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短編小説:おおぐま座のしっぽに向かって進め

☞1

俺が小学校3年生から高校3年生まで育った母の生まれ故郷は、豪雪地帯と呼び名の高い北陸の田舎の山奥で、11月の末頃から暦の如く大寒と呼ばれる1年で一番寒い季節を最盛期にそれこそうんざりする程雪が降った。

小学生の背丈ならそのまま雪の中に埋もれてしまう量の雪が通学路を塞ぎ、凍結した路面は大人の足なら直ぐそこにある筈の小学校までの道のりを果てしなく遠く険しいものにした。

「あっちゃん、雪すげえな」

「けいちゃん、縦一列になって歩くがや、横一列やと2人とも雪まみれや」

雪は冬の朝、朝起きると世界のあらゆるものを北陸の曇天の鉛色を映した、ほんのり灰色の雪の下に埋没させてそれでもまだ降り積もる。こんな時、大抵の子どもは親や同居の祖父母の車に乗せられて学校に送り届けられるが、俺と親友のあっちゃんの家にはそういう優しくて余裕のある大人がいなかった。俺には昼は工場で働き、夕方から夜までは村でひとつだけある小さなスーパーのレジ打ちをする母だけが家族で、親友のあっちゃんには

「お父さん、今日は枝打ちに行って山や」

『きこり』を生業にしているお父さんだけが家族だった。あっちゃんのお父さんは林業、山で木を植えて育てて木を切る、そういう仕事をしている人だった。あっちゃん曰く

『全然儲からないし木から落ちて死ぬひとはおるしかなりやばい仕事』

らしい。俺には技術職のひとり親方として真面目に現場で働いていると見せかけて、熱心に通い詰めたパチンコとよくわかりもしないのに投資に手を出し結構な額の負債を負ってそのまま失踪した父の後始末をつける為に昼夜を問わず働き続ける母だけが家族で、あっちゃんの家は丁度俺の家と時を同じくして突然母親が出て行ってしまっていて、きこりの父親だけが家族だった。あっちゃんの家は俺の家とは違って借金を契機にした離散ではなく「お母さんがなんか知らん男の人と出て行った」ということが事情らしい、痴情のもつれ。ウチは借金を作って失踪した父親のお陰で以前住んでいた街の中古マンションを売ってもまだお金に困っていたが、あっちゃんの家は、毎日がレトルトカレーとラーメンと冷凍餃子の3回転という激しい食事内容の偏りに困っていた。みんな色々大変だ、よその家にはよその家の事情、人生は、それぞれだ。

俺たちは、互いの家庭事情が筒抜けの小さな村にあって少し特殊な家庭環境故に必然的に仲良くなった。俺達は周囲の大人から言わせると『可哀相な子ども』だったらしい。でもそんな風に言う割に周囲の大人は、その可哀相な子どもが吹雪の日に親の迎えも無く雪で前後左右天地も分からない位真っ白な里山を、2人だけでとぼとぼと歩いて帰る姿を見ても特に助けてはくれなかった。口だけだ、だってタダだから。それで俺たちはいつも冬の一番雪の多い季節、小雪のちらつく日も、吹雪の日も、時には除雪が間に合わないまま、道と田んぼと用水路の境目の見えなくなった真っ白い新雪の上を歩いて2人して田んぼに落ち、夕暮れには街灯の無い田舎道の、寒さで凍った雪の上をさくさくと歩いて帰った。長い道草の後、東の空の月灯りだけが頼りの帰り道でよくあっちゃんは俺に言った。

「けいちゃん、道に迷いそうな時はおおぐま座のしっぽの星を探したらいいがやってお父さんが言っとった」

「おおぐま座ってどこに見えるがや」

「北の空。もし夕暮れ時に山で迷ったらまず北に向かえって、その時はおおぐま座のしっぽの星を探すがやって俺のお父さんが言っとった」

「星、言われてもなあ、有りすぎてなーん、分からんわ」

俺達はそうやって空に留め置かれている小さな星と静かに降り注ぐ細かい雪、その両方を見上げた。

「雪と星が混ざってしもてて全然わからん」

大体、春先によく杉林の中からひょっこり里山に下りてくるあの熊にしっぽなんかあったがか、あのちょんちょろりんのヤツかと俺達は笑って、周囲をぐるりと囲む山の杉とヒノキ意外には遮るものも街灯も一切無い星空の下、遊び場にしていた小学校の校庭から北の方向にある火の気のない冷たい自宅にそれぞれ歩いて帰った。

