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祈るということ。

『神頼み』と言う言葉があって、

『祈り』と言う行為があって、

親しくて近しくて大切な誰かのもうどうしようもない苦しみとか窮地とか哀しみ、そういう時に立ち会ったとき

「祈ります」

という行為を、言葉を用いるもので、『大丈夫』も『頑張って』もそれを使うことすら相手のくたびれはてているだろう心には、もう他人の手にはとても負えないような状況には、ちょっと流石にくどいというか重いというか、そんな風にただ誰かの辛苦を傍観するしかない時にはつい多用してしまっていた気がする。でも、これは自分に限ってのことだけれど、実は狡猾だと思っていたのですよね、全部を神様に投げておけば間違いないやろというあの薄紙のような己の言葉と内心の軽さが。

『ご家族のため祈ります』

『あなたのために祈ります』

で、それは一体どこの何を頼みにしての祈りなのかなと。



ところで神様と言えばこれはもう10年以上前の20代の後半だったと思うけれどとにかく私がまだうんと若かったころ、半ば強引に誘われていわゆる新興宗教と呼ばれる団体の施設に連れて行かれたことがある。

ご先祖様の無念とか、利他業とか、因果応報とか、あとは壺と水とかお布施とかそういう言葉行為物品を、私はあまり信用していないというか好きではないというか床の間のある家に住んだことが無い人間に壺は必要ないなあと言うか。とにかく基本的には猜疑心の強い利己的な性格と性質をしているのが私なのです。というよりも人間って、この世で生きる以上基本的には利己というものから完全には自由にはなれない生き物だろうと、それを理性によって制服することを人類の叡智と呼ぶのでしょうと、割に真面目に真剣にそう思っている人なのだけれど。

でも、それがちょっと断われない筋からのもので、そしてそういうのって人生に一度くらい見に行ってみてもいいのかなあと、好奇心は猫をも殺すと昔の人も言っているのに、叡智と理性についての持論もすっかり忘れて、小学生の無邪気な好奇心に従ってあの日の20代後半の私はほいほいとついて行ったのだった。

それで、とても安直な社会見学の気分で行ったそこは、特にどこのどういう所かは伏せるけれど、まず入れ物というか施設建物自体が何か結構ものすごい場所だった。それは

「皆さん!明日終末が訪れ、人々は裁かれ、そうして我々は祝別されるのです!」

そういう感じに舞台の中央、握りこぶし上げて誰かが叫んでいるようなコアでファンダメンタルなところではなくて、全体的ちょっと学費のお高い私立大学のような広大で瀟洒な建物のいくつもある敷地に上品なツイードのスーツだとか、ワンピースだとかに身を包んだ大量の、大体がおば様かおばあちゃま方が

「私達、仲良しのお友達なの」

という風情でいくつものカタマリになって仲良くぞろぞろと歩いている比較的ゆるやかに穏やかな感じの所で、そこの集会というのか仏事というのか礼拝と言うのか、巨大なホールの舞台上で執り行われる厳かに煌びやかな一連の儀式の後に、わっとホールから弾かれるようにして出て来た件の仲良しマダム達は、まずはショップで関連グッズを買い求め、次に併設の食堂のような大学の売店と学食が一体化したような広い場所で

「母がねえ、デイサービスにも行きたがらなくて困ってんのよ、アタシは年寄じゃないって怒んねやけど、90よ?年寄りどころの騒ぎじゃないやん」

「うちの人、最近入院しはってんけど、糖尿?結構酷いらしいんよ」

「娘のとこの孫が毎週来るのはええのやけど、まあ家の中がホンマに酷い事になるんやわ、やっぱり男の子やからやろか、ねえ」

その手の話題で盛り上がっていて、そしてその話の大体の締めくくりは

「まあそれでもうちらはここの神様がいてて、こうして集まって、しあわせよね」

という感じにどのグループもまとまっている感じ。幸せであることは何よりだと思う、ひとは幸福になるために生きているのだから。

そしてこのライブがあってグッズを購入しその後に仲間内で時を忘れて話し込んで最後に神仏を、ここでの推しを讃えるこの感じは氷川きよしさんのコンサートというか、フジロックというか、そういうものにとてもよく似た構造をしているなのだあとちょっと感心したのだった。どちらがどちらを模倣したものかは分からないけど、とにかくあの日に見たマダム達にとっては推しが神ではなく、神が推しなのだ。

だからこそお誘いというか布教?そういうものの押しも強いと、そういうことなのだなと1人で納得していた。

その後、何度も「また行きましょうね」と誘われたのだけれど、当時はとにかく、特に月末は3日家に帰れないのがザラとかそんな感じに仕事が忙しくて、あの手の活動に時間を捧げている暇がなかったもので

「はあまあいえもう」

というはっきりしない返事をしている内に時は過ぎ去り、その後、あのマダム達と再びお会いすることは無く、私にはあのマダム達の幸福そうな姿だけが記憶に残されたのだった。ひとは疑うこと無く何かを心から信じたら杞憂とは孤独とは無縁の安心した人生を送れるものなのだろうかという微かな謎といっしょに。



