゃないのか。僕は田原さんが喜んでくれている事も、それから経過が良くて今月中には自宅に戻る事が出来るかもしれないと言う事も、それは勿論嬉しかったが、こういう時僕はなけなしの自信を少しだけ無くす。

果たして僕はここに牧師としている意味があるんだろうか。

でもこの日、僕が暇を告げると田原さんは僕の手を握って

「来てくれて嬉しかったよ。君が牧師で、病人を見舞うのが仕事の人間で良かった。とりたてて用もないのに誰かと話がしたいとか人寂しいからって忙しい若い人を呼びつけるのは僕みたいな老人には、なかなか勇気がいるもんなんだ」

そう言ってくれた。佳哉もこれに似た事を言ってたな。

「そうかな、誰かに自分の所に来て欲しいって言うのって結構勇気いるから言わないだけなんじゃないの、俺は迷惑だなんてそんなこと全然無いと思うけどな」



だからと言いう訳ではないが、僕はこの日、田原さんのいる7階の病室を出て階下に降りるエレベーターに乗った時、正面玄関のある1階ではなく5階のボタンを押した。そこに乗り合わせた病衣だったり、僕のような誰かの見舞いの人間だったり、白衣を着たこの病院のスタッフだったりする数人は僕も含めて沈黙の中、下に降りて行くエレベーターの重力に身を任せていて、僕が5階のボタンを押した事を誰も気になんかしなかったし咎めもしなかった。当たり前か、5階は別に一般の人間の立ち入り禁止区域じゃない。でも僕は夏休みの学校に勝手に入り込んだ小学生のように少しだけ緊張して掌に汗をかいた。

律君はどうなったんだろう

僕が5階に停止して開いたエレベーターの扉の外に静かに降りた時、そこには数名の看護師らしい数名が早足で移動していて、あとは暗くて静かな、そして無機質で生き物の気配のあまりしない暗い廊下がずっと先まで伸びていた。僕が壁に設置された『ICU/HCU→』という矢印を頼りに廊下をずっと奥まで進むと、その突き当りに集中治療室と書かれている巨大な自動扉があった。集中治療室は、Intensive care unit、その頭文字を取って『ICU』だから僕の目的地はここであっているんだろう。でも完全に部外者である僕は当然そこには入れないし、真奈さんが偶然そこから出て来るなんて事も特になかった。

「何してるんだろうな」

僕はそう言って、田原さんの病室に入る時にスマホの電源を切ってそのままだった事を思い出し、スマホの電源を入れた。僕がそれを右手に握ったまま起動まで少しだけ待つとそこにメールがひとつ来ていた。

真奈さんからだった。

先生こんにちは。律ですが、あと1日まって補助循環装置が外せないようであれば、一度私達夫婦と主治医と執刀医、全員で話し合うと言う事になりました。全身状態がとても悪く、黄疸が出て、体も顔も黄色くパンパンに浮腫んでいます。見ているのがとても辛いです。どうか、祈ってください。

この扉の向こうの3歳の男の子は今、本当に危ない状態らしい。

僕はICUの扉の前に立ったまま、今メールを見た事、祈る事、もし必要ならいつでも僕の事を病院に呼んで欲しい事、それを伝える言葉を出来るだけ慎重に選んでその場でメールを返信した。

『命の終わりにとりなしの祈りが必要だとそう思われたのであれば、あなたが良ければですが、それは僕が引き受けたいと思います』

僕はそう言ったのだから、迷惑でもいいじゃないか。真奈さんは今自宅に戻っているらしく、僕のメールは既読にはなったが、返信はなかった。僕はそのままエレベーターで1階に降りたもののそれで教会に直ぐに帰る気持ちになれず、病院の建物の裏、駐車場の一角にある喫煙スペースのベンチに座って胸ポケットからタバコを取り出し、白くて細いそれを1本口に咥えた。佳哉は以前、僕の事を

「暁星ってさ、タバコは吸うし酒は飲むし不良だね」

そう言った事がある。成人してるんだから問題ないだろ。そう思うけどなんだか僕は最近タバコを咥えた瞬間に佳哉のこの声が幻聴みたいに聞こえるようになった、一体なんなんだよアイツは。