☞2

あっちゃんとあまり遊ばなくなったのはいつ頃だっただろう。

あっちゃんは中学生になると休みの日にお父さんについて山に行くようになった。やばい仕事やなんて言っていた割に、あっちゃんは木に登り、枝を切り落とし、間伐をして、杉やヒノキを山の斜面に植える、そんな事を楽しんでやっているように見えた。あっちゃんは木を植えそれを手入れしながら100年育て、自分の次の世代がやっとそれを切ってお金に出来る、そんな途方もなく気の長い仕事を。

「なんかちょっとカッコイイ仕事やと思うようになったがや」

そう言って昔程、俺と遊べなくなったし、俺は俺で中学1年の春に母が

「お父さんみたいになったら困るのはアンタながいから」

そう言って、父のような仕事は勿論、村に沢山いるあっちゃんのお父さんと同じきこり、杣人の生き方を殊更敵視して、高校は自宅のある山からバスと自転車で2時間かかる町の進学校に行きなさいと俺に言い聞かせ、とにかく勉強しろと俺の尻を叩いた。

『そこから県外の大学に行きなさい』

その為に母は更に働くようになった。パート先のスーパーのシフトを土日にも詰め込み、工場の夜勤の仕事まで入れてまで俺を町の学習塾に放り込んだ。勉強をしてまともな仕事につきなさい、お天気や木の、自然の在り方に左右される仕事なんてアンタは絶対にしない方が良い。

俺はあっちゃんのお父さん達、杣人の仕事を全然そんな風には思っていなかったけど、実は高いところが物凄く苦手で、杉やヒノキの木の枝打ちにロープ一本を頼みにして上に行くほど細くしなる木の上に登っていく姿を見ることすら恐ろしかったし、何となくその高所に登って雄々しく働く杣人の姿が、自分達を捨ててどこかに行ってしまったらしい父の背中を見るようで、母の気持ちには関わらずあっちゃんの父親のような杣人になりたいとは思わなかった。

母の「父のようになるな」その言葉は、息子が中学に入ってやっと借金返済の目処が付き、離婚が正式に決まった母自身の心情に深く関係していたのだと思う。母は借金返済と同時並行してずっと父の行方を探していた。理由は復縁なんかじゃない、婚姻関係の解消だ。配偶者が失踪して7年待てば離婚はそれを理由に出来るらしいが、その期間を待っている間にまたおかしな所から借り入れをしてこれ以上面倒を掛けられるのは絶対に困るからと、父方の親戚達の話から関西地方のある町にいたらしい父の居所を突き止めて、債務はほぼ整理したのでこれ以上自分と息子に人生に関わらないでくれ、さっさと離婚しろと、日帰りで関西まで出向いて父の自宅に乗り込みその場で離婚届に判をつかせて、多分一緒に暮らしている女の為に父が作っていたらしいカレーを敷き込みのカーペットに全部ぶちまけて山に帰って来た。

「料理なんかした事無かった癖に」

アンタなんか七たび生まれ変わっても地獄に落ちたらいい、一生恨んでやる。それが父に対して母が最後に放った離別の言葉だったらしい。気丈とは、執念とは、あの日の母の為の言葉だ。そうして「あの男と正式に離婚して来た」と母から聞かされた日、母は家に残してあった父の作業着や靴や写真、父にまつわる一切の物を全部燃やしてそこでアルミホイルに包んだサツマイモを焼き、その火の前で冬眠前のクマのように頬張って食べていた。

「どんなものも絶対に無駄にしない」

己の怒りさえ熱量にして5年に及んだ借金返済生活とついでに10年間の結婚生活、すべてを終わらせた時に母の心身に染み付いていた始末癖と、多分何をどうしても収まりのつかない心情、それがすべて投げ込まれたこの焚火には土曜日の午後、山の仕事を終えて

「けいちゃん見て、山にマムシがおった、大丈夫や、もう死んどるから」

そう言って俺が死ぬほど苦手な蛇を素手で掴んで持参したあっちゃんが何故か参加していた。俺がマムシの死骸を本気で嫌がっているのにあっちゃんは面白がって追いかけて来る。あっちゃんは無邪気で屈託のないいいヤツなのだけれど同時に小1位で精神年齢を止めてしまった永遠の悪ガキで、俺が「止めろって言うのは止めろって意味ながや」と言って怒ると、今度は枯れた杉の葉を焚火にくべて笑いだした、杉の葉と生木は燃やすとスゴイ煙が出るがやぞ。

