退院日記。
退院前の夜というのは、勿論嬉しいものです。
やっと、そう広くは無い病院のベッドの4歳の寝る隙間に体を押し込むようにして眠らなくて良いし、お風呂にも、これは自宅でも4歳と一緒なのは変わらないけれど「10秒で洗髪チャレンジ」とかをしなくても良いわけで、食事だってちゃんとしたものを食卓で自分の箸で普通に食べられる。自宅はいいなあ狭いけど、そして実は賃貸なんだけど、そう思うのは毎回のことだ。
『入院』は少し不自由な、長い旅行に似ている。
そう思うのは、私が患児の付き添い親であって、病気の本人ではないからだろう。患児にとっては入院は入院だ。刺されるし、変な薬は飲まされるし、頼んでも無いのについてくる点滴台は邪魔でしかないし、外には出られないし、ひとつも面白い事なんかない。
それなのに、退院前の夜は微かに淋しい。
それは多分、この4歳がこの病院で生まれて、この病院で何度も手術をして検査も山もりして、2人の主治医と、もう遠くに行ってしまわれたけれど外科の執刀医を中心にとんでもない人数の人たちの手を借りて育って来たからだと思う。
ここはうちの4歳のいわば実家みたいなものだ。
でも病院は家族ではなくて団体、組織であるので、異動や退職でいなくなる人も沢山あるし、いつも変わらず顔ぶれが同じとは限らない。
実際この4年で主治医は一度退職しているし(でもなんだか今も病院にいるしカテもする)、執刀医は完全に退職してしまって今は一体どこでどうしていらっしゃるのか、誇張も冗談も抜きで西日本イチ頼りになるICUの主任看護師さんはいなくなり、4歳が小児病棟に転棟した頃に何度も4歳を担当してくれた当時3年目の同期看護師チームは現在その数が3分の1になった。残った2人は今や現場では最も頼みになる7年目、そのうちの1人は今年、実習生の指導をすることになって
「私なんかが何を指導するんですかね?こっちが教えてもらいたい位ですよー」
そんなことを言いながら泣きそうな顔をしていたけれど、十分頼りになる高い志と技術と愛のある看護師だと思う。貴方みたいな人、ちょっといないよ、がんばって。
とにかくそこは人の入れ替わりのとても激しい場所で、冬の終わりに哀しいさよならがあり、春の始めにまた新しい出会いがあり、ひよこのように可愛い新人さんだと思っていた人は数回春を越えただけであっという間に頼もしい医療者になる。
例えば4歳が0歳児だった当時まだ『新人バッジ』をつけて先輩の後ろをメモ帳を握りしめ緊張した面持ちで歩いていた新人の看護師さんが、ある年気づくとその日のチームのリーダーを果たすようになっていたりする。そうなると私なんか我が子の入学式の日と同じ気持ちになって本気でいちいち感動する。
私にとってはそういう場所であるし、4歳にはまだまだ定期で、そして緊急で世話になる筈の場所であるので、さあ明日の朝で今回の入院はおしまい、荷物を出来るだけまとめて片付けながら、夏休みの最後の日の夜の気持ちにやや似た、もうこんな平坦で退屈な生活は食傷気味ではあるけれど、ここにこなくては会えない人もたくさあるし、次また会えるとも限らない、さあ次の入院はいつやろうなと考えたりするのだからちょっとおかしい。
それでもまあ、蕁麻疹がでるくらいイヤだと思ってしまうよりはいいのかもしれない。
4歳の疾患は生涯病院とのご縁は続くのだし、今後も定期の検査やいずれやってくる心臓のメンテナンスを考えると、医療とそれにかかわる人々とは、それの間に敬意を挟んで仲良くやっていけるようになりたいし、ならないと。
その入院最後の夜は、もう点滴もついていないし、いつもの酸素ボンベだけの装備であるし、検査入院だった今回の入院では特に健康に問題…は先天的にあるのか、でもまあ元気だものねと夜、夕ご飯を食べ終わってから階下のコンビニとそれからコーヒーショップと、それからなぜだか手術室のあるフロア、そういう場所に2人で降りてぐるりとその辺りを歩き、4歳が言うところの
『たんけん』
をして、それでもものの15分くらいかな、小児病棟の下にあるいくつかのフロアをぽこぽこと母娘2人でお散歩をした。
夜の病院には、それが入院患者のある病棟でなければ、当然ほとんど人はいない。特にこの日は手術がもうひとつもなかったのか手術室とICUのあるフロアの家族待合には人はひとりもいなくて、ICUもこの日は人が少ないのか出入りはひとつもなし。2階の外来フロアには、昼なら歩くのも大変な程人が川のようにして溢れているのに、しんとして歩ける程度の証明がともるだけの廊下、診察券を通す外来の機械は全てカバーがかけられていた。
