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入院日記5。

これは私見であるし、世界には、世の中にはどうしても大きな音があかんのよと、それを防音用のイヤーマフや耳栓を使って防ぐひともあるのでこれは好みの問題であると、それは承知の上でのことなのですけれどもね。

私は『小さな赤ちゃんの泣き声』が大変に好きなんですよね。

いや『好きになった』というのが正しいのかもしれない。

それは、自分が産んだ子どもが、1人目がそれはそれはよく泣く子で、夜、多分あれは眠たいのにうまく入眠できなかったのだろうか

「ねむいんです!」

ほしたら寝たらええやん誰も止めへんと親は思うのだけれどそんな感じに怒ったような声を出して泣くし、昼は昼でほんの少しの間でもベビーベッドの上に置こうものなら

「抱っこしていただいておりませんが!?」

と言って泣くし、何なら抱っこしてもまだ泣く。ある日、オムツを替えても、授乳しても、抱いても下ろしても、何をしてもどうしようもなく手の施しようのないまま一晩格闘してふと見上げた窓の外、東の空の白く霞んで来たのを見た時には本当に絶望で親の方が泣きたくなった。どうしてこんなにこの子は泣くのかしらん、もしやまさかどこか悪いのじゃないのやろうか。

そんな上の子の『対処不能、難攻不落の爆撃機』のような泣き方も、少し成長すると昼にひどく泣いて暴れること自体は減りはしたものの、夜中じゅう泣き叫ぶ妖怪が寝床に現れる日々は恐ろしい事にこの子が4つ位になるまで続いたもので、お陰様をもちまして私はこの子のすぐ下、2年5カ月後に産んだ2番目の娘の乳児期をあまり記憶にとどめていない。とどめていないのだから多分そこまで泣かなかったのかもしれない。

「女の子だからかしらん」

あんまり泣かないねえ。そう思って日中静かに眠る娘の顔を不思議に覗き込んだ事だけは覚えているのだけれど。でもそれは性差、上の子と真ん中の子の性別が違うからという事では全く無くて

「真ん中の娘はただ単におっとりとした大人しい性格だからなんやで」

ということを、この娘の6年後に誕生した心臓疾患児である末っ子の娘が余すことなく証明してくれたのでしたよ。大体心臓疾患児として生まれた子どもの多くは、特にその子がチアノーゼ系心疾患の子であれば

「なるべく泣かさないで」

そう言われるものなんですよね。泣くと酸素飽和度がてきめんに下がるし、そうすると末梢に酸素が行かなくなる、身体が低酸素状態になることはこの手の子にとって何ひとついい事はない。これに類する主治医からの言葉としては「風邪ひかさんといてな」というのがあります、無理です。

ともかくもそう言われているのに、この4歳はNICUに入院した生後0日のその日から、心臓の構造が全く生存に不向きであることなんかひとつも気にせずに、夜どおし泣きわめき、赤子を抱いてうん十年という風情の看護師、助産師を全て打ち負かして、最終的には

「ワコビタール入れます」

という、これは鎮静の為の座薬ですけれども、そういうものに散々お世話になったもので、普通に健康な乳児を入眠させるのにお薬を頼りますと言うと、驚く人もあるのかもしれないけれど、泣かせ続けることと、お薬を使って落ち着かせること、そのどちらがこの子にとってより危なくないかを天秤にかけた時どうしても

『お薬よろしく』

ということになるのですよね。特に当時の4歳は、ちょっと泣いただけで酸素飽和度・SpO2が70%を切るとかそういう状態で、顔色の悪さときたら、今写真を見返したら我が子ながら「顔色ワルッ!」と思って3度見してしまったほどだったもので。

そんなことだから、生後2ヶ月の後半で保護者は日中面会のみのNICUを卒業して、24時間完全付き添いの小児病棟に移った時の最初の夜は本当に大変だった。あの当時で体重は6㎏あるかないか、あの疾患の界隈の子にしてはずっしりと大きな身体にあるだけの力を使って身体を引き絞って泣くのだから、まあ素敵にチアノーゼになるし、看護師もナースコールなんかしなくても飛んでくるし、主治医すら呼んでないのに来た。

「…なんて言うんか、よう泣く子やな」

その主治医からしても、心臓疾患児てもう少し活気のないもんやろというフシがあったのやろうなと思うけれど、当時の私は育児3人目にして「絶対泣かせてはいけない」という人生史上最大にして最高の無茶振りを振られてそれどころでなく、もう私が泣きそうだったし、この娘、当時生後2ヶ月だった4歳は(ややこしいな)、ここに来るまでその手の薬を余すことなく使いすぎたせいなのか、はてまた母親の私に似て酒が強いのか、鎮静睡眠剤その他のものがホンマに効きにくなっていて、主治医がトリクロを処方してそれを、当時は経管栄養だったもので鼻に挿管している細いチューブから胃に流しいれたところで

「こんなもんは効かん!」

とは言わへんけれども、それを意にも介さず泣き続けたのだった。尚トリクロについては疾患児の界隈には「トリクロは水」という至言がある程で、これ、効かない子には本当に効かない。