それを見ていた母が、一体どんな表情をしていたのか、俺はよく覚えていない。

その日、あっちゃんからは、杉の若木の香りがした。

あっちゃんのお父さんが死んだのはその直ぐ後の事だ。

作業中の事故だった。間伐中に木の下敷きになって、肺と心臓がつぶれて町の病院に運ぶ前に死んでしまったんだと、それはあっちゃんから聞くより先に村の誰かから聞いた。小さな村だ、噂は電波より先に人の口を介してあっという間に千里を走る。俺同様、祖父母が既に亡くなっていて村に親戚がほとんど残っていなかったあっちゃんはこの時、死んだあっちゃんの父親にとってはたった1人の遺族、即ち葬儀の喪主という立場ではあったが、14歳という年齢では葬儀の事は分からないし何も出来ないだろうと、あっちゃんの父親の葬儀は村の森林組合の仕切りと婦人会のおばさん達の手伝いで体裁だけは何とか整えられて、しめやかに執り行われた。俺が葬儀の会場の公民館に顔を出した時、あっちゃんは中学校の制服を着て用意されたパイプ椅子に座っていた。そして村の誰かがあっちゃんの為に用意したのだろう黒おこわのおにぎりを食べながら落ち着きなくしきりに足をプラプラさせて

「人間てほんまに直ぐ死ぬがやな」

父親が不慮の死んだというにまるで他人事みたいな感想を小声で俺に言った。特に哀しそうな様子もなく、かと言っていつも山に行く時のあの威勢や元気もなく、でも表情だけはいつものように小学生のような笑顔だった。俺はあっちゃんに

「あっちゃんこれからどうするがけ、学校やら、家やら」

そう聞いた。あっちゃんは、少し口ごもりながら

「それがなあ…」

そう言って、顎でしゃくるようにして、自分の背後の鯨幕の隙間にいる女の人を見るように言った。気づかれんように見てやと。

「アレ、お母さんの所に行くことになるがいと、ここには親戚も誰もおらんし」

あっちゃんのお母さんは、この時もう既にあっちゃんのお父さんの妻という関係ではなくなっていたし、しかもかつて我が子と夫を捨てて村を出奔した人物とあってこの葬儀の末席にさえ座る事を、まあ座りたければ座れば良かったと思うけれど、村の人々のよそ者に対して発動される鉄の結束と、特に婦人会のおばさん達が睨みを聞かせているこの場ではとてもそうする勇気が無かったのだろう、葬儀社の人に紛れて白黒の鯨幕の裏に隠れ、居心地が悪そうにしていた。

焼香待ちの時、毎日父への呪いの言葉は欠かさないがそれ以外の他人を悪く言う事の殆ど無かった母が

「あの人、ようここに顔出しに来られたもんや」

そう俺にだけ聞こえる声で小さく呟いていた。

「あっちゃんのお母さん、今どこに住んどられるがや」

「大阪」

あっちゃんがこれから引っ越すと言う大阪はその当時の自分達にとっては、村から車と電車を乗り継いで辿り着くまで丸一日かかる、遥か遠くの大都会だった。俺にはそこが、つい昨日まで中学生の傍ら山に分け入って木の枝を切り、斜面に杉の苗を植え、山の神様に祈りを捧げるという生活をしてきた森の精霊みたいななあっちゃんが自然体で暮らせるような場所にはとても思えなかった。でもこの場でそんなことを言ったら、多分俺と同じことを考えているだろうあっちゃんは、黒おこわを握りしめたまま冬の山の中に走って逃げて行ってしまうような気がして、俺はあえて

「USJのある所か、都会やなあ、あっちゃん都会っ子になるがか」

そう言って俺達の生活には普段全然縁のない極採色の巨大テーマパークのある賑やかな都会に行く親友に微笑んだ。楽しい事はきっとどこにでもあるから心配せんでいいがや、山にも、街にも、どこにでも。そう言うとあっちゃんは俺に

