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2歳と生活のようなもの。

2歳は恐ろしい。

2歳には怖いものがない

2歳の辞書にはできないと言う文字がない

2歳は誰にも遠慮をしない

2歳はこの世、森羅万象のすべてを我が物だと思っている

故に、養育者の日日の疲労と労苦は果てしない。

今から9年前、目に付いた物にすべてに突進し、気に入らないモノはすべてアンダースロー投球、朝から日が傾くまで外でストライダーに乗っていた息子2歳を育て、その2年後に今度は終始ママにべったり、自立自走可能身体能力欠け無し、万全の癖に抱っことおんぶでしか移動しない、ひとをセグウェイか何かだと思っている過度に甘えん坊の娘2歳を育ててこの方そんな事は物理的にも精神的にも痛感していた筈なのに

私は今、また2歳児を育てている

学習しないというか

懲りないというか

バ…あまり自分を卑下するのはやめておきたいところだけれど、とにかく本当にどうかと思う、自分とその人生を賭した飽く事のない難題への挑戦。

平たく言うと無謀。

今日も2歳は酷かった。

朝7時過ぎに目を覚ました瞬間

「オカーチャン!キテー!」

かつて徳川家将軍は寝所からの起床の際はお小姓が

「もう!」

一声、周囲の者達に将軍の目覚めを知らせ、そこから一日が始まったらしいが、まさに将軍の器、そして態度。

母である私が布団に迎えに行くまでは決してそこを動かないし、呼びつけられてから

「ごめんね!ちょっと待ってて!」

例えば、今フライパンで卵を炒ってるから、ほんの少し待っててくれない、など言おうものなら、近くばよってビンタを食らう。

この粗暴さ、加虐性、一体誰に似たんだろうか、まさかと思うが私か。

そしてそこから即、朝食、我が家が5人家族の割に住まいの延べ床面積が狭小であるという利点を生かして、寝床から大人の足3歩で即、朝ごはんを、これだって

「パンとゴハンどっちたべたいですか?」
「パン~」
「卵は?ハムは?チーズは?どれ要る?」
「ハムイナナーイ、プリンイーノ!」
「朝からプリンは無い!」
「ヤ!プリンイー―――――ノ!」

イー―――ノじゃない。

「プリンはゴハンに入りません」
「過剰な糖の取りすぎは百害あって一利なし」

七五調で訓戒を垂れたところで2歳は絶対に折れない。

『子育て』について専門書やその他書籍を紐解いていると稀にこの手のワガママというか天衣無縫かぐや姫の如き無理難題各種要求に「よく言って聞かせましょう」とか「こどもの目を見て穏やかに話し合いましょう」という文言を見かける事があるけれど、ウチの2歳に『言って聞かせる』という事は山から空腹の為に里に降りてきたツキノワグマを話し合いのテーブルに着かせ双方の意見を止揚し決着をつける哲学的試みであると断言していいと思う。

こうなると本人が諦めるまでひたすら拒否の姿勢を貫くか、全面降伏して朝食代わりのプリンを冷蔵庫から供出するかだけれど、いつも大体2歳が勝つ。朝の繁忙極まる中、2歳だけにかかり切りになると小学生チームが確実に登校班に遅刻してしまうという事と、何よりも、元々ちょっと心臓に持病のある2歳は一定時間泣いてわめくと低酸素状態になり見た目蒼白になる。

それは伝家の宝刀チアノーゼ

こんな時ばかり「アタチ身体弱いから」を全面に出してくるとはなんたる卑怯、今度小児循環器科の主治医先生にいいつけてやると思うけど、命を賭してプリンを欲しがる2歳に勝てる人間は世間にどれくらいいるだろうか、少なくとも今日の私は勝てなかった。

