スイセイのこと 3

☞6

僕が3年生になる頃、状況が大きく変わった。

僕のではなくて、スイセイの。

僕が初めて出会った時のスイセイは、夏のアイスランドに写真を撮りに行って帰国したばかりで、自宅の木造の古いアパートが浸水し、家財道具一式が水に浸かって、手元に残ったカメラと撮影機材とほんの少しの身の回りのものだけを抱えてサカイさんの事務所に転がり込み、飼い主から捨てられた犬みたいに床の一角を貰ってそこで寝て、事務所にあるものをてきとうに食べて、本人が言うには「無名で夢と将来だけある若手を名乗るにはもう年齢制限ギリギリの崖っぷち」という状態だったけれど、その年の春、突然有名な写真コンクールで賞を貰った。

受賞した作品は『葬列』という題名で、誰かの家族や友達、その人の大切な誰かが死んだそのお葬式に参列している人達の表情を撮影したもので、何枚もの大きなパネルになっている連作として出品されたそれは、写真の専門家の先生たちから被写体の内面にある深い哀しみと慟哭と絶望とを静かにしかし確実に映し出しているとても完成度の高い作品だと評価された。

でも、僕にはそれは無表情な人間の顔面を映した白黒の無味乾燥な写真にしか見えなかったし、僕が正直にそう言うと、スイセイは僕の顔を見て楽しそうに笑った。

「ええねんそれで。そういうの、撮りたかってん、エライ先生なんかよりカイセイの方がよっぽど分かってるわ。高い評価とか、ゲイジュツセイとか、専門家の好意的な講評とか、あんま褒められると俺、なんかケツがかゆなるねん。授賞式とか個展とかあるんやけど、出なあかんねやろかアレ」

受賞者の中で俺が一番おっさんやねんで、とスイセイはそう言って本当にお尻を掻いていたけれど、半年間事務所の一角にスイセイを居候させて、これを食べろ、あれも食べていいからと事務所中の食べ物を与え、誰かが家にあったからと言って持って来たスノーピークの寝袋をコレ使いなさいとタダで渡し、いい加減お風呂に入ったほうがいいわよとか、仕事に遅れるからもう起きなさいとか、そんな風にずっとスイセイの面倒を見ていた事務所の人達は嬉しそうだった。

もしかしたらみんな、人懐こい大型犬が事務所に迷い込んできたみたいに思っていたのかもしれない、少なくとも僕はそんな風に思っていた。サカイさんや、お母さんや、他のデザイナーさんや、ライターさんや、アシスタントさんや、事務の人達はどう思っていたのだろう、とにかくみんなはスイセイの写真が世の中に認められた証であるこの受賞をこう言って喜んだ。

「あの事務所の隅っこで寝ていた家もお金も無い人生崖っぷちのスイセイがこれで一人前のフォトグラファーになる」

それで、授賞式って何着るの、まさかアンタそのいつもの恰好、全身黒づくめの服の上にそのゴアテックスのマウンテンパーカー着ていくつもりなの?やめなさいよ?スーツでしょ?ネクタイでしょ?正装ってわかってる?事務所の人達はそう言って盛り上がり、スーツなんか一着も持っていないからこのまま行く、大体俺は年中貰いモンのTシャツを着て暮らしてるんやと正直に発言したスイセイはせっかく賞を貰ったのに事務所の人達に今度は、凄く怒られていた。

「なあ、祝うか、どやすかどっちかにしてくれや」

事務所に置いてあったサンプル用の鯖缶を勝手に食べて笑いながらそう言っていたスイセイは、いやだいやだと言っていた授賞式の当日、サカイさんたちがお祝いだからと買って与えて無理やり着せた黒に近いダークグレーのスーツを着て、いつもくしゃくしゃにしている頭髪を無理やり撫でつけられ、でもそれ程イヤそうな顔もしないで、中途半端に笑いながらポケットに手を突っ込んで手ぶらで受賞式に出かけて行った。

もともと、とても背が高くて、あまりまともなものを食べていないせいで痩せているスイセイは、事務所のみんなから言わせるととても着せ映えのする人間だという事らしく、サカイさんが言う「きちんとした格好」をすると僕の目にも別人のように映った、まるでふつうのちゃんとした大人みたいだ。事務所の人たちは

「スイセイ、カッコいいじゃない」
「もう見た目を売りにしたらいいんじゃいなの」
「とにかくこれからはちゃんとした格好をさせましょう」

とか口々に言い合っていたけれど、お母さんだけは

「そう?いつもの恰好の方がスイセイらしいと思うけど」

と言って、事務所のみんなから妙な反感を買っていた、マリちゃんは本当に男を見る目が無いからねと。

それで、とにかくそのイヤな授賞式に「一番おっさんの受賞者」として登壇し、賞状とか、屋根瓦みたいな形をした重たそうな楯とか、花束とか、そういう受賞にまつわる色々なものと共に、副賞としていくらかのまとまったお金が貰えたスイセイは、事務所から引っ越す事にしたと僕に言った、授賞式の1週間後の事だ。

