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血管を詰めた日の話。

☞1

少し前、「知的にも運動機能的にも遅れがみられる、要経過観察」を心理士に指摘されて親の精神的横っ面をフルスイングで平手打ちしたとこのある娘②は、ここにきて特に言語発達について猛追を見せていて、最近、自分の要求を言葉ではっきりと相手に示すことを身に着けた。

それはとても喜ばしいだし、嬉しい事で、個人的にはもう僥倖と言っていいと事だと思っている。だって今のところ人生の1/3が入院で人生の全部が先天性の心臓疾患との格闘に占拠されていしまっている娘②は、普通の子が普通に経験する事が成育歴の中でわりと抜け落ちてしまっていて、どうしても各種発達が、運動でも言語でも何でも全方向が遅くなりがちだったのだから。そんな状況の中で発達の駒をひとつでも前に進められたという事は、光あふれる岬に立って神様ありがとうございますと天を伏し拝む位のとてもありがたい事の筈。

とは思っているけれど、この娘②が。

滅法気が強くて
酷い癇癪もちで
言い出したら絶対聞かない
要求が通る迄泣き叫ぶ

種別としては「気に入らない事があると道路に寝転んで泣き叫ぶ」系の幼児なので、少し話が変わってきてしまう。

「ジュースチョウダイ!」
「オソトイク!」
「クルマノリタイ!」
「アンパンマンミル!」

自宅にいる間ひたすら言葉で自分の要求を通す事に徹するようになった幼児はとにかく実の親にも御しがたい。というか本当に煩い。お母さん辛い。あとお母さん免許無い。そして要求が通らないとその辺のモノを掴んで投げるし悪態をつく「ママキラーイ!」と言って。私は人の親になって足かけ11年、最近初めて

「親に向かってなんだその言いぐさは!」

という令和の今、磯野波平しか使用しないような文言を使った。娘②の言葉の発音自体はまだカタコトなので可愛と言えば可愛いけれど、キライの上に「ママノバカ」とまで言われると大人げないと言われてもムッとするし、それならもう脳内から怒りの波平にお出まし願うしかない。なんだその言いぐさは、まだオムツもとれてない癖に、親の躾がなっとらん。

そうすると娘②は更に激高して何なら私の手を小さい掌でぺちぺち叩きながらこう言う

「ウルシャイ!ママヒドイ!」

何が「ヒドイ」だ酷いのはお前だ。

☞2

だから今回、年明けが予定の大規模心臓循環工事とも言える、娘②人生3度目の大きな心臓の手術に向けて、この娘②は心臓の構造の問題のせいで肺に側副血行路という普通の人間にはあまり発生しない細かい血管が生えている、それを

「足の付け根から細い管を入れてそこからコイルと言う金属を流し込んで詰めて全部、完膚なきまでつぶす」

その言葉だけだと拷問でしかない処置を「左肺だけ?いや左と言わず、右も詰めてください。オペの邪魔にしかなりませんから。保険の範疇を超えてコイルを使ったところで病院が損したらいい話です」という小児心臓外科医に対して「そこまでやったら本人の負担になるし、この細かい血管にも循環を頼ってた子なんやから根こそぎいったら次のオペまで本人がしんどなる、あと保険の範疇を超えたら病院長に呼びつけられんの俺なんやけど」という小児循環器医のドクター2人の意見の相違の中、おふたりとも同じ病院にお勤めなんですから今そこで話し合ってきてくださいよという私の気持ちをさて置いて実施する運びになった時

「絶対大変」

そう思った。

その処置の為の入院期間は3泊4日。

娘②はカテーテルを使うその手の検査や処置を既にこれまで回数をこなして来たし、何と言っても過去2回10時間超の手術をその前後数か月の入院付きで乗り越えてきたことを思えば、そして、この娘②の疾患に類するもので更に重症度が高く合併症もあるお友達の中には、最長で誕生から2年以上の入院生活をしていた子だっている。だからそれを思えば3泊4日のカテーテルの為の入院なんて近所の公園にピクニック位の行楽だとそう思うのだけれど、今回は何と言っても、言葉を操ってはいてもそれが微妙な理解でかつ一切相手の言い分を承服しない2歳10ヶ月児との入院になる。

とにかく相手が悪い。

入院1日目、それは処置の為の前乗り入院で、特に行動に制限が無い自由な1日。娘②はいつもの入院用のピンクの甚平に着替え、病院で出されたお昼ごはんをぺろりと平らげてから、病棟を散歩すると言い出した。でもそれは想定の範囲内だ。この落ち着き皆無の娘②がお部屋でベット上安静なんて事に甘んじる筈がない。