「大阪の街にはヒノキ生えとるがやろうか」

けいちゃんは物知りやからそういうの知っとるやろ、そう俺に聞いた。でも俺にはそんな事は何とも答えようが無かった。俺は14歳のその時には、地図上で近畿地方にある大阪という場所を知ってはいたしテレビで動く映像としてその街を見た事はあっても、実際足を踏み入れた事が無かった。俺の知識の中では、そこに雲打つような巨大なビルは生えていても、あっちゃんが「大人になったら俺が切らせてもらうがや」と自慢していた樹齢100年越えのヒノキが根を張る隙間は無さそうに見えた。でも俺は世界の隅々を全て知っている訳ではないし、仕方なく俺は、山の精霊である親友にこう答えておいた。

「わからんけど、少なくともマムシはおらんがじゃないがか」

あっちゃんは父親の49日の法要を待たずに、父親のお骨を村の寺に預け、母親に連れられて大阪に引き移る事になった。中学2年生の3学期の途中だった。引っ越しの日、荷物が全て片付けられて、古い水屋箪笥だけがポツンと置かれたあっちゃんの家の土間で俺が

「大阪でもおおぐま座は見えるやろ」

『同じ星が同じ時間に北の空に見える場所なら俺達はそう離れている所におる訳じゃない』俺は遠くに行ってしまう親友にそう言った。でもあっちゃんは

「なーん、新しい家は賑やかな所らしくて、なんやったか尼崎…?そこは夜も割と明るいし夜空は雲っとって、星なんかは全然見えんがやってお母さんが」

そう言って、どうも引っ越し先は夜も妙に明るくて、森も林も無い、その代わりにここと違って電車が何本も行き交う大きな駅があって、近くにマクドナルドとミスタードーナツがある、そんな場所なのだと教えてくれた。俺は、いつも車で2時間位の距離にあるイオンに行かないとありつけない、当時の俺達にとってのご馳走が直ぐそこにある暮らしをするというあっちゃんを、この時は少しも羨ましいと思えなかった。それにあっちゃんのお母さんは、男の人と暮らしているらしくて、その人と暮らすのも

「なんかイヤながいちゃ」

と言い、あっちゃんは難しそうな顔をして両手で頭を掻いた。それはそうだろう、俺だって今、どこか都会で俺と母を捨てて他の女の人と暮らしているらしい父と暮らすなんて絶対イヤだ。だからと言ってまだ中学も出ていないあっちゃんが、この土地で1人暮らしをしながら『きこり』をして生計を立てる訳にもいかない。

あっちゃんは、あっちゃんを『俺達の小さい仲間』として可愛がっていた森林組合のおじさん達から餞別にと『森林組合連合会』と書かれた黄色いヘルメットを貰い

「大人になったら必ずここに戻って来るがやぞ」

情に厚い杣人達に代わる代わる頭を撫でられ、抱きしめられて、黄色いヘルメット頭にかぶせられてそのまま山を下りた。

俺はその時、体育以外の地理を含めた全教科が得意ではないあっちゃんの言った『尼崎』が実際は大阪府ではなくて、兵庫県だという事実を伝えられないままあっちゃんと別れ、あっちゃんも俺も少しだけ泣いた。手紙書くから、住所教えてと言ってその場で書いてもらった小さな紙片には、あっちゃんの決してキレイだとは言えないミミズの大運動会的な文字で

『大阪府尼崎市』

と書かれていた。

俺はその後、『兵庫県尼崎市』に住んでいるはずのあっちゃんに何度か手紙を書いた。でもそれは一度も返信が無いまま、3度目の手紙は宛先不明で戻って来てしまった。

もしかしたら、俺が知らないだけで大阪には本当に尼崎という場所があったのかもしれない。

そう思って自分を納得させて、俺は親友の事を、少しずつ忘れた。

☞3

26歳になった俺が今10以上前の事を、走馬灯の如く思い出しているのは理由がある。

俺が寒村の中学生だった12年前から今まで、世界には想像も出来ない事が沢山起こった。まさか得体のしれない感染症が世界中を席巻し、紛争や戦争や天災以外で人類がその生存を脅かされる日が来るとは誰も思っていなかったし、関西に進学してそのままそこに住み着いた筈の俺が、山間部並みの積雪に出勤の行く手を阻まれる事になるなんて夢にも思わなかった。