それで、じゃあその後の日々の些事に追われて、神とかそういうものが、そのいろいろに有無を言わせない絶対的なものが自分にどう作用しているのかなと、それを考える日が今日まで一日もありませんでしたということはなくて、だからちゃんとあって、例えば直近だと末の娘が大きな手術を受けることになった去年の春にはそういうことを本当によく考えた。その時に受けた手術というのが

「予想される手術時間は10時間、当然無事に済まない事も十分に考えられます」

執刀医がそう厳かに宣言する、結構大がかりな手術であったので。私はこの時、母親として当時まだ3歳の年端もゆかない娘が大手術を乗り越えてこの先の未来を生きる事だけを切望しておけばいいものを、普段から例えば旅行の準備などさせると、いるものもいらないものも

「…いやもしかしたらいるかもしらんやん?」

と何でもかんでも旅行鞄に詰め込んで1泊2日の小旅行にカトマンズへ1ヶ月のような大荷物を作り上げる人間なものだから

「もしこれで娘が死んだら、お葬式とか…どうしよう」

その辺はイメージすること自体やめておけばよいような余計な事をずっと真剣に考えていた。もしかしたら心配が過ぎて少しおかしかったのかもしれない。大体大きな手術の前に界隈の親御さんはちょっと浮足立ってナーバスになって変な事をし始めたりするものだから。スーパーで厚揚げを買っているだけなのに突然哀しくなってレジでしくしく泣き出すとか、まあ私のことだけど。

それで私は、この時も今も特定の信仰というものを持たない娘がもし仮にこの世界で肉体を失うことになるとして、その時この娘の魂を一体どこの天国か浄土かそれか対岸の無か、とにかくどこに行くのか、どこに送ればよいのか、それを考えあぐねて、何故か見ず知らずのカトリック教会の神父様に、彼のオープンになっているアドレスに送付する形でそれを問うたのだった。

今ならやめとけ何しとんねんと失礼やろと自分で自分を止められるのだけれど、何しろ当時は普通の精神状態では無かったもので。

それは確か手術の前日だったと思う。自分は別にカトリックの幼稚園に子を通わせているだけで信徒でも何でもない癖に先方からしたらすごい迷惑な話だ、ホンマにすいません。

「うちの娘は明日、大きな手術があって、死の淵を歩くことになるのですけれど、もし万が一その時に命が終ってしまったら、この子の魂は一体どこにいくのでしょう」

ところで、この手の質問というのは実際のところは子の魂の行く先を聞いているのではなくて、ただ

「大丈夫ですよ、お嬢さんは死んだりしません」

と誰かに言ってもらいたいだけなのは当時も今もちゃんと分かっていたのだ。もうなんでもいいから1ミリでもいいから少しでも安心して明日を迎えたくて、わかっていて確信犯的に無関係な、そして人様の生死になるだけ近い職業の人にそんなことを聞いたのだ。

だってお医者さんには色々を聞き尽くしていたものだから。

しかし、何といっても先方は神父であって、彼らは肉体の死をそれほどは恐れていない職業であると私は思っているのだけれどどうでしょう。そういうの、実際に聞いたことはないんだけれど、ともかくそんな方々であるので先方からは

「もし、あなたのお子さんがその手術の間にその後に、天に召されることがあるとしても、神様はお子様を必ず天国にうけいれて下さいます。思い悩んではいけません、安心してください」

そんな返信があった。

安心できない。

この時、娘がもしこの手術中か直後かに死によって私の手を離れて、たったひとりで天に召されるような、そんな運命があるのだとしたらその神様というものにとび膝蹴りも辞さないしそれによって娘を天国から奪還したいと思っていた私は、その死という容赦のないもの際して、己のすべてを神様に明け渡す人生を選択した人の覚悟と感覚を

神父様、強いな。

そう思って感心したものだった。彼らにとって土の器であるひとの体が死んで魂が天国に、神の国に入る事はむしろ喜びであるとそういうことなのかしらん。当の娘はその後、いろいろと危ない目に、本気で『もうあかん』というような目にはあったものの、無事に生還して今日はやや風邪気味ながらも元気に生きている。

そして神に仕えるその人は「祈ります」といつも言う、誰にでも言う、本当に言う、信徒でもないのに言う。

『貴方とご家族のために祈ります』

それは神様に会った事もない私のことを取り次ぐためなのだそう。



『ひとはいつかみんな死ぬのにね』

などと、子どものいないまだ10代か20代の頃の私は常にそう思っていたし、それはそれなりに生きづらい若い頃の自分にはある種の救いの言葉だったけれど、子どもが生まれて、その中のひとりが重い病気であって、結構気軽に死にかけるのを全力で阻止しなくてはならない生活が始まった瞬間にそれは一気に恐怖のコマンドになってしまった。そして命とか死とかそういう容赦ない程制御不能な何かが、自分にとっての大切な人の身の上に起きるかもしれないと思う時

「祈ります」

と言うしかないということも、思い知ることになった。

誰がその願いを希望を取り次いでくれるものか、それはまだよく分からないのだけど。

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