「どこに行くの?」

外国にでも行くのだろうか、スイセイは僕に外国に行った時のことをよく話していたし、日本語以外は英語も何語もほとんどでけへんけど、どの国でも関西弁で気合入れて喋れば大体通じるねんと言っていたから。でも、スイセイが教えてくれたそこは意外に近所だった。

「ここの近く、歩いて5分くらいのとこに前に俺が済んでた漏水アパートあるやろ、その真裏に大家さんの家があるんやけど、その家に住むことになってん、1戸建て庭つき猫つきやで」

あるやろ、と言われても、僕はその場所を見た事が無かった。でもこの事務所のビルのある直ぐ近くにあるというその古い木造家屋をスイセイは格安で、というかほとんどただ同然で、以前住んでいたアパートの大家さんから譲り受ける事になったのだと言う、ただし猫つきで。スイセイは漏水の事故の後、自宅だった部屋の片づけやその後の処理、保証や保険の事で大家さんの家に何回か出入りしていて、その間に大家さんと色々な事を、庭木の事とか、家族の事とか、大家さんの体の具合があまり良くない事とか、そういう大家さんの身の上の事を聞くようになり、

「大家さんなあ、もう80過ぎて言うてたかな、とにかく体が言う事きかん、身内も近くにおらん、せやからそういう年寄りばっかりのホームに引っ越したい、でもあのボロアパートはぶっ壊して更地にして売ればええけど、家に猫がおってコレを手放すのは忍びないて、猫は引っ越しとか苦手やし、そういうホームで猫連れて行けるところとかあんま聞かんし、何とかならんか言うから、それやったらこの家貸してといてくれたら俺が猫と暮らしときますって言うたら、その場で話がまとまった」

その短い会話の中で何がどうまとまってスイセイが家を買う事になったのかはよくわからなかったけれど、大家さんはいつ死ぬか分からない老人の身の上でまた、貸し家の管理をするのも面倒だから猫を引き取ってくれるなら自分の家はスイセイにあげると言ったらしい。

「猫な、『しらたま』言うねん、白い雄のデブ猫、俺の家族や。カイセイも学校の帰り勝手に俺ん家、来たらええで、玄関は家出る時に鍵かけてるけど窓とか縁側とかどっか大体鍵かけ忘れてて絶対どっか開いてるから、俺がもし居てなくても勝手に入ってくれてええし」

僕はそれではスイセイの家に泥棒が入って来てしまうのではないか思ったけれど、サカイさんたちが、スイセイがこの事務所からいなくなると、フロアは広くなるし散らかす人が居なくなるから以前みたいに整然と片付いた私たちの場所に戻るけど、この黒い服の大男が居なくなると、防犯上は心配よね、ここは女所帯だからと言っていたのを聞いていたので、もしかするとスイセイが家に1人いたら防犯の事は一切気にしなくていいものなのかもしれない。

僕は3年生になっても依然として、誰かと何か当たり障りのない会話をするとか、仲良く過ごすとかいう事に、特に必要性も感じなければ、その機会もあまり無い、ふつうとはすこし遠いところにいる人間だったけれど、このよく喋る大型犬みたいなスイセイが僕の居場所から消えてしまうのはなんだか落ち着かないと思ったので、スイセイの家には学校の帰りに寄ってみたい、猫の『しらたま』を見たいからとスイセイに言った、そしてひとつだけさっきの会話の中で「しらたまが俺の家族」とスイセイが言ったその言葉が気になって、スイセイに質問をした。

「スイセイには人間の家族はいないの」

そうしたら、スイセイは少し首をかしげて、3秒程考え

「おらん、全員、四半世紀前にほぼ死に絶えた」

そう言って、逆に僕にもこう聞いてきた

「カイセイて、今、お父さんどこにおるん」

だから僕も3秒程考えてこう答えた

「知らない、消えていなくなった、あと僕にお父さんは居ない、あの人は生物学上の父だ」

☞7

2年生の秋、僕の主治医をしている児童精神科医のタチバナ先生が

『子どもの集団というのは少し自分たちと違うと感知したものを排除したがる傾向にある』

お母さんに言っていたその現象は、 僕が3年生になってから、ぼんやりと、でもそれは確実に僕の生活の中に現れ始めていた。

僕は相変わらず学校では必要な事意外はほとんど口を利かず、給食は炭水化物のみを摂取し、休み時間は、校庭でドッチボールやサッカーをしている同級生を眺めながら何冊か持っている外国の写真の本を読んでいた。それはスイセイが僕に「友達が、自分の撮った写真が載ってる言うて俺に送ってきた、せやけど、俺人の撮ったええ写真なんか全然見たない、何か腹立つ」と言って僕に封も切らずに新品のまま渡してきたものだった。僕にはスイセイが怒る理由がよくわからなかったけれど、遠い外国の写真と僕には読めない言語が印刷されている少し持ち重りのするそれらの本を、僕は嫌いではなかった。