「タバコはあれだよ、トランキライザーだよ」

僕は誰かに言い訳するみたいに独り言を言ってから火をつけた。そうしたら背後でまた佳哉の声がした。

「あ、さぼりだ」

ホント何なんだよお前は人の頭の中でもホントに煩いヤツだな。そう思って顔をあげたらそれは幻聴なんかではなく本物の佳哉で、僕は驚いて中腰になって立ち上がり口に咥えているタバコを膝に落とした。熱い。

「え?お前何してんの?ここには来るなって言っておいたよな?」

「ん-散歩。横座って良い?」

「いいけど、煙そっちに行くぞ、反対側にしろ」

僕が体をずらして佳哉に風下を譲ると、佳哉は何が嬉しいのか笑顔で僕の隣に座り、僕の手元のタバコを取りあげて、そこから一本抜いて自分も口に咥えた。

「何?お前吸わないんじゃないの?」

「そうなんだけど、これって美味しいモンなのかなあって思って」

「体に悪いぞ」

「じゃあ何で暁星は吸ってんの?禁煙しなよ。アメリカに2年いたんでしょ?こういうのって向こうの方が嫌がられるんじゃないの、それに暁星のイメージじゃないよ」

「どんなイメージだよ。それに僕はこの件に関してだけは日和見主義じゃないんだ」

僕らはいつものあまり中身のない会話をしてから、佳哉も良く知っている田原さんの術後が順調そうである事、対して律君の状態があまり良くない事、それで今後の方針、多分積極的な治療を続けるのかどうか、それを話し合うらしいこと、そういう事を話した。

「なあ佳哉、牧師とか僧侶とか、こういう時本気で役に立たないな、何なんだろうなこの仕事って」

僕がタバコの煙と一緒にそういう愚痴のような諦めのような言葉を吐きだすと佳哉は

「うわ、何これ不味い」

そう言いながらタバコを口から離して、それから僕にこんな事を言った。

「そういうのってさ、割と高尚なサービス業とか文筆業みたいな人たちも言うよね『自分達は何も生産的な事をしていないって』暁星が今そういう文化人の劣等感みたいなヤツを感じてんならさ、保育園の菜園で畑でもやりなよ、それか漁師にでも転職するとか?」

「身も蓋もない事言うな」

「じゃあ続けなよ牧師。暁星は向いてるよ、少なくとも俺は助かってる訳だし」

それって慰めてるつもりなのか?僕はそう言おうとして朝から、いや違う、数日前からずっと僕の頭の奥に引っかかっていた事をひとつ思い出した。そうだあの葉書、それに真奈さんと話をしている時に妙に病気とその周辺の事を写実的に知っているお前と、今ここにいるお前と、それから風邪をひいただけでここの大学病院を受診していたお前は一体何なんだよ。

「佳哉、お前どっか悪いのか」

「え?何急に。俺、頭も顔もまあまあいい方だよ」

「何自惚れてんだよ、違うよ、僕が言ってるのは体の方だよ。お前何でここの大学病院に風邪ごときで受診する必要があるんだ。それとお前のお母さんから来てた葉書、悪いけど落ちてたから読んだぞ。何だよ広大から紹介って、それでここの病院に定期受診てどういうことだ」

「暁星、人の手紙読んじゃだめだよ。それにさ、体の事はホラ、セックス同様、俺には超個人的ですごく大事な事だから答えられないよ。暁星だってさ、俺が前に紫苑ちゃんに聞いたみたいな事急に聞かれたら嫌だ…」

「僕は童貞じゃない、付き合った事があるのは過去2人、女の子だ。それからセックスは普通のスタンダードなのしかやらない、平凡な人間だからな。だからアナルセックスはした事はない。キシロカインゼリーが何なのかは知らん。答えたぞ、お前も答えろ、何だよ医大の付属病院に定期受診て」

僕は佳哉が全部を言い終わる迄にそれにかぶせて答えたくない自分の事を全部一気に答えた。佳哉は僕の質問に答えたくないのであって僕の性遍歴の事を聞いているんじゃない事くらい僕にも当然わかってる。でもそうでもしないとこの男は口を割らないだろう。そして僕は間接的に知っている3歳の男の子が死の淵にある今、この手の話題にとても過敏になっていた。全部自分の為だ。未熟な自分の自己満足だ。