娘②の要望にお応えして病棟の巨大な医療用酸素をカートに積んでフロア中を闊歩しているとその様はプロパンガスの行商の親子みたいに見えるけど、そんな事はもうどうでもいい。それでこの横暴な幼児の機嫌が保てるのなら。

ただ、救急車にも乗っているあの巨大な医療用酸素を1本使い切るくらいの時間、自室に戻らず、そう広くない病棟フロアをわがままを言いたい放題の2歳児に付き合って100往復位させられると、さすがに私も平静ではいられないと言うか同じことをひたすら反復する退屈さに発狂しそうになるし、あと腰が痛い、肩が痛くて上がらない、だってお母さんはもう歳だから。

そして2日目、処置当日。『経カテーテルコイル塞栓術で』は、まず未明の3時から絶食、そして朝6時から水分の摂取不可、果たしてこれをまだ3歳にならない娘②が理解してくれるのか。当然、全く理解しないし聞かない。

「よく言い聞かせればわかってくれる子だと思うけどなあ」

娘②をそう評したのはその温厚さと誠実さと確かな腕で私が全幅の信頼を寄せている娘②の小児心臓外科医の執刀医だけれど、でもそれは大変な見込み違いというか、大体先生は手術の時に挿管されて息もできない程静かに眠る娘②か、ICUで意識混濁中の娘②しか見てないじゃないですか、この娘②に何を言っても駄目な時は駄目です。そんな生易しい子育てアドバイザーのような事を言っているようでは、身体虚弱でもその気の強さで鬼も斬ると呼び声高い心臓疾患児、その中でもウチの娘②は育てられません。先生の前胸部の正中切開事がどんなに華麗な手技だとしても。

当然、今回この娘②は『絶食』も『絶水』も言葉として何となく理解はできても意味を理解する事まではできていなかった。というかそんな事、我慢なんかするはずも無い。

その日の朝、娘②はひたすら私に向かって

「ゴハンハ?」
「あのね、娘②ちゃんは今日は朝ごはんないの」
「ゴハンハ?」
「あのね、娘②ちゃんが今ゴハン食べたらカテーテルできないからさ」
「ゴハンハ?」
「あのね…もう先生が来たら食べていいか聞いてみて」
「ゴハ…」
「しつこい」

そういう故志村けんのコントみたいなことを繰り返して最後は主治医に全部投げ出して1時間、そして本人の気を紛らわすために今度はまた病棟フロア100往復を敢行して1時間。

思えば、前日も「今日は病院にママとお泊りだからね」と言っていたはずの黄昏時、病棟の窓から見える街の景色が茜色からだんだんと藍色に薄暗く陰ってくると

「クラクナッタネエ、オウチニカエロウネエ」

まだ検査も処置も兎に角一切なにもしていないのに家に帰ると言い出して割と大変だった。

だからこの朝8時、娘②には朝ごはんの配膳が無い代わりに、浣腸があるとか、更には点滴のルートを取るために左手に穿刺という大イベントが発生しますなどと私が言ったところで、娘②がそれを理解して承服して覚悟するなど訳もない。それどころかその事実だけを認知してイヤダバカと悪態をついて結構な重量の酸素ボンベごと遁走するか、またはいつも病棟でお世話になる外来とは違うもう1人、若い方の主治医に頭突きをかますような狼藉を働くかもしれない。

それで、その件については意図的にすべてを伏せた。事前に事実を知らせては、激高して泣いて暴れてその場で心不全を起こしてしまう。

8時30分、いざ穿刺の現場の処置室に運ばれたその時、娘②はサブの主治医に頭突きこそかまさなかったものの、約半年ぶりの再会になるそのもうひとりの主治医である先生がにこやかに挨拶してくれているのに対して、奇声を発して威嚇をし、そのまま3名のナースに押さえられて処置室の診察台に括りつけられた。その後の様子自体は、親は退室しなければいけないので音声のみしか分からなかったけれど、娘②は先生に対して平手打ち位はしたはずだ。とにかく先生が

「俺はこういう損な役回りなんや…」

と壁に向かってつぶやく程度の事はしたらしい。

どうもすみません。

大暴れの結果、左手にルートを取り点滴を繋ぎ、いよいよコイル塞栓術のために階下のカテーテル室に降り、既に現場にスタンバイして待ち構えていた、かれこれもう2年超娘②の命を預けている主治医には平手打ちこそしなかったものの、娘②は普段なら大好きなその「シェンシェイ」に、嬉しそうにはにかみながら挨拶するのに