でも、3年生になってから新しく変わった担任の先生は、そんな僕の普段の行動や習性をどうしても矯正したいらしくて、何度も呼び出されて注意を受けた。

「授業ではきちんと自分の意見を述べましょう」
「給食は残さないで食べましょう」
「休み時間は外で元気に遊ぶこと」

僕は、これまで小学生になって以来ずっと、特に意見はありません、炭水化物以外のものは食べません気にしないでください、僕は1人で本を読んでいることが好きです、そういちいち説明をして、相手に対して理解を求めてきた事をまた根気強く説明した。僕はこの1学期の先生との僕の生活態度に関する諸々の事の改善要求と、それを退けるための僕の僕自身の生態とか考え方を説明する攻防が始まってしまうと、毎年まるで時間が巻き戻ってぐるぐるとループしているみたいな感覚になる。一巡した時間がまた同じところに帰って来てそしてまた同じことの繰り返しだ。

僕の言い分を聞いた先生は、それでも僕に繰り返し僕にこう言った。

「みんなで決めた学級目標なのよ『自分から発言し、食べ物を大切に、みんなで仲良く』って」

「でもその『みんな』だって果たして全員が全員心底、クラス目標に賛同してそれを真剣に実践しようとしているんでしょうか」

僕がそう言うと先生は黙ってしまった。どうして黙ってしまうんだろう、だって動物や植物に細かな分類があるように人間にだって色々種類な人がいる筈なのに、その色々な人間が求める目標を一つにまとめて誰も文句が無いなんてむしろ不自然な事なんじゃないだろうか、僕はそう思っていたので更に先生にそう伝えたら、先生はわかりました、もう帰っていいですよ、と言ったので、僕は理解が得られてよかったと思った。

でも、この3年生のこの時は、以前の学年の時とは少し様子が違っていた。先生に呼び出された日の数日後、学級会で「クラスのルールを守るには」という議題が話し合われ、子ども達の自由な自治というものを前提にした法廷の中で、僕の普段の在り方はルール違反だと言う話し合いがあった。僕以外にもクラスの中には数名、同じようにルール違反を指摘された子がいたけれど、その子たちはその場で生活を改めると反省の弁を述べていた。でも僕は30名ほどの子どもの集団が決めた事を、いやこれはどちらかというと担任の先生の先導したことなのだけれど、それを守るために何故僕が僕の在り方を変えないといけないのかがよく分からなかったので、僕はそれには従わない旨を伝えた、まるで法廷のようなこの学級会の中で僕は抗弁権さえ与えられていなかったけれど、このルールにはそれに違反した特の罰則もない、だったら僕はそれに従わなければいいんだ。

「その件を僕は承服できません」

僕が静かにそう言い、その日の学級会は先生の微妙な消化不良の表情を残して幕を閉じた。

そうしたら、ある時から急に僕の学校のものが、たとえば、筆箱とか、体操服とか、そういう勉強や授業に必要なものが忽然と机やその周辺から消えるという現象が起きるようになった。僕は基本的に「あるべきところにあるべき物が無い」という状態を極端に嫌う性格をしている、例えば、家の本棚の本の並び順、グラスの定位置、お母さんが好きで集めている波佐見焼のちいさな動物の置き物の並び順、すべていつもの通りになっていないと気持ちが落ち着かない。だから、学校の物も、同じ場所に同じ物を同じ状態で置いておく、そうしておかないと学校でも気持ちが落ち着かないから。

でも、ある日の休み時間、トイレに行ってから教室に戻ると、いつも机の中の道具入れの左側にぴったりと箱の角に合わせて置いてある筈の僕の筆箱が突然、消えていた。何かのはずみで机の下にでも落としたのかと思って周りを見回しても見当たらない、どうしてだろうと今度はランドセルの置いてあるロッカーを見に行くと、そのロッカーの横に設置してあるごみ箱の中に無造作に僕の筆箱が埋もれていた。何故だろう、僕の筆箱が急に自らの意志を持ち、何らかの意図をもってゴミ箱の中に飛び込んだんだろうか。

不可思議だった。

そしてまた別の日、体操服を持ち帰ろうとすると、今度は机の横に掛けてあるはずの体操服が袋ごと消えていた、それで、僕はまた体操服が自らの自由意志で、ごみ箱にでも飛び込んだのかと思ってゴミ箱の中を見に行ったら、そこに僕の体操服が袋から出されてぐちゃぐちゃに丸められた状態で埋もれていた、掘り出してみると何故かその体操服には僕の筆跡以外の誰かの文字で「バカ」とか「死ね」とか書かれていた。多分油性のマジックで。

