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女子の生きざまについて。

3人兄妹の真ん中の娘が10歳になった。

おめでとう10歳。

10代の女の子は眩しい。全部がこれからで、色んな事が初めてで、世界が彼女達の為に扉を開けて待っている時代。彼女達はどの子もミモザアカシアの花みたいに可愛い。今月10代の仲間入りを果たした私の娘も含めてみんな、みんなだ。

1980年代後半から1990年代にかけて10代の女の子だった私には、10代はあまり楽しい季節ではなかった。

そもそも当時は地味で、そう美しくもなく、特別賢くもなく、取り立てて取り柄のない私のような女の子は学校の中で市民権というものを持ち得ない時代で、教室の隅で出来るだけ息をひそめて静かにしていないといけない、そういう存在だった。結構冗談抜きで。

でも仮に美しくて、ピアノが弾けて、成績が良くて運動もできて、性格も明るく快活なそれはそれは素敵な女の子だって『女の子』である事がまだまだまだ足枷になる時代だった。大体点呼の順番は絶対男の子が先だったし。

これをつい最近、この小学4年生の10歳の娘と、その兄の中学1年生で12歳の息子の前で話したら、物凄く怪訝な顔をされてしまってこっちが困惑した。

「お母さんが小学生の頃は、出席順が男女別々で、男の子の番号が先で女の子の番号が後、だから点呼の時は絶対男の子から先に呼ばれてたんやで」

「えっ…それは一体何のために?」

私も2021年の今、あの当時の点呼の順番が頑なに男の子が先だった事に何の意味と合理性があったのかを上手く説明できない。意味が解らない訳ではないけれど、とにかくそういう時代だったとしか説明できなかった。

今、子ども達の学校では出席番号はあいうえお順で男女混合だし、クラス委員は委員長、副委員長ともに男女どちらがなってもいいらしい。だから男の子同士の組み合わせの時もあれば、女の子2人が委員長と副委員長の時もある、勿論男女で組んでも構わない。幼稚園児の末っ子の3歳の娘さえ、『お並びの順番』は男女混合で、並び順が続きになっている子同士が2人一組でバディを組む、男女関係なし、末っ子のバディは女の子。あと、この『バディ』という言い方、私は恰好良いのですごく好きだ。

私が10代だった頃よりも、今の10代の女の子は平等で自由だ。男女の体格差が顕著になる前の小学校生の時期なら地域のラグビーチームさえ男女混合だし、ランドセルのカラーバリエーションだって全然違う。私の時代は女子は赤、男子は黒一択だったのに、今はクールなネイビーから、可憐なパ―ルピンクまで選び放題で、今10歳の娘が使っているランドセルは鮮やかなチェリーピンク。

そしてこの新時代の10歳の娘は、容姿で人をジャッジすることを間違った事だと結構以前からちゃんと認識している。あと女の子の自分だけが家事を手伝うべきだとか、小さな妹の面倒を見るべきだとは全然思っていない。同様に男の子であるパパや兄だけがIKEAの組み立て家具を作るべきだとか、うっかり外れたテレビとブルーレイの配線を直さないといけない存在だとも思っていない。家事の得意不得意や、家電のちょっとした設定が出来るか否か、それは男女関係ないという大前提が彼女の中にちゃんとある。

数年前、この子が息子と喧嘩になり息子がこの子を「ブス!」と言い放った時、普段はひどく泣き虫で何なら気の強い3歳の妹と喧嘩して泣く事もあるこの娘が、私が息子を叱るよりも先に

「私がブスかどうかは私が決める事」

そう言った時はちょっとびっくりした。そしてこの子は自分とは全然違う時代を生きている子なんだと思った。自分のカワイイは自分でジャッジする物らしい。凄いぞ2011年生まれ。お母さんはその昔、大学生でアルバイトをしていた時、その日たまたま現場に女の子が私しかいなくてあとは全部男の子で、そこにいた同じ大学生の男の子から

「今日は華が無いな、ブスしかおらん」

と言われた事があるんだよ。自分が芸能人のような華やかな外見とは対極にある事自体は認めるけど、ブスってどうよ。そうは思ったものの当時、たしか21歳とかその位だったお母さんは相手に一切言い返す事ができなくて曖昧に笑い、その言葉を事実として暗黙のうちに認めるような態度をとってしまった。

