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こわいもの/end user

 これは『現代のホラー』をテーマにしたショートショート。題名を入れずにきっちり2000文字。noteと文藝春秋さんの企画だそうで、そういうのちょっと楽しそうだなあと思って書きました。その下はちょっとした雑文です。

『題:end user』

『所有する』ことはその所有をある期限まで、ないしは半永久的に維持することだ。常に同じ状態を保つかそれ以上、上向きでなくてはいけないはずだ、でも僕等の暮しているこの世界はどうだろう。未知の感染症が世界を席巻し、予測の範囲を超えた自然災害、新自由主義経済の閉塞、その諸々から派生した貧困。未来にむけてただ閉塞してゆく世界、僕らは静かに衰退しいずれ滅びゆく生物なんだ。

そうでなくても、人間というものはいつか必ず命の期限の来る生き物であるのだから、所有という概念を捨てて全てを借り物で生きていくのはとても合理的なことだよ。

でも一緒に暮しているさっちゃんは僕のこの考え方に

「そうかもしれないけど、そうじゃない方がいいものだってあるんじゃないの」

そこにほんの少しだけ反発の欠片を綯交ぜにした言葉を漏らすことがある。例えば以前、残暑の日差しが焦げるように暑い日にさっちゃんは仔猫を拾ってきた。それは炎天下のゴミ捨て場に可燃ごみと一緒に捨てられていた不細工な仔猫で、両目が腫れあがって瞳が何色か分からないし、赤く腫れた鼻からはずるずると鼻水が垂れて、泣き声は酷いだみ声、灰色の体毛の中にはきっとダニもノミも潜んでいるだろう、生体販売をしている店なら即時殺処分、そういう仔猫だった。それだから僕は

「こんな猫、拾ってどうするの、わざわざ獣医の所に連れて行くなんてお金の無駄だよ。猫が飼いたいなら猫だって借りられるよ、健康で人懐こくて、しつけがちゃんとされて、清潔な猫や犬が定額で借りられるサブスクサービスがある」

そう言った。僕らは今たまたまペットの飼えるマンションを借りているけれど、それだって僕らの収入や勤務地が変わってしまえば、ここに住めなくなることだってあるだろう。それならわざわざこんな汚い仔猫を抱え込むより、何かあったらいつでも返せる成猫を借りたらいい。

「僕等の人生は夏と秋の境目の天気みたいに不安定なんだ、その不安定な生活の中にわざわざ自分以外の生き物を抱え込むなんて非合理的だよ」

僕の主張に、フガフガと鼻を鳴らす汚い塊を抱えたさっちゃんは何か言いたそうにしていたものの、結局それを動物保護団体に預けた。その時さっちゃんは結構な額面を猫の医療費や餌代に使ってほしいと団体に寄付し、僕はそれを無駄な出費だと言った。でもさっちゃんは譲らず、平行線にしかならない議論は即ち時間の無駄だと認識している僕は、あの汚い猫を強引に家で飼われるよりはまだマシだと思って、それ以上は何も言わなかった。

その猫の事以外では、僕等は平穏な生活を送っていたと思う、僕等は互いに無駄な言い争いというものを避け、家賃や家事の負担はそれぞれの状況に応じて担当した。

さっちゃんはフリーのイラストレーターをしている。収入は多い時と少ない時と、月ごとの波が大きい。僕はその点会社員だから収入は安定していて一定だ。それだから自宅の掃除や洗濯や食事の支度はさっちゃんが、僕は平日の食器洗いとゴミ出し、それから休日に量販店で買い物をする時に車を借りて車を出す。家事分担は一緒に暮らし始めた頃に決めた。でも仕事が立て込んで昼も夜も絶え間なく描く事に追われることになると、さっちゃんは夕暮れ時の僕にこう言う

「ゴメン、あたし今凄く忙しくて、簡単なものでいいから何か作れないかな?」

「何かって料理?僕の料理って必要?定額で弁当とかデリカとか届けてくれるサービスってあるだろ、そっちの方が合理的だよ、大体これは君の仕事の調整ミスだろ、君の後始末をどうして僕がしないといけないの」

料理は僕の担当じゃないし君が作れないなら、何か合理的なサービスを頼んでおいてくれよ。このての話になるとさっちゃんは

「もういい」

そう言って仕事部屋に引っ込んでしまう。無駄な喧嘩が発生するりはまだいいけれど、こうなるとさっちゃんは夜、気が済むまで仕事部屋でミノムシみたいに毛布にくるまって眠るようになる。