その多分僕に向けられているのだろう「バカ」という文言、それについては、もしかしたら僕のことをそう捉えている人もいるのかもしれない、人の解釈というものはそれぞれだ、だから別に異論はなかったけれど、「死ね」という命令形で書かれているこれは少し困ると、僕は思った。だって人間はいずれ遠からず必ずみんな死ぬものとは言え、僕は直近ではあまり死にたいとは思っていなかったから。

だから、それを家に持ち帰って、その日は少し早めに帰宅して、キッチンで、僕が食べられる数少ない肉類の鶏むね肉を蒸していたお母さんに、僕の体操服にどういう訳かこんな文言が書かれていた、中にはあまり了承したくない命令文も書かれているから、これって消えるのかな、油性マジックって洗ったら消える?と現物を見せながらお母さんに聞いてみた、そうしたらお母さんは

「どうしたのこれ…」

そう言ってみるみる表情を無くし

「これってカイセイの書いた字じゃないよね、誰か他の子が書いたのよね、それになんでこんなに靴跡がついてるの、誰かに蹴られたの?」

と聞いてきたので、『バカ』と書かれている体操服の背中部分をよく見たら、確かに子どものものだと推測される大きさの靴の跡がいくつもついていた、でも違う、これはこの文言を書き込まれた上で、ごみ箱に丸めて入れられていたのを僕が拾って来たんだと事実をお母さんに伝えて、それでこのマジックは落ちるのかなあと言ってお母さんの顔を見た。その時、僕の目に飛び込んできたお母さんの表情、それに僕は見覚えがあった。困っているような、哀しんでいるような、それでいて何かを言いたそうにしているその表情は、昔生物学上の父に、説教をされて叩かれていた頃のお母さんの顔だ。

「カイセイ、他に何かおかしな事とかは起きなかった?母さん今から学校に電話して、先生にこの運動服の事伝えて、こんなことをした子にちゃんと注意してもらうように言うからね、大丈夫だからね」

お母さんはすこし前に一度、スケジュール調整が上手くいかず、短期間に仕事を詰め込みすぎて、過労から風邪をひき、そのせいで事務所で貧血を起こして倒れた事があった、その時のお母さんと、今のお母さんは全く同じ顔色をしていた、サカイさんの事務所で僕が補充するのが仕事になっている複合機のコピー用紙みたいな艶の無い白い色、だから僕は

「そんな事よりお母さんの顔、今、コピー用紙みたいに白い、電話は今度の方がいい」

そう言って電話を掛ける事を止めるように言ったけれどお母さんは、僕のその言葉を聞かずに、ひとりで寝室にしている部屋に入って行って学校に電話をかけて、長い時間担任の先生と話をしていた。僕はその間、夕ご飯のための食器や箸を出したり、お母さんが作りかけていた蒸した鶏むね肉にかけるソースにかくして入れていたネギをせっせと抜く作業をしていた、ぼくはネギが食べられないから。

その日、担任の先生との電話を終えて、僕と向かい合って食卓についたお母さんは、僕が蒸した鶏むね肉のソースからネギをあらかた抜いてしまっているのが明らかなのに、その事を全く指摘してこなかった。いつもなら必ず気がついて「お母さんの分にはネギ残しておいてほしかったのに」と僕に言ってくるのに。というよりもこの晩、お母さんは僕とほとんど話をしなかった、普段、今日はどこのスタジオに行ってきたとか、スイセイがまたおかしなことをしてサカイさんに怒られていたとか、スイセイが撮った写真が雑誌の見開き広告に使われていてスゴイとかそういう事を沢山、僕に一方的に話してくるのに。

やっぱり体の具合が悪いんじゃないだろうか。お母さんの体調を気にしながら眠ったその翌朝、仕事に出かける前、お母さんは昨日よりほんの少しマシな顔色をしていたけれど、まだ少し普段と違っているように見えた、でも

「カイセイ、昨日の事だけどね、お母さんがちゃんと担任の先生に話しておいたからね、体操服は今日新しいのを買って来るし、それでもしこれからもカイセイの周りで似たような事が起きたら、絶対お母さんに何があったか教えて」

そう言って僕の頬を両方の手のひらで包んで笑って僕を学校に送り出した、お母さんは僕の顔を触ると心が落ち着くのよと言って、よくこういう事をする。僕はわかったと言って登校し、その学校では朝の会で担任の先生が

「昨日カイセイ君の体操服が、いたずら書きされた上、ゴミ箱に入っていました。先生は犯人捜しをしたくありません、やった人は後から先生に正直に名乗り出なさい、お友達にこういう事をするのは恥ずかしい事です」