そして更に傷ついた。

あれから20年以上たった今でもその事を明瞭に思い出せるのだから、当時の私は相当傷ついていたのだと思う。でもこの娘はきっとそんなことでは傷つかない。可愛いのかそうじゃないのかそれは自分が決める事と宣言した2011年産の娘は、きっと何を言われようと。

「どうせあたしなんか」

とは言わないと思うし何なら少し位言い返すかもしれない。「ブスかどうかは私が決める事」そう8歳かそこらで言い切った娘だ。でも1978年産の自分はそうじゃなかった、女の子は

『なにごとも事を荒立てない事が良い』

とまだ言われてきた世代ゆえにウフフと笑って自分の哀しい気持ちを誤魔化した。そして今もつい習い性でそうしてしまう自分のこういう所が、私はあまり好きじゃない。

でも今、その手の謙遜とか遠慮はもう女の子の基本オプションじゃない時代になった。娘を見ていると本当にそう思う。だから自分の中にはなかなか消え去らないそれは、90年代の遺物として暗い深海の砂の中に埋めるようにしている。新しい時代を生きる娘達には必要ないものの筈だから。その手の理不尽にはちゃんと怒って良い、嬉しい事があれば大声で嬉しいと言って笑って良い。

そういう時代が来ているんだと思っていたので、つい最近起きた東京の小田急線内で男性が数名の乗客を切りつけた事件、その犯人の「幸せそうな女性を殺したかった」という犯行動機を聞いた時には、被害者の方の無事と回復を想い、その次に少し眩暈がした。

いやいやいや、うち娘2人いますけど?幸せになるようにと願って育ててますけど?自己実現して幸せになって笑いながら生きてちゃいけないの?日本で女性が参政権を持って76年、東京大学が女子学生に門戸を開いて75年、男女雇用機会均等法が施行されて35年、出席順は男女混合になって、何色のランドセルを背負ってもいいんだよと言われながら、私らまだそんな場所におったんかい。

ちょっとびっくりする。ホノルルマラソンを走っていたと思ったら、実はサロマ湖100㎞ウルトラマラソンだった位びっくりする。ルース・ベイダー・ギンズバーグが生きていたら何て言っただろうか。

10歳の娘がこれから歩む大人の女性になるまでの年月、体がだんだんと大人になり、将来の夢に悩んで、それ以外にもいろいろな事を考えると思う。困難も沢山あると思う。33年前に10歳だったお母さんのその時代は無駄に困難だらけで、今やそれが黒歴史となっている、出来たらあんまり思い出したくない。

だから娘のこの先10年の間に待ち受ける10代の『困難』が、せめて人為的な障壁ではない事を願っているし、そういう世の中であるようにお母さんも微力ながら頑張ろうと思う。とりあえず反射的に出る誤魔化し笑いは止めよう。そう思って10歳への手紙のようにしてにこの文章を書いた。



ところで前述のルース・ベイダー・ギンズバーグは、アメリカで1993年から27年間連邦最高裁判事を務めた女性のことだ。性差別撤廃を強く求めたリベラル派の判事として有名な人物で、彼女は、生前『フェミニズムとは』を一番簡単に説明する文言としてこんな言葉を引用している。

「あなたも私も自分自身でいられること」

女の子を育てるというのは、私もかつては女の子だったはずなのに凄く難しい。特に娘が10歳になって改めてそう思うようになった、私はこの先、体も心もどんどん大人になる娘に一体何をしてやれるだろう。

でもとにかく、土曜日、家族全員がそろった食卓で10歳はこの世のすべての誕生日が自分の物だと思い込んでいる『誕生日ドロボウ』と名高い3歳の妹にろうそくをフーする権利を脅かされながらも、無事に10本のろうそくを吹き消し、正式に10歳になった。

おめでとう10歳。あなたのこの先の10年があなた自身を生きられる、幸せなものでありますように。その幸せを、あなた自身が決定できる世界でありますように。


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