「何それ暁星、童貞じゃないの?俺の事裏切ってたの?酷い」

「聞かれてることに答えろよ」

最初、佳哉はいつもみたいに笑ってごまかそうとした、でも僕は絶対に目を逸らさなかった。それで佳哉は観念して僕に、僕がこれまで全然知らなかった事実を教えてくれた。

☞4

佳哉が急性骨髄性白血病を発症したのは、僕が留学して日本を離れ、佳哉が大学院の博士課程に進んだ25歳の夏だったそうだ。

夏風邪をひいて数日間高熱が続き、それが全く解熱しないのでちょっとおかしいんじゃないかと近所の内科医院から在籍していた大学の附属病院に紹介状を持って受診してそれは発覚した。佳哉はそれから約1年、大学院に籍を置きながら、まずは入院して薬物治療を受けて一旦完解状態、正常な血液の状態にもってはいけたものの。その数ヶ月後の検査で再発が分かり、再入院し、そこで運よく自分に適合したドナーが見つかって造血幹細胞移植を受けたんだと僕に説明してくれた。

「なんだかよく分かんないけど、治ってんのかそれは、大丈夫って事なのか今は」

「ウーン、今は完全完解って言って、病気はナリをひそめてますよって状態なんだよね。今年で経過観察3年目で一応5年待って何も起きなければ、まあひと安心ていうか。でも全く以前と同じ体ですって訳じゃないけどね。一時は命も危なかったらしいし、体内に爆弾抱えて生きてる感じかなあ。でも人間て多かれ少なかれ皆そんなモンでしょ。言ったじゃん、人間は生老病死のサイクルからは逃げられないんだって、みんないつか何かしらの形で死ぬんだよ」

「佳哉お前、何でそんな冷静なんだよ」

「そうかなあ、まあでも俺別に妻も子どももいないし、気楽な身の上だからじゃない?でも治療中は大変だったよ。入院して何だっけか、あのシタラビンとイダルビシン…だっけ?忘れちゃったなもう、そういう抗がん剤をブレンドして投与してさ。それがもうやばいのなんの、口の中がずっと気持ち悪いの、薬の所為で味覚が変わっちゃうんだって。それで俺、本気で何も食えなくなって、更に腹も壊してそれだと脱水を起こして別の意味で死ぬからって、ずっとでっかい点滴のパックぶら下げて生きててさ、あと鼻に管通してそこから栄養剤みたいの流されてたの、律君と同じだよ。あの時は髪も坊主にしてたんだ、毛が抜けると布団が髪の毛だらけになるだろ、そうなると掃除が大変だから。アレ、きつかったなあ。それで毎日病院の天井とカーテンレールばっかり眺めながら、もし今死ぬなら最後に暁星に会いたいなあって思ったんだよね、俺、暁星しか友達いないし」

佳哉がそう言って、もう一本タバコを口に咥えようとしたので、僕はそれを取り上げた。不味いんだろ、それに体に悪いんだぞ、やめとけ。

「何で呼ばなかった」

「え?何が?」

「だったらメールも電話も出来たんだから、僕を呼んだらよかったじゃないか、何でその時に呼ばなかったんだ」

「だってその時暁星アメリカにいたじゃん、アイダホだっけ?テキサスだっけ?」

「ニューヨークだよ。でも呼べばすぐに帰国したし、それでお前の病院に行ったぞ、広島でも沖縄でも、どこでも」

「だからだよ。呼んだらどこにいても来ちゃうだろ、暁星優しいから。それに言っただろ、誰かに自分のために来て欲しいって言うのは結構勇気がいるんだよ。だからやめとこうって。そんで生きて退院できたら暁星のとこに行こうって思って」

それで佳哉は、退院して体がある程度『大丈夫』だというお墨付きを医師に貰ってから、親に仏門に入ると言ってわざわざ僕のいる京都まで来てしまった。まあ筋道は通っている。佳哉の両親は大病をした息子が人生を仕切り直したいと考えているんだと、そう思ったんだろう。それに何せコイツの家は寺だ、2人いる息子が2人とも坊主になっても特に問題なんかない。

こいつの何か達観した感じと、それでいて重荷を負う人間への落ち着いた眼差しみたいなものは、全部経験則なんだ。そこを全部乗り越えて来てしまった人間だけが持っているものなんだ。