そう言って、犯人に自首を促していた。でも、僕は思うのだけれど、例えばクラスのルールを破ろうと、他人の物を勝手に破損しようと、そういう事への罰則が一切無いこの治外法権な自由自治区の中で、この一連の行為の犯人が自らの犯行を名乗り出たりするものだろうか、こういうのを性善説に基づく判断と言うのかもしれないけど、善人が他人の物にマジックで文字を書き込んだ上に靴跡をつけてゴミ箱に放り込んだりはしないのじゃないだろうか。

この僕の考えの通り、僕の体操服に落書きをしてゴミ箱に放置した事件の犯人は、正直に名乗り出たりはしなかった。でも、それから僕の体操服や学用品が忽然と僕の前から消えるという不思議な現象は起きなくなった。

代わりに、たとえば体育の授業の時間、校庭で100mをする、その順番を待っている時にその背後にいる不特定の誰かから突然大量に砂をかけられるとか、教室移動の時に「わざとではなく」同級生がぶつかってきて僕が階段を踏み外して階段を3段程滑り落ちたとか、グループを作って課題に取り組む時に僕の席だけが無いとか、そういう事が度々起こるようになった。僕は誰ともグループになれない件については、そちらの方が気持ちが楽なのでそれは特に構わなかったけれど、突然砂をかけられたり、階段から落ちたりすることについてはほんの少し困っていた、前者は髪の毛や体操服が無駄に汚れるし、後者は怪我をしてしまう。でもそういう事が僕の周辺で起こっているという事を、僕は何となくお母さんには言いたくないと思っていた。だってそれを伝えてしまってまたお母さんが、あの貧血を起こした時のように真っ白い顔色になったら、昔、生物学上の父に蹴られていた頃の顔になってしまったら、それは、僕がお母さんに対して決して望んでいない状態だからだ。

だから、僕はそのことをスイセイに話すことにした。スイセイは、事務所の居候をやめて自分の家を持ってからも、結局

「どうしてスイセイはちゃんとした請求書が作れないの、それで、請求書を送ったら追加でメールとか電話とか連絡をしなさい、せっつかないと支払いが滞るところだってあるでしょう、そういうクライアントに電話してちゃんとお金を貰いなさい、あと、領収書の整理も、大体アンタ税金とか保険とかちゃんとしてるんでしょうね?それから仕事の依頼のメールとか電話とか、そういうのをキチンと自分で管理しなさい!」

仕事の上では割と冷静なサカイさんがそんな風に大きな声で怒鳴る程、スイセイはお金の請求とか事務手続きとか仕事の連絡とかその手の事の管理が全然自分で出来なくて、もう見ていられないからと、サカイさんの事務所とマネジメント契約をすることになった。要するにサカイさんはスイセイの面倒を継続してみる事になったのだ。サカイさんは額を手のひらで抑えながら。私の事務所が本当になんでも屋になってしまうと言っていたし、実際サカイさんの事務所には、サカイさんの面倒見がよすぎて料理とか食に関係しない職業の人がじわじわと集まるようになってきていて、その急先鋒が一応『若手』フォトグラファーのスイセイだった。他のスタッフは「この状態でこれまでも一応フォトグラファーとかいう名前で身を立てていたっていうのは、周りの人が相当融通をきかせてくれていたって事なんでしょうねえ」と呆れていた。とにかくそれでスイセイは結局引っ越しをしても事務所にしょっちゅう現れては、ポケットからくしゃくしゃになった書類を出して来て事務の人から怒られたり、連絡を大量に取り次ぐ羽目になったサカイさんからアンタの携帯は何の為にあるのと注意されたり、あとはその辺にあるものを勝手に食べて、アシスタントの人に叱られたりする、通いの大型犬になった。

それでその日も、事務所の冷蔵庫に入っていた撮影用の熊本産の大きくて立派なイチゴを見つけて勝手に食べてしまいデザイナーさん「ヤダ!スイセイ、それ写真まだなのよ!」と怒られているスイセイに

「スイセイ、今日はもう家に帰る?」

その日、事務所にはお母さんがいて、雑誌の企画の打合せをしていた。僕はお母さんが僕の周辺に起きている出来事を聞いてまた具合が悪くなるといけないので、事務所の中でスイセイと学校の話をしないほうが賢明だと思ってそう聞いた。僕がどんなに小声で話をしてもスイセイの声はいつもとても大きくて事務所中どころかこの事務所が入居しているビル全体に話の内容が筒抜けになってしまうからだ。だから、もし今日はもう仕事がないなら、スイセイの家のしらたまに会いに言って良いかとスイセイに聞いた。

「おう、ええよ、一緒に帰ろか、マリさん、ウチにカイセイ連れて行くから、またここ出る時連絡して」

スイセイが「本人が全く出ない」とサカイさんに言われている自分の携帯を片手に持ってひらひら振りながら、僕の居場所で、以前はスイセイの寝床でもあった場所から、フロアの向こう側のデスクに座っているお母さんに大声でそう言うと、お母さんは

