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入院日記。

入院した。

いえうちの4歳がです。私はただの付き添いであって、私自身は過去3度のお産を終えたその日にスタコラ歩き出す頑健さ、と言うより身体感覚の鈍重さであって、逆に大丈夫なんかと、これ後々突然スゴイ病気なんがか発覚したりせえへんかと時折やや心配になる。その位元気です。

しかし4歳もまた、去年の2月の末に心臓の大きな手術をして、その後の回復が酷く遅れて4月に退院した後からここまでの1年は驚きの頑丈さで、ちょっと風邪をひいてもハラをこわしてもそれで酸素飽和度が、この子はそういう循環の問題を抱えている子なもので、例えば80%くらいまで下降しても

「まあ入院まではええかな、薬飲んで家で寝といて、アカンかったら救急外来」

頼みの主治医から「入院?そんなんいらんで」と毎回あっさり言われてしまう。

もう丈夫さが折り紙付きというか、『心臓疾患児』『先天性疾患』という類の生き物の概念をメタモルフォーゼする生物であるというか。それもこれも多分治療に一区切りついたこの子の身体が安定して、本来の内蔵だとか体の色々の力が整ったのだと思うけど、絶対元々頑丈っていうのもあるのやろなこれ。

しかし今回は予定の入院です。この4歳はその1年前の心臓の手術で作り上げた肺循環の評価をしてもらわねばならんのよ、今回の心臓カテーテル検査で。

界隈では「カテ」と呼ばれるそれは、例えばMRIとかCTとか、放射線科にある巨大な機械を使って「ちょっとじっとしていてくれたら即終わる」という検査ならこの子にとっては100歩譲ってまだマシだったのけれど、このカテというのがうちの子については鼠径部から血管にカテーテル、細い管を入れ、心臓の内側のその中の圧力を測定したり、造影剤を使って心臓の各部屋の大きさ、筋肉・弁の動きを測定すると言うもので、平たく言うと足の付け根から心臓まで体内串刺しと言う状態を作ると、そういうことなのですよ。このあらましを聞いて

「まあそういうことなら気軽に受けようか」

という人は大人でもそういないと思う、多分。痛みで性的興奮を得るという一部界隈の人なら嬉しいのかもしらん、いやでもやっぱりこればっかりは止めた方がええと思う。これ医療行為、手技としては相当に高難度で当然命に係わることもあるもの。実際4歳は昔これで房室ブロック、心停止をやったことがある。それは数分のことで、即回復したし後遺症も残らなかったけれど、あの時は親の心臓も数分止まった。

それだから4歳がこの入院を大喜びして、自分の名前を刺繍してある赤いLLbeanのリュックにぬいぐるみとかお絵かき帳とか三角鉛筆なんかを詰め込んだりするワケはない。4歳はまず「入院」と言う言葉を聞いた数ヶ月前からそれを断固拒否し、直前の外来ではかれこれもう4年のお付き合いになる主治医から

「ほしたら次入院やな」

そう言われた時も

「にゅういんやだー」

むっつりとして頑として首を縦に振らず、病棟に行けばもう一人の主治医の先生に会えるやないか、先生も4歳ちゃんに会いたいて言うてたぞと笑顔で説得されても

(うちそんなん知らんわもう帰らしてもらうし)

といった風情のそっけなさで、そしてその状態のまま入院当日病棟に突っ込んでしまったもので、4歳は病棟のベッドの上でもひたすら母である私に訴えた。

「もうかえる」

「先生が良いって言わんと今日は帰れへん」

「じゃああしたの1じにかえる」

「なんで1時なんよ、カテーテル検査来週なんやもん、それを受けやんと帰れへん」

「なんでなん」

「えっ…術後の評価のために…しないとアカンのやもん」

「なんでなん」

なんでやろ。今回検査の1週間前に前乗りで入院しているのは、この4歳が服用している薬を検査前に抜く必要があるため。これ、抗凝固剤なんですけどかと言ってその薬効を利かせないままに暮すと、この4歳の心臓に通っている人工血管に血栓ができるかもしれないと、その危険があって致し方なくそれを点滴に切り替えなくてはならないためで、まあ今回ピチピチに元気な4歳はいつもの酸素と更に点滴に繋がれて1週間、これがまた辛いのだと思う。

だって世間は春休みでにぃにもねぇねも家にいるし、今回は私の付き添い入院もやや長丁場ということで普段滅多に会えない富山のばぁばも手伝いに来てくれている。それなのに

「なんでうちだけびょういんなん」

帰りたいやろな。今週からもう幼稚園が始まると言うのにその新学期最初の日も4歳は登園できない。初日から数日のスタートアップ期間に病休、これが中高生ならハブられるかもしらん。しかもこのカテーテル検査、それを頑張ったからと言って何が良くなるわけでもないのだからホンマに説得がし辛いというか大体、この4歳はこれ以上何かがよくなったりはしないのだから困る。そのくせ悪くなることは残念ながらこの先の人生で避けられない。『治る』と言う概念の無い世界に生きているのだし。