そういう事か。

「まあ今の大学を卒業する頃には、一応長期生存が約束された事にもなる訳だし、それまでは好きにやりたいなって」

「お前は、僕が知ってる限り14歳の頃から十分好きに生きてると思うけどな」

「そうかな?でもホラ、これでまた再発っていうか転移っていうか、また死ぬかもみたいな事態になってさ、それで会いたい人にも会えず、死んだ時に骨壺を抱いてて欲しい人に何にも伝えられないまま死ぬ位なら、言いたいことは言いたいし、行きたいところには行きたいし、好きな人ともできるだけ一緒に居たいし、もうなんかさ、好きにしたいじゃん」

「あのさ、それ前から思ってたけど、お前って何なの?本気で僕が好きだとかそういうヤツなの?違うだろ?」

「あのさあ、俺思うんだけど互いが性愛の対象じゃないと、誰かと2人で暮らしちゃいけないって事は無い訳じゃん、相手が男でも女でも。まあ紫苑ちゃんが言うみたいに同性でも異性でも2人の人間が一緒にいてそこにどうしても性がさ、セックスが介在しないと駄目だっていうなら俺頑張ってみるけど、暁星どうする?俺が突っ込む役でいい?」

「…それは何か痛そうだから嫌だ」

「じゃあいいじゃん、暫く黙って俺に付き合ってよ、それが暁星が今の仕事をしてる意味だと思ってさ」

「お前、別に僕の教会の信徒じゃないし、何なら坊主だろ」

僕はそう言って、タバコの火を消し、それを携帯灰皿に放り込んで立ち上がった。日よけはついていても真夏の屋外だ、とにかく暑い。僕は数年前に死にかけていたらしい佳哉をこんなところに置いていていいのかと俄かに心配になっていた。

「佳哉、帰ろう、それで今日はなんかうまいモン食わしてやる。あとお前も律君に奇跡が起きるように祈れ。真奈さんが全部を受け入れようとして静かに諦観しているんだとしても、それが今の、彼女の母親としての正しい姿勢なんだとしても、外野は奇跡を祈るのが筋のような気がする。般若心経ぐらいお前だって門前の小僧的に唱えられるんだろ」

「えー俺、最初のとこしかわかんないよ」

何だよソレ、ホントに僧侶になる気あんのか、僕はそう言って佳哉を小突いた。ひどいなあ、凄い事告白した筈なのに暁星、全然優しくない。佳哉はそう言ったけど妙に嬉しそうに笑っていた。やっぱり変な奴だ。

ああでも、僕の大事な友達が、僕の知らない間に、僕の知らない所で死んだりしていなくて本当によかった。

神様、ありがとうございます。



僕らは帰り道、真夏の鴨川のすぐ横の遊歩道を歩いている間、特に何も話さなかった。僕らの背中を灼く昼の日差しが強すぎて口をきくのも大儀だったと言う事もあるし、目の前の友人の命が数年前実は危い状態だった事、そしてつい先日知った小さい命が今危ないと言う事、あと82歳の老人の命が救われた事、その全部が僕のひとつの頭の中にある事で僕はとても混乱していたのだと思う。

でもそのどれもが今の僕には全部等しく大切な命だ。

それだけははっきりわかる。



それから2週間後、真奈さんから律君がICUを出て小児病棟に移ることができたという連絡が来た。

添付されていた画像はまだ、これは人工呼吸器というのだろうか、そういうのを口に差し込まれて顔をテープでガチガチに留められてぼんやりと目を開けている、そんな律君の姿だったけれど、

『大きな山を越えました』

という文言から始まるそのメールを僕は100回位読んだ。そして佳哉にも、それが送られてきた時相変わらずあいつはキッチンの床で寝ていた訳だけれど、叩き起こしてそれを見せてやった。

「やったじゃん、まだ先は長いんだろうけど、秋にはここに遊びに来てくれるんじゃない?楽しみだな、俺何して遊ぼうかな」

「お前はちゃんと大学に行けよ、試験あるだろ」

僕らは相変わらずだ。でも僕は少しだけ、以前ほど自分の存在意義について迷っていない。

サポートありがとうございます。頂いたサポートは今後の創作のために使わせていただきます。文学フリマに出るのが夢です!