結局この生後2ヶ月の終わりから生後4ヶ月になるまで、だから最初の手術を終えて1度目の退院をするまで、この子と私は昼も夜も、殆どあてがわれた病室にいたことが無い、毎日ひたすら点滴台と一緒に病棟の廊下を徘徊していた。そんな私の姿を不憫に思った看護師さんが、この人は男の看護師さんやったのやけれど

「僕が抱いておきますから」

と小児集中治療室・PICUの中に引き取ってくれたりすることもあったのだけれど、そうすると生まれた時から人見知りの激しすぎるウチの子の声が小児病棟の中央に据えられたその場所から大音量で病棟中に響き、看護師さんにも周囲の皆様にも申し訳なさすぎて即回収に行くことになったし、それならと日中、電動のベビーラックに乗せてナースステーションの横に置いてもらっていても、まあ当然ぐずぐずと泣くもので、通りすがりの小児泌尿器科だったか、それは優しそうな面立ちの先生に

「おーい、心臓(疾患)の子が落ちとるぞー」

と言われて抱き上げられていた。先生、それ、小児循環器医に渡しといてください。

そんなことですからね、私個人としては、小児病棟にあって、そこで泣いている乳児なんてものはもう可愛いとしか言いようがない存在であるのだし、仮にその子が具合が悪いからなのか、知らない場所に来て怖いと思っているのか、それかご機嫌がすぐれないのか、一晩泣き続けたとしてもそれを煩いと思うどころか「赤ちゃん頑張れ!」としか思わないというか。同室の私よりずっと若いお母さんが

「ウチの子、よく泣くのでホンマにうるさくてすみません」

と私と4歳にすら頭を下げてくださる姿を見ると脳内のもう1人がぺらぺらとこんな事を話しだす。

そんな、赤ちゃんの泣き声なんて煩いどころか私には癒しであるのだし、この4歳が乳児の頃はそれこそ命に係わるのに泣き止まなくて煩いやら恐ろしいやらで、こんな

「赤ちゃん、泣き声もかわいいねえ」

なんて騒ぎではなかったのだし、何より付き添いのお母さんは、楽しみにしていた赤ちゃんとの暮らしが、予定外に無味乾燥で色味の無い病院での入院生活になってしまってお辛いでしょうと、今はコロナのせいで付き添いの交代もままならないし、お風呂に入るタイミングも髪を洗うのも乳児があると本当に難しいでしょうし、それにご飯は?ママはちゃんとご飯を食べましたか?そういうことを気にしてしまって

「うるさい?ウチの4歳の文句たれの方がなんぼもうるさいですよ!」

と思うし実際そう言う。

それにあの頃、生後3ヶ月程、暗い病室の中でひとつも泣き止まない娘を抱えて、こんな子家で育てられるんかなと軽く絶望したのも丁度同じ春で、外には桜が咲き終わって次の八重桜がぽんぽんと道なりに咲いているのに、この子も私も出産した12月から時間の止まったまま、他の同じ年の赤ちゃんは日向ぼっこに精を出している春であるのに一体これはどういう事なのやろかと思うととても哀しかったのですよと、こういうのを励ましとか労わりとか、笑い?すべてを攪拌して言葉にしてお隣のママに伝えられたらどんなにいいだろうと思うのだけれど何せ、脊髄反射的に良い返しのできへんタイプであるというのか、いかんせん頭がわる…やめよう己に対して卑屈になるのは。

とにかくひとつも気にしないし、あなたの赤ちゃんはとても可愛いし、私は今日初めて会ったあなたを出来れば言葉の上だけでも労わりたい、それは4年前のあの日、暗い病棟の廊下を子どもを抱いて徘徊するしかなかったいまよりほんの少し若かった自分への供養でもあるのです。

そしてこういう時、自分が上沼恵美子とか友近とかそういうやや強めの言葉で滑らかに誰かをやや行き過ぎな程に励ませる人間やったらどんなにいいだろうと、思いますよね、思いませんか。

とにかく私は気にしていないし、大丈夫だし、夜中なんてこの4歳も私もきっと地震が起きてもぐうぐう寝てますと言っていたらこの日、とても珍しい事に4歳は夜泣きをした。

初夏の陽気になって来た日中、病棟は日が差し込んで暖かいので半袖を着せてはいたのだけれどそれでもまだ暑かったのらしい、背中に湿疹が出来てそれが痒いというのと、やっぱり不安なのだと思う。まだ曜日やカレンダーについていまひとつ理解していない4歳は

「けんさがんばろうなってみんないうけど、なーんもないままずっとここにおるし、それっていったいいつのことなんよ」

まあ言い方は悪いけれど例えて言うのなら刑の執行の日のわからんままに病棟に拘束されいる日々であるのだし、そのことがとてもストレスなのやろうなと思う。

明日はカレンダーを出して、いつ、どこで、何をするのか、ちゃんとこの子に説明をしてあげよう。

隣の赤ちゃんは、夜中、私の記憶している限りでは1回しか泣かなかった。

君はとても小さいけれど、凄く可愛い、きっと飛び切り善い子だ。

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