「今日頑張ろうな」

娘②に向かってそう言ってくれている主治医に挨拶も返事もろくにしないで私にぎゅうっとしがみつき

「じゃあ、お預かりしまーす」

ナースが私の抱っこしている娘②の身柄を受け取るために、私の体から娘②の体を剥がそうとしても、私が娘②を抱いて支える両手を離して一切の支えが無いのにも関わらず、私の胴体に渾身の力でしっかりとしがみ付いて離れず、結局カテーテル室のナースが2人がかりで引きはがした。そんな不足だらけの循環機能の体にどこにそんな力が隠されていたのか、2歳児の癖にどんな身体能力なんだ。

コアラか。

☞3

今回のコイル塞栓術は

「側副血行路が肺にどれくらい広がっているか刺して造影してみないとわからないから、終了時間は未定」

いつものカテーテル検査のように大体きっちり3時間とはいかないかもしれないし、そうでもないかもしれないと言うとても未確定事項の多い曖昧なもので、私は心臓疾患児の母になるまでそれを知らなかったのだけど、緻密に計画的で繊細で計算しつくしされている印象しかなかった小児の高度医療、この場合は小児循環器医療には実は

出たとこ勝負
やってみないと分からない
まだ未知数

そいう感じの、ダイソーの店員的趣がある。

「そこになければ無いですね」

それで結局、このコイル塞栓術は、とりあえず左肺の側副血行路、最後の手術の阻害要因となる要らない血管の大元を10本の小さな金属を使って塞ぐのに4時間半かかった。

あとから聞いたら、開始当初アタリを付けていた血管がどうにも『あかんコレやない』という事になり、急遽別の、やたらと直角に折れてどう考えてもカテーテルを通しにくい難解な血管を狙う事になったらしい。それで予定時間を思い切り超過してしまった主治医は、終了と同時にその後の始末をもう1人の若い主治医以下その他の先生方に任せて走り去って行った。

「とりあえず全部終わったら、造影見せてもらって」

と言いながら。

この主治医には午後に外来が入っている。4時間近く小児の微細な血管に髪の毛程の金属を詰める作業を全集中で施術しておいて、その後また山のような患児を外来で捌くのかと思うと、やっぱりあの界隈の先生方はどこかが何かがおかしいと思う。

大丈夫褒めてます。

そして、全てが終わった患児である娘②本人は、ぼんやりとした半覚醒状態で病棟のナース達がお迎えに持って来た小さな小児用のストレッチャーに乗せられた。その全行程に始めから終わりまで携わった若い小児循環器チームドクター達は、そのストレッチャーの後ろに付いてぞろぞろと歩きながら、腰に手を当て、天井を仰ぎ、そして深くため息をついてから

「いやあ…大ッ変やった…」

そう言うともなくつぶやいたので、本当に相当難儀したのだと思う。何でも挿管しない状態の麻酔で挑んだ今回、娘②は何度も途中覚醒して泣き叫んだそうで、もう吹き矢で眠らせとくべきでしたね、ウチの娘②多分酒が強いです私に似て、多分トリクロ(小児用の睡眠薬)なんて水です。という言葉を疲労困憊のドクターを前に私はかろうじて飲み込んだ。先生方の目は、本気で虚ろで、患児の母である私が呑気に冗談を言えるような状況ではなかった。

だって、この娘②は起き抜けとか半覚醒状態の時が本気で横暴で粗暴だ。手負いの羆と言っていい。以前も11時間を超える心臓手術の後、ICUで人工呼吸器の挿管を引き抜こうとしてICUのエキスパートナース達の度肝を抜いたこともある。だから先生方の気持ちと苦労はわかる、超わかる。

でもとにかく無事に終わった4時間半、大変だったのは主治医を筆頭にして次にサブの主治医、そして循環器チームとカテーテル室のナースの皆さん。

本当にありがとうございました。

そして病棟に戻ってから娘②を待っているのは身体拘束6時間。

☞4

カテーテルが終了して病棟に戻った患児の一番の試練は

「身体拘束6時間」

だと思う。これは大人でも辛い、少なくとも私なら嫌だ。

それは、処置の為にカテーテルと言う細いワイヤー状の管を鼠径部から深く体に差し込んだ傷痕、その創部の止血のために体を6時間一切動かさずに勿論トイレも行かずに安静を保つ為に行う事で、でもそんな事は2歳児が出来る訳もない。だから娘②の病院の場合はナース達の創意工夫と患児への愛で作られた手作りの固定用の板に括りつけられる。