そうして2歳は朝からプリンを食べる

ところで2歳児というものは『世界』というものをどのように把握しているものなのだろう。

ウチの現役2歳は前述の通り、少々特殊な事情があってあまり遠出はしたことが無いし、集団保育も経験したことがないし、お友達らしいお友達もいないので、今2歳の世界は

アタチとオカーチャンとオトーチャンとニィニとネェネ。

よく電話をかけて来てくれるバァバとアーちゃん、私の姉。

そして毎月通う大学病院のテンテ―。これは小児循環器医と小児心臓外科医の優しいドクター達。

あと処置室と病棟の看護師さんズ。

そこまでが2歳の地球の仲間たち。

ウチの2歳児が暮らすのはまだ、自宅と病院と自宅の半径2キロ圏内程度の小さな世界だ。

そしてそこにいるすべての人々との関係性は『愛』だ。皆が自分を愛し慈しんでくれていると信じて疑っていない。

2歳というのは、多分そういう幸せな時期なのだろうと思う。

だからこそ毎日とんでもなくワガママだ、悪辣と言ってもいい、普段の行動がとにかく謎に非道。

今日の午前中だけでも

冷蔵庫を侵襲、製氷皿から氷を掘り起こし

台所にある米櫃代わりのプラスチックの容器を引き倒し

床に赤いゾウさんのジョウロで水を撒く

次いでベランダのホウセンカ、これはこの2歳の姉が丹精しているそれに根腐れする程水をやる

そしていい加減やめなさいと叱責した母に

「オカーチャン、キラーイ」

お尻ペンペンしながら己の母親を小バカにした表情で『ニィニノオヘヤ』に駆けてゆく。

これだって母親が決して自分を嫌って見捨てないという事を信じて疑わないからこその『キラーイ』なのだろうが、何しろこの『キラーイ』今日初めて2歳の口からこぼれ出た初ワード。

母は地味に傷ついた。

そして、その『キラーイ』の舌の根も乾かない、ものの数秒後に退避していたニィニの部屋からひょっこり出て来て私に

「ジテンチャノル!」
「オカモノイコ!」

こういうのだから2歳の母親に対する信用係数というものの高さにいささかあきれてしまう、さっき横暴非道の限りを尽くしてついでに「オカーサンキラーイ」と言い捨てて遁走した2歳は。

それで小首をかしげてお出かけをせがむ2歳にさっきの『キラーイ』を忘れて出かける準備を始めてしまう母親も母親というか学習能力皆無、多分2歳からすると大層ちょろい。

2歳は自転車が好きだ。

走り回ったり、乗用の玩具、アンパンマンカーみたいなものを乗り回したりすると、息切れを起こしてその場にしゃがみ込んでしまうので、あまり風を切って動くということが出来ない故だろうと思う。

まだ体が小さい2歳の座席はいつも子乗せ自転車の前の座席。

そこに2歳を乗せると、いつも

「オカーチャン、セキ、ドーゾ」

そう言って早くお母さんもサドルにお尻を乗せなさい、そして出発しましょうと急かす。

そして出発進行で走り始めるといつも両手を高く上げ『バンザイ』のポーズでこう言う

「タノチイネ!」

狭小な世界に住まう2歳にとって、オカーチャンのジテンチャは、ビッグサンダーマウンテン級のアトラクションらしい。

自転車に乗ろう、そして出かけようと言われてもこのご時世、そうそう混雑しているスーパーにこの2歳を連れて分け入る事もためらわれるので、普段は自宅周辺を周遊して、空いているドラッグストアで雑貨を買ったりしていて、今日は、水曜日だけ近所に来ているお花屋さんで2歳がコレと言って指さしたケイトウを買った。

2歳は赤い色が好きだから。

赤いケイトウを大切に抱えた赤いヘルメットをかぶる奔放な2歳を乗せた自転車は近所を2周する。

2歳の大好きな赤い『デンチャ』を眺めに線路を追って。

2歳は親の試金石、育児の関ヶ原、幼児発達の魔窟。

言葉を少しばかり話す癖にこちらの叱責と説得は一切理解しようとしない

何でも出来ると行き過ぎの自意識を保持してやる事なすことそのすべてが危険で迷惑な事ばかり

それなのに、狭い世界の中、森羅万象すべてに愛されていると確信していてもう手に負えない

でも、6月の梅雨の晴れ間、自転車の前座席に座る2歳の、体躯に対してちょっと大きめの頭にちょこんと乗せられたその頭より更に大きな赤いヘルメットが揺れている姿を

私はとても愛しいと思う。

2歳、もう次は無いだろうし、いい加減もう2歳に振り回される毎日には辟易していると言っても、それは嘘ではないのだけれど。

2歳は、実はとても可愛い。


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