だってここ大阪やぞ。

あっちゃんが村を去った1年後、俺も山を下りて市内にある高校に進学した。一応県立のトップ校だ、母はとても喜んでくれた。あの、離婚届が受理されて正式に母だけが俺の家族になった日に、焼き芋を食べながら自分の為に全てをかなぐり捨てて働き続ける母の喜ぶことを、母が精一杯俺を育てて来て本当に良かったと思えることをしようと健気に誓った当時14歳の俺は、高校合格後は次の進学先を分かりやすく母に喜ばれそうな医学部に設定し、粉骨砕身、部活にも女子にも兎に角高校生活にある色彩豊かで享楽的なものには一切目もくれずただ努力して本当に関西の田舎にある国立の医科大学に合格してしまった。命への眼差しとか高度医療への憧れとか崇高な目標とかそんなものは殆ど無い、言うなれば俺にとってこれは父への復讐だった。

そして俺の大学進学を見届けた母は山を下りて再婚した。今は山の麓の町で、パート先だったスーパーを経営している穏やかで優しい5歳年下の夫、俺には義父になる人と幸せに暮らしている。母の自分の無駄に苦労の多かった半生への復讐みたいなものはこれで全て終わったのだろう、大学に入ってからたまに帰省した時に会う母は、もうあの日父の家に乗り込んでカレーを床にぶちまけた春先の熊に負けない苛烈な気性の女ではなく、穏やかで優しい中年女性になっていた。

それで国家試験に受かった日に、気づいてしまった。

俺はこれから一体、何を頑張ればいいんだ。

俺には必死に努力する為の燃料が枯渇してしまっていた。山の湧き水がある日突然枯れてしまうかの如く。じゃあだからと言ってヒポクラテスへの宣誓を全て反故にして、6年必死で大学にしがみついて手に入れた医師免許を破いて捨てて今さら放浪の旅に出る訳にもいかない、大体奨学金の借財まみれになった自分にはそんな金も無い。

それで26歳になった今、小児科の専攻医として病棟の鉄砲玉のような生活を送っている。小児科を選んだのはひとえに、大人の、父親位のじいさんが苦手だからだ。専攻医という生き物は1,2年目の研修医よりはまだ多少は役には立つが、かと言って誰かの命を分かりやすく救っていなんていなくて、例えば主任クラスのナースのごもっともな叱責を正面からお受けするとか、暴れる子どもを押さえつけてルートを確保するとか、点滴台をおもちゃにする悪タレを叱るとか、そして何より今日みたいな天変地異並みの悪天候の日に

「オイ、お前、北陸の出身やったな、ほんなら雪には強いやろ。今から出勤してくれ、病棟も外来もこれやと全然間に合わへん」

こういう指導医の無茶振りを素直に受け止めるという役割を担って病院に静かに生息している。雪の降らない地域の人間は雪国の人間を過信しすぎていると俺は思う。雪国の人間が雪に強い生態を持って生まれるのではなく、雪国のインフラが雪国に適した状態で存在しているだけなんですが先生と言う前に指導医からの電話は切れた。

仕方なく、空前絶後の大雪だと報道がテレビからもネットニュースからも流れ続け、各種公立学校が休校になり、挙句の果てに『外出自粛』が推奨されている今朝、俺は手持ちで一番雪道に強そうなごつめのスニーカーを履き、その上から更にビニール袋を履いて養生テープで目張りして外に出た。今、ほぼ麻痺している公共交通機関も、絶対捕まらないだろうタクシーも全て諦めて徒歩で病院に向かっている。ただ何しろ除雪車も融雪装置も用意の無い都会の事だ、雪に足を取られて一向に前に進めない。あの新雪を踏みしめて学校に通っていた子ども時代も今は昔、俺の体は雪の日の感覚を覚えていてはくれなかった。吹雪の様相を呈して来た空模様で視界は真っ白になる。

今、俺は目の前も人生もホワイトアウトだ。もう山に帰りたい。

でも俺の人生がホワイトアウトしているのは別に今始まった事じゃない、この数年の出来事、必死に大学に合格して国家試験に合格し地を這うようにして現代の奴隷制度、研修医生活をやり過ごしてきた事に加えて数週間前、実家の母から

「お父さんが死んだがやけど」

という連絡を貰った事、そのすべてが関係している。あの日は36時間勤務明けの朦朧とした頭で

「ハァ?死んだ?何が?誰が?どれが?」

多少混乱してそんな妙な返答をしてしまった。俺は職業柄『死』という言葉には無駄に過敏だし、何しろ父親が2人いる人生なので若干ややこしい。母は多分義父が近くにいるのだろう、いつもより小声で

