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1年生日記(4日目)

4月11日

Amazonのサイトに

『価格も品質も申し分ないのですが、いかんせん組み立てに力がいります。キャンプに持っていった際、高校生の娘の力では組み立てられませんでした』

というレビューのキャンプ用のコットがうちにある。それは撥水加工のキャンバス地に3つに分割してある骨組みを組み立てて滑り込ませ、キャンバス地と一体化した骨組みに空いた穴にスチール製の細い足を4つはめ込むと、軽量でかつ丈夫な簡易ベッドができるというもの、小さく分解できるので運搬も簡便。でもキャンプ用品なのにわたしはこれを一度も屋外で使ったことがない。これはウッチャンのお昼寝と、付き添い入院用に買ったもの。

登校4日目、昨日とはうって変わって柔らかな春風の吹く朝、わたしは無印のリュックと一緒にこのコットを肩に掛けて家から出た。傍から見ると今からデイキャンプに出かける人にも見えるわたしの行先は当然ウッチャンの小学校だ。今日も元気に昇降口ではなく、ここから校舎に入ると決めた渡り廊下で電動車いすを降りて、まずはウッチャンと一緒に支援クラスへ。

まだ誰もいない朝一番の支援クラス、わたしはAmazonレビューで『並みの女子には組み立てられない』と言れていたキャンプ用コットをものの5分で組み立てた。傍らのウッチャンは手を叩いて褒めてくれた。

「ママすごい」

ウッチャンが医療用酸素を使い始めて5年、ひたすら彼女の酸素ボンベとなんなら本人を抱えて運び続けてきたわたしの上腕二頭筋はいい具合に仕上がっている。15歳の高校生の息子との腕相撲ではまだ引き分けられるだろう。

コットの持ち込みは、ウッチャンが「つかれた」と疲労を訴えた時の休憩場所として支援担当の先生の了承を得て持ち込んだもの。少しの休憩のために保健室に毎回移動していると、それだけで(教室から保健室までの距離が結構あるので)疲れてしまう、それならと、病院の診察室にあるような寝台を支援クラスに用意してもらうことにはなったものの、それが「連休明けにくるかどうか…」ということで、だったらと家から自前のコットをもってくることにしたのだった。

なんでも親が自分でやる。

この自給自足的創意工夫の精神は、医療的ケア児の長い付き添い入院生活と、自宅でのケア生活を経て鍛えられてきた。医療的ケア児や疾患児、もしくは障害児を育てるひとが大体は身に着ける特殊能力だ(だよね?)。

実際、今日のウッチャンは昨日作って渡した「つかれた」カードを通行手形よろしく担任の先生に掲げて2回、支援教室に置いた自前のコットで休憩をした。よしよし、明日は小さい毛布も持ってこよう。


登校4日目、この日はグラウンドでの遊び方を先生から習った。

「ちゃんと先生のお話を聞かなければ、グラウンドで遊ぶことはできません」

つい3月まで子どもたちの通っていた幼稚園や保育園と比べて、小学校のグラウンドは各段に広いし、遊具も鉄棒にブランコにジャングルジムに雲梯にのぼり棒、それぞれのサイズは大きく結構な高さもある。注意事項をちゃんと聞いていないと怪我をしますよ、というのは大人にはよく分かる理屈なのだけれど、春の日差しが照らすグラウンドに出た子ども達の何人かは一昨日の雨でぬかるんだグラウンドの土を素手で掘りはじめ、他の何人かは列から外れて逃げ出すし、何がなんだか。

その混乱の隊列に、ウッチャンは一生懸命ついて行く。

しかし外に出る時のウッチャンのお支度というのが割と面倒で、広いグラウンドの横断に対応できないウッチャンはまず電動車椅子に乗り換えるのだけれど、ぬかるみを避けながら移動したグラウンドの遊具の前で「じゃあ、遊具で遊んでいいよ」となると、電動車椅子に座ったままでは遊べないから酸素ボンベ用のカートも持って出なくてはいけない。それに

「授業のどのタイミングで何をするのか」

ということは教員でないわたしは今ひとつわからないのだった。

事前に聞いておけたらいいのだけれど、今は4月の一番混乱している時期で、クラス担任の先生もまだ卵の殻がお尻にくっついているようなひよっこの1年生を相手にその日の予定は大体狂いがち、2時間目に予定していたものが3時間目にずれ込んだりするのはザラだ。