「そう?迷惑じゃない?ありがとうスイセイ」

と御礼を言い、僕に自分の机の上にあった誰かに貰った缶入りのクッキーをひと缶、カイセイは食べなくても、スイセイはいつもおなかペコペコだからスイセイにあげなさいねと言って僕に持たせて僕たちを事務所から送り出した。事務所からスイセイの家まで歩いて5分程度のその道のりの間、スイセイは僕に

「なあ、マリさんは俺の事、カイセイの友達やと思ってへんか。ほんで俺の事、9歳位の子どもやと思ってるんちゃうやろか」

と聞くので、僕は

「僕はスイセイを友達だと思ってない、でも、僕もスイセイの事は9歳位の人間だと思ってる、体の大きさ以外は」

僕の考えをきちんと述べておいた、スイセイは、なんやそれはと言って僕の頭をかるく小突いた。

スイセイの家の西日が当たる8畳の和室で、スイセイのこの世で唯一の家族であるしらたまを膝にのせた僕は、3年生になってから起きている学校での出来事を順を追って話した、僕が学校であまり話さない事や、決まったものしか食べない事、そして同級生との過度の接触を自主的に規制している事、それがクラスのルールにそぐわない事を担任教師に注意されても、特に態度を変えずにいたら、学級会で裁判にかけられてそれを退けると、今度は僕の周囲で奇妙な事が起きるようになった事、結果それが、お母さんの顔面を蒼白にさせていて僕は、お母さんがそんな状態になる事を今までもこれからも絶対に望んでいない事を。

はじめ、お母さんから渡されたクッキーの缶を開けて中身をぼりぼり食べながら僕の話を、フーンとか、へぇとか、せやなとか言いながら聞いていたスイセイは、話の時系列が過去から直近に進むにつれて、クッキー缶から手を離し、話の終盤になると何故か腕を組んだまま天井を仰いだ。僕はスイセイが格安で譲り受けた築45年というこの古い木造家屋の天井にまた何か虫でもいるのかと一緒に天井を見上げてみた。数日前にこの家に来ていた時、天井から突然ムカデが降って来て、それを見たしらたまがそのムカデ捕獲しようとして大騒ぎになった事があったからだ。いつも縁側か、この和室の座布団の上でウトウトと寝てばかりいるしらたまは虫を見ると急遽野生を取り戻す猫だったのだ。でも、その時そこには虫の姿は無かったし、しらたまも何も反応しないで僕の膝の上で眠っていた。スイセイはしばらく顔を何もいない天井に向けて何か考えていたけれど、いきなり、思い切りよく頭を左右に振ってから、僕に向かってこう言った。

「クソやな」

「僕が?」

「なんでや!カイセイの事ちゃう!お前はええんや、お前はお前らしくそこに堂々と存在しとけ、お前はそれでええねん。アレや、ソレ、その担任は何や、カイセイが僕はこうしたい言うて、アレとコレは出来ひんとちゃんと説明してるもんをやな、それはアタシは認めません言うてアカン言うたけど、カイセイに口で負けてしもたからて、今度はクラスの子ども全員煽ってお前をおかしいヤツやて学級会で吊るし上げたって事なんやろ、何やそれは、どんなババアや、シバいたろか。ほんで、その尻馬に乗ってやな、カイセイのモン隠したり捨てたり小突いたりしとるヤツら、そいつらもクソや、そんなガキは先々碌なことにならん、俺がまとめてシバいて来たる」

そう言ったスイセイの声があまりにも巻き舌の関西弁の大音量だったので、僕の膝の上で前足の肉球を軽く開いたり閉じたりしてゴロゴロと喉を鳴らしてまどろんでいたしらたまは、むっくりと起き上がり、迷惑そうにスイセイの顔を一瞥してフンと鼻を鳴らし、のそのそと部屋から出て行ってしまった。スイセイは体以外にいちいち喋る声も動きも大きいし、その上しらたまを追いかけてやたらと構おうとするので、しらたまのこの世で唯一の家族の筈なのに、しらたまにとても嫌われていた。

「暴力は良くない、お母さんが余計哀しい顔になるから」

僕は一応スイセイを止めた。身長が190㎝もある大男で、年中黒い服ばかり着ていて、顔面の造作が決して柔らかいとは言い難いスイセイが、僕の保護者の代理だと言って先生や同級生に暴力を振るったりしたら、それはもう事件だ。スイセイはお母さんやサカイさんが言うには「人懐こくてとても情のある子」ということだったけれど、それに付随して「頭に血が上りやすい」という特性を持っていて、仕事を依頼してきた人ともめたり、時には本気で喧嘩をして、せっかく貰って来た仕事を無くしてきた事がこれまで何回かあった。そのスイセイが「シバく」とか「どつく」とか言い出したらもうそれは本気だ。だから、とにかくやり返すとかそういうのはいいんだけれど、お母さんにこういう話をすると、お母さんの顔色がとても悪くなる、お母さんの精神衛生上よくない、そんな感じがする、だけどじゃあどうするべきか僕はこの一連の出来事の事の対処法がよくわからないんだとスイセイに言った。