「あの禄でもない方や。大阪で肝硬変?肝不全?そんなんで死んだがいと、お母さんはもう他人やからどうもないけど、アンタにとっては一応父親なんやから知らせるだけ知らせとこうと思って」

そう言った。俺は父が死んだという事実よりも父が大阪にいる、その言葉に驚いた、俺達の人生から借金だけ置いて遁走した筈の父が、俺の近くでずっと暮らしていたという事実。

「お母さん、あの人、大阪におったんか」

「あ、違うわ、大阪じゃないわ、ホラあの大阪の直ぐ近くの、ああ、尼崎っていう所、そこにずっとおったがいわ、一応葬儀とかのお知らせも来とるけど、お母さんは絶対行かんし、アンタどうする」

「いや、行かん。このご時世やし、そもそも俺はもうずいぶん前からあの人と自分は他人やと思ってる」

まあそう言うとは思ったけど、向こうのご家族から連絡取りたいって言われたからアンタの番号一応教えといたわ。そう言われて俺は、軽くめまいがした。田舎の、母親というものの情報リテラシーというか個人情報取扱感覚は相当緩い。俺が医者になってから本気で困っている事のひとつがこれだ。田舎の人間は医者とか弁護士とかそういう特殊な職種の人間が身内に出来ると、当人の電話番号を回覧板の如く親戚縁者に回しそして、携帯に直接謎の健康相談が入るようになる。頼むからやめてくれ俺は小児科医で成人の疾患については素人同然なんや、お義父さんの叔母さんの狭心症の事なんか分からん、下手すると命に係わるんやからと言ってこの前も母と電話で少し喧嘩をしたばかりだ。それに向こうの遺族なんか俺にとっては完全に100%他人やないか、そう言う前に母からの電話は切れた。最近飼い始めた柴犬の仔犬が遊んでくれと言って煩い、それがとても可愛いのだそうだ。成人して手が離れてしまった息子は今、母にとっては犬以下らしい。

『父が死んだ』

それについては、俺の中に特に何の感慨も感傷もなかった。そもそも自分を捨てた人間だ。肝硬変なのか肝不全なのか母からのまた聞きでは死因はよくわからないが、思えば深酒をする人だったからそれに由来するものなのかもしれない、もしくは何かの肝炎かそれとも癌か。

それよりも遺族が自分と連絡を取りたがっているのは何故だろう、父親は色々とだらしない人間だった。何かまた厄介な事になると面倒だ、今度は10年前の母のように地の果てまで父を追いかけて借金について問い詰める訳にはいかない、何しろ相手は彼岸に渡ってしまっているのだから。

雪は止みそうになかった。この大雪で北陸の、母の住む家も深い深い雪の中に埋まってしまっているらしい。でも義父という伴侶のいる母の事はもう何も心配していない。義父が母との暮らしの為に建て替えてまで用意してくれた家は設備は全て新しいし、頑丈で昔の、祖父母の残してくれたあの村の北の外れの老朽家屋のように隙間から雪が吹き込むように入ってくることも無いし、台所の給湯器が全然点火しないまま冷たい水で炊事をする必要もない。

雪の中を歩くときは足元を見て、雪以外の事を考えて歩く事。それが子どもの頃、寒いを通り越して耳がちぎれるように痛い、凍てついた空気の中を歩く為の方法論だった事を俺は今少しだけ思い出していた。

☞4

携帯の着信に気が付いたのは、横殴りの雪に流石に辟易して一度どこかで休憩をしようと、吹雪の中に霞むように灯りをともしているコンビニの前に立った時だった。番号を確認する前に直ぐに出てしまうのは、オンコールは3秒で出ろと指導医に半ば脅されるように指導を受けた賜物だ。

『お前が電話に出ない事で誰かが死ぬこともある』

そう言われてしまえばどんな着信も出ない訳にはいかない。研修医の頃は、風呂で頭を洗っている時も携帯の着信音の空耳が聞こえたものだ。

それで俺は電話に出た、それは見た事が無い番号だったけれど。

「あ、もしもし、俺や!俺!」

誰や。

「は?何?誰?」

俺は以前、母の家に電話があったと言って、俺の携帯に

「アンタ!よその奥さん相手に子ども作ったって電話があったがいけど、ほんまにけ、アンタは…もう情けない…!」

そうやって確認の電話がかかって来たよくある詐欺電話なのかと思った。あの時は丁度病棟でたまたまそこにいた主任のナース達にしこたま笑われたんだ。お母さん愛だね、心配してるんだよ。イヤ、俺開口一番叱られたんですけど。

「けいちゃんやろ、俺!あっちゃん!」

あっちゃん?あっちゃんてあのあっちゃんか?