それでも生きていくのが人生なんやでと母親の方は思い直してこの日は午後に

「去年、術後に出来た褥瘡の跡のハゲ、これもう一度形成に診てもらいたい」

そう言って形成外科の受診の予約を入れてもらっていた。

それはこの4歳が3歳の時、ややこしいな、とにかく去年の術後冗談抜きで死にかけてその際ICUで、人工呼吸器補助循環装置以下山盛りつけていますので1ミリも動かせませんという時に後頭部に褥瘡が出来てそれが見事に禿げあがったのですよね、どうやら皮膚が壊死したらしくて。その後の経過を診てもらい、今何か手を打てるのなら打ちたいと事前に小児循環器科の主治医の方から形成外科に予約を入れてもらって病棟からそこに出かけたのだけれど、ああ、あと大変な余談なのですけれどこれの予約の時

「こういうのってさあ何て打ったらええと思う」

「えっ、このハゲですか?『ハゲてるんでよろしく』ではあかんのですか」

「アカンと思う」

診療科を跨いで予約を入れる時は電子カルテに「こういう状態ですのでひとつ、よろしく」と書きこむテキストボックスみたいなものがあるようで、そこに何て書いたらええのんと小児循環器医である主治医に聞かれ「ハゲ」と私が答えて「それ違うやろ」と言われた。子どもの生存の為にずっと長く付き合うことになる主治医と患児の親は段々こう良い意味で適当な距離感になるものなのか、先生私、形成の人間ちゃいますし、主婦ですし。(正解は瘢痕性脱毛症)。

とにかく、今回の入院では前乗りの1週間の間は点滴管理のみで正直まったくヒマなのやし、1年前の傷を診てもらいましょうと、入院したその日に形成外科にかかった。でもそれがまた4歳に昼食を食べさせている最中に呼びだしが来て、それでご飯もそこそこに4歳児16㎏を抱えて結構本気で外来に走った、入院ていつもそうやけどスタート時の突発事項が多くてまあ戦場の慌ただしさ。そこでまず頂いた初見が

「あー…これなあ、この子まだ4歳かあ、そしたらここの皮膚を縫い縮めたとこで、また頭て大きくなるモンやし、折角縫ってもまた広がってしまうねん」

というもの。人によっては「子どもの頃に何とかした方がキレイになる」という意見を言う人もあるけれど僕はそういう考え方ではないんですわ。

というのが形成外科外来の奥から出て来た

『あらゆる瘢痕を切って縫って30年』

のような風情の、そしてチェックのボタンダウンシャツに白衣を羽織ったウィニー・ザ・黄色い熊のような風貌の形成外科先生の意見だった。ほんでもまあきれいな瘢痕やでと仰るもので、そうかあそれなら、もう少し時間を置きますと思って結論づけたその次の瞬間

(せや、せっかく形成にきてるのやから、去年の胸の切開痕も診てもらわな)

こう思いついた瞬間にそれを口にした私は本気で中年になってしまったのやなと思う。最近の私の好きな物は『ついで』『ただ』『おまけ』。折角普段なかなか時間の取れへん形成外科にきているのやから、3度の手術ですっかり消えない痕になった手術痕の今後にも一言ご意見ください。それで、ついでと言ってはなんですがと診てもらうことにした昨年の開胸手術の痕を先生はひと目見て

「あ、これはきれいな傷やね、ウンいい傷や」

そう仰った。私は現段階でニンゲンとして43年生きているのですがね『傷』に良い『傷』があるなんてことをこの日初めて知った。大体傷というものは

[1]  からだや物の表面を切ったり突いたり、こすったりしてできた、痛む部分、またはそのあと。
[2]   物の、不完全な所や、いたんだところ

新明解国語辞典・第七版・三省堂

という本来は負の言葉、否定的な意味合いの強いものであって「良い」ものではないと思っていたし、実際この子の執刀をした小児心臓外科医も、特に3度目の手術にあっては術後の状態が悪くて縫合が遅れたもので縫合の糸の痕が残ってしまい

「埋没法で縫いたかったんですが、いかんせん皮膚の状態が…ああこの痕残るかなあ」

そう言われていて、切ったご本人もそれをとても気にしていたのだけれど、それは形成のドクターからすると

「ケロイドにならずに、時間を経て成熟したいい傷です。縫合が上手い」

のらしい。それは多分形成外科医の立場から、この場合4歳の執刀を担当した小児心臓外科医への手技、技術への賞賛ではあるのかもしれないけれど『傷』自体をひどく悪いものやと、本人が将来気にして泣いたら辛いなとそう思っていた親としては

「いい傷ってあるのや、傷って悪いことだけではないんや」

個人的にはとても大きな、新しい発見があった。知見とか感覚とか概念とか、もっというと世界というのは常に変化してその可否、善悪、価値が変容していくものなんやね4歳、あとやっぱり4歳を3度切ってくれた小児心臓外科医の先生てすごいのやわ、いつも謙遜しかしない人やったけど。

それが分かっただけでも、知れただけでも良かったやないのとなんだか少し嬉しい気持ちでまた16㎏を抱えて病棟に戻ったこの日の夕方、4歳はだんだんと碧く暗くなってきた西の空を眺めながら

「もうかえろうよ」

と言い、今日は点滴があるからもう帰れへんわと言えば

「ほしたらあしたの1じにかえる」

と強固に繰り返し、夕飯に出て来たスパゲティを本当は大好きなはずなのに半分も食べずに私の弁当を強奪し、それでも久しぶりの入院に疲れたのか20時には眠ってしまった。明日1時にこの子に一体何があるのやろうか。とにかく、この「やったところで4歳にはなにひとつ良いことのない検査入院」は昨日始まり、現在しずかに進行中であって今朝の4歳の朝の目覚めの一言は

「もうかえる」

であったことでした。いやまだ帰らんて。

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