「そんな梱包されたみたいな姿で寝られたら、僕がセックスしたい時はどうするんだよ」

別々の夜が10日程続いた晩、僕はさっちゃんの籠城する部屋の扉をどんどん叩いた。それが君と一緒に暮している僕の最大のメリットだろ。

「あなたは恋人と暮らす事を、セックスのサブスクサービスだと思ってるわけ?」

「だって、君は僕と暮らして生活が安定しただろう?イーブンだよ」

「あたしは手間が増えただけよ!」

その怒号の後、さっちゃんは何も言わなくなった。


そうして翌日だ、目が覚めると僕は暗い箱の中に閉じ込められていた。おい、これはどういうことだよ、何がどうしたんだ。

「理知的で合理的な恋人と暮らしたらどうかなって思ったけど、あたしには全然向かなかったみたい」

箱の向こうではさっちゃんが誰かと何かを話し、近くで猫がにゃあにゃあ鳴いている、あれは多分あの時の灰色の猫だ。

「じゃあこのサービスは解約ということで、お願いします」



上記 全2000文字(題名含まず)


◆以下は、あとがきのような雑文のようなもの

『こわいもの』

子どもの頃、幽霊がとても怖かった。

 まだテレビがブラウン管でカメラがフィルムだった時代、幽霊は世界のそこここに沢山存在する隙間というものがあったもので、たとえばちょっと光の屈折の加減で集合写真に写り込んでしまった白い影だとか、現像のミスで古いフィルムの残像が残ってしまっている写真、それがよくテレビなんかの

「恐怖!心霊写真特集!」

という、テロップのフォントのおどろおどろしい番組で特集されていた。それの放映される時期は大体、田舎の子ども達には学校のプールに行くくらいしかやることのない夏休みのことで、真夏の蒸し暑い晩

『廃墟にたたずむ白いワンピースの女性の姿』
『友人5人の集合写真に写り込んだ6人目の足』
『新車のフロントガラスに無数の子どもの手』

それらしい効果音と共にテレビに大写しになるそれらを直視するのが恐ろしいからと、3つ上の姉とふたり、頭からタオルケットをすっぽり被って、それでもテレビにかじりつき、その手のものは全て下手をするとお盆その他の仏教法話さえ『まあ、嘘って言うか、迷信よね』と豪語する超リアリストの母に

「汗疹ができちゃうからやめなさい!」

と叱られていた。当時、フェーン現象でも起きないかぎり8月の夏の盛りも30℃行くか行かないかの北陸の実家にはクーラーが無くて、夏の夜の子どもは風呂上りもなんだか汗でしっとりとしていた気がする。

あの頃、背後にひとならぬものの気配を感じることが恐ろしくて、あの手の番組を見た後はシャンプー中、目を閉じられなかった私は、今3人の子の親になりシャンプー中に一番怖いものと言えば

「洗髪中1分、目を閉じている間にボディーソープを全部湯船にぶちまけた4歳児」

になった。そして一緒にタオルケットをひっ被って幽霊を、ひとの死後の世界を恐ろしいと畏怖していた姉は看護師になり現在の所属は手術部、今日も元気に手術室で人様の命に立ち会っています。

 子ども時代の私たちのうんと身近にいた幽霊はテレビが地上デジタル放送になり、写真はデジタルカメラやiPhoneのフォルダの中に、古い映像や映画はデジタルリマスターされてすっかり美しくかつクリアになってしまってその居場所をすっかり奪われてしまった模様。夏の心霊番組みたいなものも、昨今はすっかり減りました。

 あのひと(?)たちは今どうしているのだろう、子ども達の怖がる機会がうんと減って、今はただ中空をふわふわと漂着っているのかな。黄泉の世界と現世の間を描くような子ども向けの物語もすっかり減って、今は異世界モノが全盛だと言うし、きっとすこし寂しい事でしょう。

 大人になるとあんなに怖かったものが、さして怖いものではなくなり、それで人生無双かと言われるとそんなことはまるで無く、じゃああんたは今何が怖いのよと聞かれれば、私は月並みですが人間というものが一番怖いなと思います。今朝も普段あまり使っていないメールアドレスに「命が惜しくばアマギフ1万円分をこのアカウントに」という迷惑メールが来ていて、何だよ私の命って1万円かよと、そのお値段設定にややがっくりと、現代社会というものに軽く恐怖したりしています。何よアマギフ1万円て。

 その迷惑メールはまあ突飛な、極端な話ですけれど、その手の人間の間に起きる齟齬、溝、思考の深く遠い距離、分かり合えない平行線、その果てに生まれる色々と消化できない暗くて哀しい、どろどろとした感情というものが40をすぎた今、私は一番怖いと思うのです。

 

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