「え?あの、あっちゃんてあのあっちゃんか?あの14歳の時に村から引っ越したきこりのあっちゃんか?」

「そうや、久しぶりやな、けいちゃん元気か?」

「え?え?何で?何で俺の携帯の番号知ってんの?ほんで何しに電話してきたがや」

驚いてそう聞いたあっちゃんの声は、12年前、丁度変声期の途中だった頃の14歳の少年だったあっちゃんの声よりも少しだけ低くて、それでもその屈託ない、子どもみたいな喋り方はあのあっちゃんだった。間違いない、俺は記憶力には自信がある、親友の声と話し方を絶対に間違えたりしない。

「えっ、だって俺、遺族やから。それで電話してきたんや、おばさんに聞いてないがか」

「は?」

あっちゃんは、俺の父の遺族だった。

俺は何も知らなかったのだけれど、あの12年前、村にあっちゃんを迎えに来たあっちゃんの母が一緒に暮らしていたのは、更に言うと、村から出奔した時に一緒だった男というのは、俺の父の事だった。俺は、あっちゃんの父親の葬儀の日に、あっちゃんの母親を一瞥して何とも言えない表情をしながら母が

「あの人、ようここに顔出しに来られたもんや」

そう言った理由を、この時はじめて理解した。多分、母はあの時既にすべてを知っていたんだ。それならそのすべてを知っていた母は、俺の親友としてよく庭先にひょっこり現れては俺とふざけて遊んでいたあっちゃんを一体どんな気持ちで眺めていたんだろう。

俺は暫く言葉が出てこなかった。

「もしもし、けいちゃん、雪大丈夫か、今大阪ながいろ、俺な、村に戻って来とるんや」

「…あっちゃん今、村でなにしとるがや」

「きこりや、当然やろ」

あっちゃんは、12年前俺に書いて寄越した住所が全くの間違いだったことをまず俺に詫びた。

「俺、住所全然違う所、書いとったやろ、尼崎って兵庫ながにな」

あの後、あっちゃんは『兵庫県の』尼崎の中学校を出て高校に進学したものの、色々とだらしないあの父が職を転々として、その挙句またあちこちで借金をし、今度はあっちゃんの母親に面倒を掛けてたまにふらりと居なくなるという事を繰り返す、そんな生活では高校の学費の工面もままならないからと高校に通うことを諦めたあっちゃんは、母親の代わりに借金の返済の為に日雇いのアルバイトみたいな事を始めた。

それは俺がただ机に向かっていさえすればそれで良かった16歳の頃だ。

その生活の中で次第にやさぐれてちょっと人に言えないような事もしていたあっちゃんは19歳の時に突然、村に帰ろうと思い立った。ここは自分のいる所じゃない、帰ろう。あの日「大人になったら必ずここに戻って来るがやぞ」と言ってくれた山の仲間達や親友がもしかしたらまだ自分の事を待っていてくれるかもしれないと、そう思って。

「ホラ、県の森林研修生とかいう『都会の若者を林業に』みたいなやつ、アレに応募したがや。10年ぶりくらいに杉の木に登った瞬間に全部思い出したわ、枝打ちの仕方とか、凄い嬉しかった。それでそのまま村の森林組合に就職したがや、何人かはもう死んどられたけど、おじさん達が残っとられて、ボロ屋やけど家もあるし、そのままここに住み着いたがや、けいちゃんがそっちの大学出てお医者さんになったがも聞いた、凄いな、けいちゃん頭、良かったもんな」

あっちゃんはそのまま森林組合に勤めている7つ年上の事務の人と20歳で結婚して、5歳を頭に真ん中が3歳で末っ子が3ヶ月、もう子どもが3人もいると言う。

「…あっちゃんの人生、激動やな」

俺はそう言うしかなかった。9歳で母親が出奔し、14歳で実父と死に別れ、義父の放蕩ゆえに高校に通い続ける事が叶わず、19歳で家出するようにして生まれ故郷に舞い戻って、今は26歳にして3児の父。それでも電話の向こうのあっちゃんは屈託なく笑って