そして患児は、当然激怒する。

まだ麻酔が利いていて半覚醒状態の時はまだいい。

「ママ…」
「娘②ッタン…ダッコ…」

言葉も弱々しく、そして訴えている相手はそれはママではなくてドクターの方ですね、ママはその後ろにおります。というフェーズの時はまだ、こんな年端もいかない小さな子どもなのに本当に可哀相だなあ病気でさえなければなあこんな風に産んでしまったお母さんをどうか許して欲しいという母の正しい気持ちになれるものの、問題は娘②の意識がはっきりと覚醒してきて喉の渇きと空腹を訴え出してからで

「ママ!オナカスイタ!」
「先生が食べて良いって言ったらね」
「ママジュースノミタイ!」
「今はお水しか駄目」
「ママ!オキル!」
「それだけはやめろ」

娘②はとにかく主張が激しいし語気が強い。言葉をこれだけ明確に発するようになってからのカテーテルとその後の抑制6時間は初めてだったけれど、言葉の持つ力というものを改めて感じた6時間だった。

泣かれるよりも、ぐずられるよりも、言葉での訴求力というものは強い。

そしてもうすぐ3歳になる娘②は力も強い。

今回、柔らかな布で覆われた固定用の板に何個も体を留めて張り付ける為のバックルのついた固定板から体をひねって無理矢理抜け出すこと2回。そんな事をした子は同じ疾患のお友達の中では我が子意外に聞いた事が無いし、その時担当に付いていてくれた病棟ナースも

「こんな子初めて見た」

という事だった。パワータイプ心臓疾患児。循環の不足と奇形の心臓を補って余りあるその気合い。その気になればその熱量と気合で自家発電くらいできるかもしれない。

でもその固定版から逃げても逃げても当然ナースと私に体を押さえつけられて即、再度板に括り付けられる。そんな中、娘②は自分に向けて突然

「ガンバレーガンバレー」

と言った。

その言葉が娘②の口から洩れるのを、母親の私はここで初めて聞いた。カテーテル室でドクターやナースに麻酔や鎮静を打たれる際にそう掛け声を貰っていたのかもしれない。

「娘②ちゃん、頑張れ、頑張れ」

娘②は何しろ自分が大好きなので自宅では「エライ」とか「スゴイ」とか「カワイイ」とかその手の形容詞を自画自賛的によく使う。でも自らを鼓舞する言葉を自分に使うのは今回が初めてで、健気という一見安くなりがちな言葉をはるかに突き抜けて、今、もの凄く辛いけど自分を鼓舞して頑張る。その態度に意志堅強なこの人の内面をとてもはっきりと見た気がした。

「ガンバレ、ガンバレ」

固定板につけられたまま歯を食いしばって何回も呟く勇猛と言ってもいいその姿がとても娘②だ。

この子は、とても強い。

そしてその後、先生から食事の許可が出てから、あれも飲むこれも食べると言って、飲みすぎて食べすぎて吐いた。

だからと言って食事の量を加減して少量しかあげないと、今度は怒り狂って吠えてチアノーゼを起こす。娘②には自分を鼓舞して困難に立ち向かう強い気持ちと共に、もう少し己を律する事を覚えて欲しい。

実は今回、前述の小児心臓外科医のオーダー「右肺も左肺も全部詰めて」とういうアレは、左肺のみの実施で右はまた来月か再来月という事になった。一度にやるのは流石に無理で無茶だというそこは小児循環器医の意見が通ったという事だと思う。でも正直もうイヤだ。けれどここをクリアしないと最後の手術に進めない。

母親としての本音を言えばこういう事は全て娘②の人生の中の思い出の塵にしたかった。一切記憶に残らない年ごろにすべての検査も処置も手術も終わらせてしまいたいとそう思っていた。実際、娘②と同じ手術の道順を辿る子は2歳位にすべてを終わらせる子が多い。この周回遅れの心臓疾患児は次のカテーテルと最後の手術をその後の記憶に留めるだろうか、そしてそれを

「すごく辛い記憶」

として何か楽しい事で上書きできないまま大人になってしまわないだろうかそんな自分ではどうにもならないことを今、逡巡しているけれど、自分の事を頑張れと鼓舞した挙句、その頑張りで力任せに固定板を抜け出して、その後人の食事まで「ママノチョウダイ!」と言って吐くまで食べてしまった娘②は意外と大丈夫かもしれないとも思う。

それは今、全くの未知数だけど、とにかく処置は終わった。

今はそのあとの安静の解除を静かに待っている。

ゴールテープまであと多分、数km。

娘②頑張れ、頑張れ。

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