そして、すべて話してしまってから、これは相談先を間違えたかもしれないと思った、僕の主治医のタチバナ先生あたりが妥当な人選だったかもしれないと、そう思っていたら、スイセイは急に自分が小学生だった時の頃の事を僕に話しだした。

「あんなあ、俺がなあ、カイセイみたいに、学校で嫌がらせされとった時な、丁度カイセイと同じ位の年の頃や、訳わからん理由でクラスではみごにされて、物はなくなるわ、叩かれるわ、蹴られるわ、しまいにはクラスのサルみたいなクソ生意気なヤツが真冬に俺に掃除のバケツの水をやな、雑巾洗って絞ったヤツやで、それを俺の頭から掛けよった、思いっきりザバーって、そんで俺はキレたんや、ええかげんにせえよって」

このいちいち声が大きくて、殴るとかシバくとか物騒な事を日常的に口走る粗暴な大男のスイセイは昔、同級生から僕のように小突かれて物を隠されて『はみご』という言葉の意味が何かはわからなかったけど、とにかく似たような目にあった経験があると言う。不思議だ、だってスイセイは僕とは全然違う種類の人間だと思っていたから。

「スイセイはどうして同級生が自分にそんな事をするんだと思った?」

僕は聞いてみた、僕とは人間の種類が正反対に見えるスイセイに何故、何が理由で、過去の同級生たちはそんな真似をしたんだろう、そもそも、どうして人間が人間を排除しようとするのだろうか、タチバナ先生はそれを『集団の傾向』と表現したけれど、それは一体まともな行為なんだろうか、そうしたらスイセイは僕にこう言った

「俺が、両親が死んでて、じいちゃんと暮らしてて、ヨソもんやったからちゃうか」

「お父さんとお母さんは、どうして死んだの」

写真賞の受賞の1週間後のあの日、スイセイにはしらたま意外に人間の家族はいないのかと僕が聞いた時、スイセイから「家族はいない、死に絶えた」と聞いてはいたけれど、それがいつ、どういう理由で死に絶えたのか、僕はスイセイからその詳細を聞いていなかった。特に聞こうとは思わなかったからだ。でもこの時はどうしてだかそれが気になった、両親を一度に亡くすというのは一体どういう事情と状況によるものだったんだろう。

「カイセイ、阪神淡路大震災って知ってるか?」

「知ってる。1995年の1月17日に兵庫県で起きた大きな地震」

「カイセイは、ほんまに、何でもよう知っとんな」

スイセイは1995年1月17日のその日まで、神戸市の長田区という所に住んでいた、スイセイが言うには「神戸、言うても、元町とか三ノ宮とは全然違う、雑駁な下町や」そういう所らしいのだけれど、その場所をマグニチュード7.3の地震が襲った日、時間はまだ早朝で、スイセイの家族はみんな自宅の一室で眠っていたそうだ。

「俺の家、古かったからなあ、あんなものごっつい地震やとひとたまりも無かったわ、アッちゅう間に家ごと全部潰れて、家族全員瓦礫の下敷きになった、オトンもオカンも妹も。俺だけたまたま窓際におって窓枠と箪笥と柱で出来た子ども一人分の狭い隙間に入って助かったんや、まあ奇跡みたいなもんやな。そんで『助けて―』言うてるとこを隣のおっちゃんが見つけてくれた。そのあたり一帯は家と家の間のものすご狭い、長屋みたいなつくりの家ばっかりやったから、先に逃げてたお隣さんが駆けつけてくれたんや『おいスイセイ生きてんのか?隣のおっちゃんやで!』って俺だけその隙間から引っ張りだしてもらえた、せやけど、他の家族は潰れた家の中にとり残された、潰れた家の中に居てる家族なんか重機も何も無いとこでは、助けるどころか隙間から指一本入れる事も出来へん、というより全部瓦礫の山や、アリが入る隙間もあらへん、その内どっかから火がついた、火事や、消防車なんか辺り一帯瓦礫の山で道も塞がれてて来れる訳ないわな、それで全部焼けた、俺以外の家族はみんな死んで、妹なんか小さすぎて骨も残らんかった。」

