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スターター人生

かつてはあんなに、保育園の入場行進口の紅白の柱にすがりついて「運動会なんか出るものか」と言いながらこの世の終わり程に泣いていた(らしい)私が、いざ己に子どもが出きてその子が、十月のひやりとした空気の朝に

「うんどうかい、頑張るね!」

など言ながら赤白帽をきゅっと凛々しく被るのを見ると、運動会というのはなんて素敵なんだろう楽しそうなんだろうとなんだかとっても素晴らしいじゃないのと思ってしまうのはなんという日和見主義だろうとは思うのだけれど、しかし幼稚園、もしくは保育園、ないしはこども園の運動会というのは楽しいものです、個人的に保護者としては。
 
五歳の幼稚園生活最後の運動会は、かれこれ三年程前から世界を席巻した感染症の故に、年長さん、年中さん、年少さんそれぞれ別日別枠での開催となり、あのひよこのような年少児のよちよちとした入場行進と、時折どうにもママが恋しくなってしまって「ママー!」という雄たけびと共に先生に抱えられて入場する様子を見られないのは大変残念ではあるものの、ここ数日先生方を「これはどないなんねんろ」と翻弄した雨雲もどうやら午後からの登場ということで、なんとか無事に開催された今年の運動会は、朝八時から元気な年長さんの入場行進で始まったのでした。
 
年長さんと言えば幼稚園では最高学年であって、全ての小さい組さんを束ねるお兄さんでお姉さん。それにふさわしく運動会の各種目も、子どもらの身長とそう変わらない大きな旗ときらきらとしたポンポンを持って舞い踊るパレードに組体操にクラス対抗リレー、それは
 
「みんなは来年、小学生になるのですよ」
 
と先生が腕まくりして小学校の運動会のトライアル、前哨戦として用意してくださったもので、そうやって「みんなで一緒に、ちからをあわせて」をできるようになって、みんなは小学生になりましょうという保育目標の全面に押し出されたもので、年長さんたちはそれこそ一学期の頃からそれをせっせと練習し、準備してきたのだった。
 
のではあるけれど、うちの五歳、通称ウッチャンは心臓の病気の子で少し別枠であるというか、幼稚園ではがらごろと自分で酸素ボンベの入ったケースを専用のキャリーで持ち歩きながら過ごしているやや特殊なタイプの園児であって、実のところかけっこやらダンスやらの運動はやろうと思えばかなり普通にできるのだけれど、それに心肺機能が全く付いていってくれないと、そういう難儀な体をしているもので、今回の運動会の最初も、入場行進の段階から園庭に美しく整列したお友達の前方、来賓席の隣に設えられたコドモ椅子にすたすた歩んで行ってそこにすとんと座って来賓と一緒に園児を眺めるという案配で、特に年少年中の頃よりも運動量のぐんと増えた種目が目白押しである年長の運動会では
 
「これは参加させずに体力を温存することが妥当であろう」
 
と先生と相談して「出場しない、見学」という演目が半分以上という寂しさで、それはやはりいくらかかりつけの大学病院と幼稚園が目と鼻の先であるとは言っても、運動会で倒れて救急搬送ていうのも洒落にならんのやし、実際ウッチャンは走ろうと思えばなんぼでも手足は動くのだけれど、その時体内ではもともと血中に酸素の少ない、特殊な構造の体が大変なことになっていて、全力疾走などしてしまえばその直後のSPO2(酸素飽和度)は医療用酸素を使っていても75%、常人やったら卒倒しとるというレベルまで落ちるもので、組体操もリレーもそういう持久力とか体力を潤沢に要するものは
 
「これはちょっとやめときましょうか、ウン、まじで」
 
ということになったのだった。
 
それだから今回の運動会は、ウッチャンが本格的に心臓疾患児として出られない種目の明確にいくつも発生した運動会であるということになり、いうなれば『特殊・特別枠』が明確化した運動会ということになった。それで、そういうのは一体本人は楽しいのかしらん、嬉しいと思うのかしらんと私が心配していたら、意外にも本人は
 
「あたしパレードには出るから見といてな!」
 
と言って一種目に闘魂というのか魂を燃やし、まあ鼻血の出そうな張り切りようで、実際のそれは普段運動を避けているせいもあって、安定のワンテンポずれの演技ではあったけれど、掛け声だけは誰より大きく、キラキラとしたポンポンを握りしめるウッチャンを目の前に、私はやや肌寒い園庭で鼻の奥がちょっとツンとなった。
 