「みんな、おねむりしてるねー」
とは4歳の言葉だ。4歳はこのほとんど真っ暗な病院がひとつも怖くないのらしい、むしろその暗がりの中にぽつんと灯るコーヒーのお店の灯りを
「なんであそこだけあかるいの」
と奇異に思うくらい。NICUで育ち、ICUやPICUの仄暗い灯の中で何度も夜を越えて来た人間は、このほんのりと暗く、それでいて空調の温かな人の気配のない不思議な空間をごく親しいものだと思っているのかもしれない。
4歳は暗くて誰もいない病院が、わりと好きなのだ。
私はと言えば、この暗い病院の外来フロアと大学を繋ぐ渡り廊下の向こうに人ならぬなにかがぼんやりと佇んでいそうなこの空間を…好き…だろうか。
やっぱり、少し怖いような気がする。
そもそも病院が好きということ自体、不思議なことなのかもしれない。病院は出産なんかの例外的な事例を除いて、病気やケガ、人生の忌みごと、あまりよろしくも嬉しくもないことの集まる場所のはず。
でも4歳やそのお友達のように病気や障害のある子には生涯ご縁のある場所であって、いわば生活の一部であるというのか、そこを「イヤなことのある場所ではあるけれど、キライではないよ」と思うのは案外良いことなのかもしれない。
4歳はまた普通の世界で、普通の子ども達と、それでもちょっと普通でない身体で元気に過ごすことになるだろうけれど、いつかそこで自分の身体をきちんと「実はそこにあるお友達とはその機能とカタチを異にしているものである」と知り
「こんな不自由のある身体で変な傷もあるし酸素ボンベは未だに必携品、でも自分は自分のことが好きだ。自分の体も同じように好きだ」
と思うに至る日は来るのだろうか、いやでも流石に機能不全との医療所見をいくつも抱えた身体を『好き』にはなれないかもしれないな。
「それでもこれ以外には取り換えようもないのやし、まあこれはこれでしゃあない」
くらい捉えてしぶしぶ受け入れるのが関の山だろうか、それでもキライだと思わないでいてくれたら嬉しい。実際ここに来るまでかなりの難所を越えて、その都度死の淵を覗き込みながら、たいへんな数の人々の力を借りて、誰かの手から誰かの手に大切に運ばれて、やっと手に入れた現在の身体であるのだから。
そしてそう思い至ることのできるいつかと、この人が普段関わる病院というもの、もっと言うと『医療』というものはどこかで深くつながっているのかもしれない。
4歳は今、痛い検査や採血や謎の巨大な機械、多分CTやMRIみたいなものは相当に嫌いだけれど、病院も、そこにあるドクターも、看護師さんも、いつも遊んでくれる(と勘違いしている)PTさんも皆好きなのだと言う。じゃあ自分のことは好きですかと聞くと、これはまだ自分のことをよく分かっていない4歳なもので
「かわいいからすき」
とのこと。年中家族から、そして彼女に関わるたくさんの大人から常に可愛い、いい子やとちやほやされている末っ子の鋼の自己肯定感というものは素晴らしいなあといつも思う。
私はというと、病院のことは我が子である4歳の命を守る砦であるので好きとか嫌いとかそれを越えた畏敬の感情があるのだけれど、でもそこにある大抵の人のことは向こうが私をどう思っていようと好きだと思う。皆、家でストレスをためて大変なことになっていないか心配な程に良い人々だ。いくら仕事であるとはいえ看護師さん達の優しいことよ、30の半ばほどの専門医としてはまだお若い主治医の「俺今日当直明日カテ、それから他の病院でまた外来やねん」なんて病棟で話している時のやや楽しそうな、そして涼しい顔のタフさかげんよ。
それなら自分のことは?この難しい病気で生まれた3番目と、その子の入院のたびに家に2人の子を残して付き添いをして、途中病院を抜けて夕方家に戻り、母親の不在を良いことに好き放題に散らかすものでごみ溜めみたいになった自宅の中でゴロゴロしている小5と中2の子を
「何なんこれ!なんでもええから片付けなさい!」
と叱り「なまはげが帰って来たで!」と言われてしまう、難病児とそこから派生したきょうだい児の母親である自分を好きかと聞かれると
「そうあるように努力している」
というのが今のところの答えであると、そういうことで良いですか。
でも病院とそこにある人達のことはお陰様でとても好きです。
4歳、10日の入院予定を終えて本日、実家もどきの病院から、無事に自宅に戻りました。
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