「妹はいくつだったの」

「0歳、前の年の夏に生まれたばっかりやった」

「…ふうん」

「そんで、俺は両親無くして、北陸のじいちゃんとこに引き取られて、そこの学校に転校した、北陸の田舎の小さい小学校や、そんなとこで神戸から来たコテコテの関西弁の俺なんか完全に異分子や、ちょっと前に両親妹家族全員亡くした可哀相な少年がやで、でもそれかて『みんなと違う』て言う異分子の要素の一つやったんやろうな、親ナシって。まあまあいじめられたわ、それでさっき話したみたいにある時キレて、俺にバケツの水かけてきたヤツをぶん殴った、俺がカッとなってぶん殴ったんが丁度そいつの鼻で、ほんでそいつが鼻血出して大騒ぎになったんや。あんなあカイセイ、鼻の少し上のとこ殴ると、大した怪我にはならんけど派手に鼻血が出るんや、人間、顔面から出血したらプロの格闘家でもない限り大体、ひるむもんや」

地震の前の日に近所のヤツと喧嘩して、ぼこぼこにされて泣きながら家に帰った時に、オトンに教えてもらったんや「スイセイ、殴り合いの喧嘩はな、目もアカン、歯もアカン、鼻の上狙っていけ」って、オトンの遺言や、それをとっさに思い出したんやな。そう言ってスイセイは少し笑った。それでそのあと、学校の先生が飛んできて、何がどうなったのかをスイセイや同級生たちに問いただし、結果、はじめにバケツの水を故意に掛けてきたのは相手側なのにスイセイは厳重注意を受け、おじいさんが小学校に呼び出され、そのおじいさんにもかなり叱られたらしい。

「せやけど、それ以来、俺にちょっかいかけてくるやつはおらんくなった、まあ、友達も出来へんかったけどな、みんな関西弁の恐ろしいヤツやとか言うて遠巻きに見るようになった。ほんで、今日に至る」

「最後すごく、話が飛んだね」

「そうか?せやけどな、確かに暴力はあかんのやろうけど、先に手え出してんのんは向こうやからな、自分の身が危ないとか、コレ明らかにあかんやろと思った時は、カイセイも思い切りいったったらええんや、そんで先生に怒られるなら、俺がマリさんの代わりに謝りに行ったる」

僕には怒りという感情がいまひとつよくわからないのだけれど、スイセイは僕が不当だと思ったらそれは反撃していいのだと言った。不当だと思う事が即ちお前の怒りだと。それで僕はその不当だと思う感情と怒りが同義であるという理論はよくわからなかったけど、スイセイには御礼を言った。

「ありがとう、あまり参考にならなかったけど、あと、妹がいたんだね」

「そっちか。うん、まあな、あんま人に話したことないんやけどな、あ、マリさんや」

スイセイのデニムのポケットの携帯が鳴って、そこにお母さんの名前が表示されていた

【マリ】

その電話に出たスイセイは僕と話している時より、少し緊張しているような、それでいて少し微笑んでいるような不思議な表情をしていて

「あ、ウン、今ここで話してた、今日?もう仕事無い、明日朝から撮影やけど」

ぼそぼそとお母さんと携帯で会話をして、それで電話を切ってからにやにやしながら僕に言った

「オイ、カイセイ、今からお前の家行くぞ、しらたまにカリカリやって、なんかマリさんが一緒に飯食おうて」

お母さんは僕の事を『預かって面倒をみてくれている』スイセイによくゴハンを食べさせるようになっていた。でも僕は面倒なんか見てもらっていないし、そんなつもりもない。むしろスイセイの面倒を見ているのは僕の方だという自負さえあった。だってある時なんか、休みの日の朝にサカイさんに頼まれて届け物をしにスイセイの家に行ったらチャイムを鳴らしても返事がないのに玄関の鍵が開いていて、それで中に入ったらその玄関の上がり框の上に友達と朝までお酒を飲んでいたというスイセイが靴を履いたまま死体みたいに眠っていて、その横でしらたまがお腹をすかせてにゃあにゃあと啼いていた事があって、その時しらたまにゴハンをあげてスイセイの頬を2回引っぱたいて起こしてあげたのは僕だ、そしてそれに似た事は過去に何回か起きている。だからスイセイが僕の面倒をみているのではなくて、スイセイの面倒をみているのが僕だという言い方が正しいと思う。

ただ一方で、スイセイはカイセイと違ってとにかくよく食べるから、撮影で使ったり、取材で頂いたりして家に持って帰る食材をキレイに食べてくれて助かるのよとお母さんは言っていて、僕は、スイセイが母さんから台所のディスポーザーの一種だと思われているんじゃないかと思ったけど、そういう事は本人に言わない方がいいかもしれないと思ったから、スイセイには言わないでおいた。

僕の家に行く時、スイセイはいつも速足だ、もともと大男で大股のスイセイが更に速足で歩くと、スイセイよりずっと体が小さい僕は、駆け足になってしまう、だからもう少しゆっくり歩いてほしいと言うと、スイセイは早くしないと飯が逃げるぞと言う、それから、誰かと一緒に飯食えるのって嬉しいやんかとも言う、でも僕はそういう時スイセイにいつもこう答えるようにしている。

「ゴハンは、逃げたりしないよ、スイセイ」

☞4に続きます(近日公開)

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