そして、ウッチャンは今回の運動会で『特殊・特別枠』として、大役を任されていた。そのために体力の温存をしていたと言っても過言ではないと言うか。その大役というのはリレーのスターターであって、あの
 
「位置について、ヨーイ、ドン!」

をする係で、駆けだすことが、全力疾走することが生涯叶わない、そういうことをすると稀に心不全を起こすのですよという子らの花形の役目が、今回ウッチャンには巡ってきたのだった。しかしこれ、穿った言い方をすると、もしくはひねくれ曲がった考え方をすると
 
「だって、それしかできること、ないのやろ」
 
ということにもなるのだけれど、しかしそこは先生方が皆こぞって
 
「ウッチャンがスタートと言うてくれへんかったらリレーが始まらへんのよ!」
 
などと、ウチの娘をせっせと盛り上げてくださって、ウッチャンは走れへんでもみんなと一緒に競技に参加しているのやでと運動会当日は、というかそれは今日のことなのだけれど、クラス対抗リレー選手入場の後、さあいざ第一走者がスタート地点にずらりと並び、スターターであるウッチャンが付き添いの先生と一緒にスタートライン横にホイッスルを持って立った時に
 
「スターターは、○○組の…ちゃんです」
 
と先生から登板のアナウンスまでいただいたのには、いやもうウチの子の為にどうもすみませんと思って親は恐縮しきりだったけれど、当の本人は嬉しかったしとても誇らしかったのだそうだ。
 
こうして今日、ウッチャンのの「運動会はスターター、もしくはゴールテープ係」人生は始まった。ウッチャン、この先の運動会でもスターターとして鋭意頑張ってくれたまえ。
 
ところで、そういう普通の、元気で健康なお友達の集う幼稚園や、この先通う予定であるところの小学校で、普通ではなくやや特殊で特に運動や校外活動に関しては常に特別の配慮を貰い、医療機器をがらごろと抱えて生きている子というのはとにかく目立つもので、そういうの、本人はイヤではないかなと、私は特に年長児になってからはウッチャン本人が自分をどう思っているのかということをとても注視してきた。
 
(自分は人とは少し違う、できないことが多い、いやそもそもスタート地点が周囲のお友達と相当に違いすぎる)
 
そういうことに傷ついてはいないか、悲しんではいないか、それをいつも気にしていたのだけれど、何とはなしに、それは担任のベテランの先生があまりにも細やかにウッチャンのことを気にしてくれている故でもあるのだけれど、当のウッチャンは
 
「あたしはあたしよ、なんなのよ」
 
という風であってあまり、周囲と自分がやや違うことを気にしていないようで、リレーでぐるりと園庭を全力疾走することと、皆が一斉に走り出すためにスタートの号令を出すのとは役割が違うだけで、競技に参加してるってとこでは同じことやろ何がそんなに違うのーん?などと思っているようだった。
 
そして私も、なんとはなしに、酸素の機械を持ってひとり「走れないもんで…」とスターターを務める自分の娘が「あら病気なのね、可哀想ね」という視線の中に置かれることであるとか、「可哀想なのに頑張っている子」というやや感傷的な物語の文脈の中に配されることであるとか、他所のお子さんが、元気に思い切り各クラスのバトンを持って走り抜けることなどを
 
「あーあ、なんでウチの子は…」
 
もう勘弁してくれよなどと思うのかな、思ってしまうかなと考えていたのだけれど、実際に毎日の送り迎えの際に顔を合わせているクラスのお友達が走り出してしまえばそんなこと、一切考えている暇と隙はなかった。
 
あのいつも「ウッチャンのおかーさんやー!」と私に手を振ってくれるお友達の足の速いこと、私の顔を見て何でかぴったりくっついてくるあの子の、転んでもひとつも泣かずにすぐに起き上がって走り始める精悍さ、あの子、普段はとても大人しやかで優しい子やのにエライ気合で走るやん。
 
なんてことで私はいちいち感動して大喜びで、ずっと手を叩いていた。
 
そうしてウッチャンのクラスはアンカーの男の子がゴール前で抜きつ抜かれつ、最後には写真判定になる程の接戦を制して一等賞、皆、大喜びだった。
 
何のことはない、一緒に毎日を過ごして、笑ったり泣いたりして、それぞれがそれぞれの在りようにちゃんと馴れてさえしまえば、走れない子と走れる子の間に何かの溝というか、深くて暗い川の流れることなんかはないのだ、きっと。
 

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