更に支援級の方の先生も学校がスタートアップ時の4月の今はあっちの子ども、こっちの子どもと教室を渡り歩いていて、いつもウッチャンの傍にはいられない。

4月、現場は常に軽い混沌状態にある。もう世界の生まれる7日間という感じ。なんだかこういう空気感、どこかで覚えがあるなと思ったら『付き添い入院』だった。

「おかあさーん、今から検査に降りて貰っていい?核医学検査室!」
「えっ?今?なにそれどこ?」

突然、行ったことのない検査室に子どもを連れて行ってきてと看護師さんに言われる、あの状況にとてもよく似ている。

(何もかも、初めから滑らかにそして平静には流れていかない)

4月の教訓として手帳に書いておきたい。

結局、子ども達の脱線に次ぐ脱線で担任の先生の思ったように授業が進まず、2時間目の授業時間内に『グラウンドでの遊び方』はおさまり切らなかった。3月まで幼児と呼ばれていた子ども35人の統率はままならない、ままならないまま時間は2時間目と3時間目の間の20分休みになだれ込み、先生はグラウンドで遊ぶ許可を子ども達に出した。

「帽子をかぶってきたら、このままお外で遊んでもいいでーす」

子ども達は皆大喜びで教室に駆け戻った。けれどウッチャンにはこの『グラウンドから一度教室へ行って、帽子を取って来てまたグラウンドに戻り、休み時間中元気に遊ぶ』という、皆が駆け足で楽々こなすこれが結構難しい。

仮になんとか教室まで行って帽子を取ってグラウンドに戻って来たとして、電動車椅子でグラウンドに移動し、目的の遊具の前で「さてあそぶか」となると、車椅子の背もたれに引っかけている酸素ボンベをカートに積み替えなくてはいけない。これにはまだ介助者の手が必要になる。それなら最初から電動車椅子に乗らないでグラウンドに出たらいいんじゃないのとも思うが、教室とグラウンドを徒歩で往復しただけでウッチャンの体は疲労困憊、次の3時間目は多分座って授業が受けられない。さらに言えば校舎の方から我先に飛んでくる子どもらのパワーとスピード、ついこの前までよちよちした幼稚園児の世界ばかり見ていたわたしは驚愕した。

(早すぎるし、強すぎる)

ドッヂボール用のボールを抱えて弾丸のように駆けてくる子ども達、この子達と同じことを、酸素飽和度90以下、ついこの前までよちよちの幼稚園児だったウッチャンができようはずもない。「教室での授業にさえついていければなんとか」と思っていたけれど、普通の小学校の普通のクラスに混ざるということは

「さあ、20分間休みは、お外で元気に遊びましょう!」

という授業以外にもフィジカルの点でハンデを持っている子にとって「いやそれはちょっと…」ということが沢山あるのだ、特に休み時間は盲点だった。

みんなが元気に外遊びをしている時間、教室で本を読んだり折り紙で遊んで待つということを、ウッチャンは幼稚園の頃は沢山してきたけれど、あの頃はずっと一緒の補助の先生がいてくれたし、同じように一緒に教室で過ごすお友達もいた。けれど小学校は「元気に外で遊びましょう」が推奨される場所、ウッチャンは教室にひとりだ。

「なんでお外に行けないの?」
「お外に行けない訳ではないのやけど、何もかもいっぺんに他のお友達と同じようにはできへんの、先生たちだって4月は色々大変だし、元気なお友達だって初めての環境に必死について行こうとしているのだし、ウッチャンはみんなが学校に慣れたら、段々お外に出てみよう、ね?」

ウッチャンは全然納得してない顔でそれでも「わかった」と言った。言い出したら聞かない系のこの末っ子には、珍しい。


ところでウッチャンは4月のはじめ、ちいさな緑のリボンピンバッジをワンピースの襟に付けて入学式に出席している。それはわたしが付けたら?と言った訳ではなくて、ウッチャンが「これを襟に付けて頂戴」と言ったからそうしたもの。

その緑のバッジは『グリーンリボン』と呼ばれるもので、臓器移植を推進する会から頂いたもの、ウッチャンはそれを「お友達のバッジ」と呼ぶ。ウッチャンには心臓移植を千日待って天国にお引っ越しをしたお友達がいるからだ。

その子はランドセルを背負うことなく天国に行った。緑のバッジを紺のワンピースに付けたのは「その子と一緒に入学式に行くんだ」というつもりだったのかどうかは、本人に聞いていないのでわからない。

登校4日目、登校班から置いて行かれがちなことも、20分休みに外に行けないことも、酸素を持って歩く教室で通路を塞がれがちなことも、全部ぐっと我慢して工夫しようとしているウッチャンが、そのお友達の分も『しょうがっこう』を頑張ろうとしているのだとしたら「ちょっとえらいよな」とわたしは思う。

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