「それでな、あの俺の継父で、けいちゃんのお父さんがな、もう死んだから電話していいやろと思って。俺、けいちゃんのおばさんの携帯番号のメモずっとちゃんと持ってたがやけど、なんか電話できんかったがや。流石の俺もおばさんに悪いっていうのだけはわかってたもんやから」

だから、特に遺族としての用事なんか無いがや、あの人が残してくれたもんなんかビタ一文無いしな、俺のお母さんはこのまま尼崎で暮すらしいわ、俺が電話したかったのは、けいちゃんにごめんなって言おうと思って。あっちゃんはそう言って電話の向こうで恥ずかしそうに笑った。

「そんな事、あっちゃんが気にする事じゃないやろ、あっちゃんが悪いことなんか何もないがやから」

俺が自分の事だけに精一杯で、今日もたかだか30㎝の積雪に行く手を阻まれて軽く死にかけている時に、あっちゃんは積雪1mを軽く超えたと言う山の中から電話をしてきて、俺に12年前の事を謝罪した。俺は、俺だって親友の筈のあっちゃんを探しもしなかったがや、あっちゃんごめんな、連絡してきてくれて嬉しいわ。

「けいちゃん忙しいがやろ、おばさんに電話したら、忙しくてなん帰って来んて言っとった。そんで淳史君が元気でよかったって言ってくれたわ。けいちゃん、小児科医なんやろ、仕事順調ながか、頑張っとるがか」

「俺はなあ、今、全部に迷っとる」

俺は12年ぶりの親友に何故だかとても正直な自分の気持ちを伝えていた、中途半端な気持ちのまま人命を扱ってるんやと、医者と言ってもまだ全然、何の役に立たん、インフルエンザの予防接種が打てる程度や、そもそも医学部に行った事自体、あの最近死んだ父への復讐みたいなもんながや、崇高な目標も高い志もなんもないがやと、そうしたらあっちゃんは

「昔なあ、俺が迷ったらどうしたらいいかって、話したが覚えとる?」

「何や、いつの話よ」

俺は電話を持つ手がかじかんできたが、そのままコンビニの中に入らずに軒先で雪を眺めながら親友が突然放った言葉を脳内から検索した。たしかそんな事言っていた気がする、小学生の頃や、何やったやろう。

「迷ったら、おおぐま座のしっぽの星を探すがや、俺はそう思って、尼崎から必死こいて北に向かって戻って来たんやから」

「あっちゃん残念やけど、今まだ朝やぞ、星なんか見えん」

俺がちょっといい事言おうとするとけいちゃんは直ぐコレや。あっちゃんはそう言って笑ったけど、あっちゃんが言いたいことは分かる。あっちゃんはきっと、自分はこの冬にとんでもなく雪の降る村の事を忘れずに、北の空の星を目指して今日、ここに居る。けいちゃんもいちいち迷うな。そう言いたいんだろう。

「まあ、言いたいことは何となく分かるわ。ありがとあっちゃん。俺今から呼び出されて出勤なんや。多分明日には帰れると思うから、またこの番号に連絡していいやろか」

「おう、待っとる。それとな、春にはもうすこし世の中平和になっとるやろうし、その時にいっぺんこっちに帰って来てや、おばさんも寂しがってたし、俺もけいちゃんに会いたいわ、そんで俺の子ども見に来てくれ、全員俺と同じ顔しとるぞ」

そう言った、なんでも真ん中の3歳児は女の子らしい。

「それは何とも気の毒な話やな」

「うるさいわ」

そう言って笑って、俺達は電話を切った。まだ雪は止みそうになかった。足元の長靴代わりのビニール袋には雪が染みて来てもう何の意味もない、なんか凍傷になりそうやな、でも

「まあええか、多少の事はあっても、どうせ今から病院や」

俺は独り言を呟いて、コンビニには寄らずにそのまま病院の方角、北に向かって歩きだした。

「迷ったらおおぐま座のしっぽにむかって進め」

あっちゃんの言葉を何度もつぶやきながら、雪の中を漕ぐようにして歩く。

俺は車道も歩道も分からなくなった雪道を、今度は小学生のあの日のように、しっかりと踵から踏みしめた。


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